2011年12月27日火曜日

クリスマス忘年会


 25日は親しい方々とそれは楽しい集いが持てました。
毎年クリスマスの頃は横浜で食事を楽しみ音楽を聴いて過ごすのが習わしのようになっています。美味しいお料理、気の合う人たちとの会話もまた、美味しいお料理の一部のように楽しく、ああ、今年も終わって行くのだなと実感します。クリスマスプラス忘年会という集いです。年毎に殿方の参加が増えるのは何よりです。

今年は本当に色々と出来事があった年ですが、私の周囲にも私自身にも様ざまな事件が次々と襲いかかるようにあり、激動の年になりましたが、新しいお友達も増えていることがなによりの財産と思います。
 生前、母が80歳を越える頃に私にこう言いました。「年々に遊ぶお友達が減ってしまうのよ、お友達は沢山増やさないと歳を取ってから寂しいわよ。貴女も80歳になれば分かるわ」と嘆くように言っていたのは今となっては遺言のようになっています。
 私は同じ年齢の人ばかりではなく様々な年齢、そして職種も違う人たち、異性も含めて広くお付き合いするようにしています。
自分の知らない世界の話や知識は若い人たちからも沢山もらいます。私が興味があるのは自分以外の人がどんなことに興味を持ったり感激を覚えるのかと言うことで私自身が刺激を受ける事なのです。
自分の知り得た事なんていくら長く生きていても、たかが知れています。
知恵も経験も自分なりにはたくさんあると思ってもきっとわずかな物なのでしょう。
多くの方々と今年も知り合い刺激を受けてまた来年への糧にと思うのは年末だからです。
 急に毎日寒さが厳しくなり冷気が足下を這うようになりました。犬の散歩の途中に公園に立ち寄ると枯れた芝生がかしゃかしゃと足下で音を立てています。今朝には霜が降りたようで凍っていたのでしょう。
クリスマスが過ぎたとたんにお正月の門松が立ち、おせちの広告が最後の追い込みです。
 私は改築中の為に、暮れからひと月ほど近くに仮住まいとなります。
そんなお正月も最初で最後と思うので三が日ぐらいは静かに過ごし来年への力を溜めていようと考えています。現在の私はまるで冬眠中の動物のような物と自覚しています。冬の間に今年授かった沢山の知恵と友達のありがたさを身に染みこませながら春になったら目覚めましょうか。来年は閏年で私の誕生日も4年ぶりに訪れます。

2011年12月21日水曜日

サンタさんはどこに


 いよいよクリスマスが近くなって街のイルミネーションもピカピカ光りお店もクリスマスセールで賑わっています。
子供の時に感じたワクワクどきどきのクリスマスプレゼントは今はもう遠い思い出の中です。
3人兄弟の長女であった私の記憶ではこの頃になると忙しかったあの時代に父母がなんとか時間を作って子供たちにクリスマスプレゼントを買いに走り、狭い家の中でどこかに隠してイブの夜は子供たちの枕元に寝入るのを待ってそっとプレゼントを置いたのでした。

 私はうすうすサンタクロースは父母だろうと分かっていましたから一生懸命に目を凝らしてその夜は両親の動向を観察していたのですがついに眠気には勝てず寝てしまい朝になると他の兄弟より早く目覚めて皆を起こして大騒ぎでプレゼントの箱を開けるのでした。

 当時両親は30代だったと思いますが昭和30年前後で寝る間もなく働いていたように思います。父はいつも徹夜で暮れの仕事をこなして赤い目をしていて母は暮れのお掃除を始めてそれは忙しく立ち働いていた気がします。
けっして裕福だったわけではないけれど、私たち兄弟は両親の愛にすっぽりとくるまれて幸せな子供時代だったのです。クリスマスイブにサンタさんになってプレゼントを置いた父母は今頃どこに行ったのだろうと、ふと思うときがあります。

 自分も親になって両親と同じようなことを子供たちにしましたが、子供の時に感じたわくわく感は立場が違えばすでになくて、二度と戻らぬ子供時代を恋しく思いました。
しかし子供たちもいい大人なってしまうと今さら純粋でささやかななクリスマスプレゼントを上げる機会も失われてサンタを信じるわけもないですからつまらないものです。

 今は街のイルミネーションは昔よりずっと洗練されていて美しいのですが昭和30年前後のあの泥臭いクリスマスの喧噪は全くありません。
昨日新宿の街を歩きながらしきりと子供時代のクリスマスを思い出し、私のサンタさんは今頃どこにいるのだろうかと夜空を見上げたのでした。ささやかでもあれほど胸がときめいたプレゼントって子供だったからそう感じたのか、とするともう二度とわくわくしながらプレゼントの箱を開けることはないのだろうなーと思い大人になるってつまらないことなのだと考えました。

2011年12月11日日曜日

クリスマスに装う


 もう12月は三分の一終わってしまいクリスマスを待つまでになりました。この時期は例年は出かける事も多くていつも何を着ようかしらと考えます。最後の紅葉も都心では銀杏並木でしょうか。銀杏の帯も出番がないと可哀相なので1回は締めます。それから忘年会や12月の観劇もありは特に年末にはコンサートも多くあるしクリスマスの頃には食事会も増えます。

 しかし秋も終わり冬には確実に入っているので秋の模様も引きずりたくないし、そうかと言って新春らしい装いも出来ません。
冬の楽しみは何だろうと思い冬らしい遊びや、この時期には冴え渡る冬の夜空に思いを馳せて星々や天体の美しさ、降りしきる雪模様、クリスマスの心躍るプレゼント、子供の頃に雪が降るとやたらに嬉しかった思い出、雪合戦や雪だるまを作って夢中に遊んだ頃の気持ちに回帰したくなります。
 大人たちは雪が降ると後が嫌だとぶつぶつ言うのを不思議に感じて、お盆の上に雪兎を作ってみたりしてはしゃいでいた頃を、あの時の気持ちを再現して童心に戻りたいと私は冬の作品にこだわります。
 着物の業界では秋物が終わるといきなり新春モードの制作に取りかかるのが常でした。追っかけてすぐに春物です。寒くて冷たい冬のムードなんかには余り目もくれません。
 私はその狭間にある冬の景色をモチーフにした作品に力を注ぐのが好きです。
西欧的な楽しいロマンチックな題材もありますが、最も日本的な雪の朝を歌った切なくも悩ましい大人の歌である北原白秋が詠んだ以下の1首が大好きです。
五感に訴える素晴らしい相聞歌で雪が降ると私は今でも小さくつぶやいてみます。
これだけは子供の頃には知らなかった世界です。林檎柄の着物を創ったのはこんなイメージが心にあるからです。今月のトップページにアップしてあります。

 「君かえす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」 北原白秋

 そう、不倫の歌です。この後、姦通罪で白秋は訴えられますがこの時代のことを思うと隔世の感があります。今が良い時代なのか悪い時代なのかよく分からなくなります。林檎柄の着物を創る人なんて私くらいでしょうか。

2011年12月6日火曜日

手向山の赤枝垂れ


 12月に入り夜にはクリスマスの電飾がこのあたりの住宅街でも最近は飾り立てられ、それが年毎にどこのお宅もバージョンアップして確実に派手になって行くのをみると微笑ましくなります。
平和な庶民の楽しみと思えば寒い冬空も暖かくなってきます。チカチカキラキラと光る輝きは、宗教に関係なく癒しの効果もあると思います。

 そして12月には紅葉を終えた木の葉がどっさりと小さい葉から大きな葉まで全部落ちて家のガレージの中では落ち葉が見る見るガレージや庭を埋め尽くし、庭掃きが一仕事となります。
ふと見上げると塀の上から枝垂れた紅葉が赤く色付いています。紅葉はまだ散っておらず今が最も綺麗です。都会のモミジは12月の初旬が結構見頃で、東京も京都も今頃が良い季節でしょう。いつか行った京都での12月の初旬の紅葉狩りは素晴らしかった記憶があります。

 私は工房にある赤枝垂れ、別名を手向山というこの品種の紅葉が好きで1年中楽しんでいます。この紅葉はヤマモミジ科で葉の形が細く切り込みが入っていて複雑で優雅な形です。枝垂れた姿は春には新芽が赤くなり見事ですし、夏には緑、そして段々紫っぽくなり初冬には赤く色付くので一年を通して楽しめます。
百人1首にも詠まれていますから古代から日本にあった日本のモミジなのでしょう。
菅原朝臣が詠んだ有名な歌で誰もが1度は声に出して詠んだ事がありましょう。
 「この度は幣もとりあえず手向山紅葉の錦神のまにまに」と歌われたこの歌はリズムも良くすぐに覚える事が出来て私も大好きでした。
 子供の時に一生懸命に百人一首大会の為に覚えた歌はいくつになっても思い出せるものです。特に紅葉の錦神のまにまにと詠まれた結句が好きでしたが大人になってからここの意味が分かったのです。
 この歌から真っ赤に燃えた山の紅葉がイメージして来るからでしょうか。手向山がどんな意味を持った山だったのか分かれば「神のまにまに」と終わることが理解出来ます。
 その事から山紅葉を手向山とも呼んだことことになったのは後世の人のネーミングと推察されますがどうでしょう。
 手向山とは奈良にあり、作者は吉野の山を見て詠まれたのでしょうか。手向山には道路と坂を守る神が奉られているので、それ故、色々な地方に手向山があるようです。
優雅な日本の晩秋から初冬にかけての景色は今も昔も変わらず続いているようです。
山のアトリエに植えたイロハ楓と東京の工房の塀に枝垂れる手向山という名を持つ優雅な紅葉とは対照的でどちらもそれぞれに楽しんでいてどちらも私にとっては工房のシンボルになっていて季節の移り変わりを教えてくれる大事な樹木であります。

 この赤枝垂れがちりちりに乾いて葉が全部落ちてしまうと、いよいよ冬将軍がやって来るのです。全ての落葉樹は裸木となります。
昼間には手向山と呼ばれる紅葉を眺め、夜には電飾、と楽しませてもらっている12月の初旬を楽しんでいる日々であります。

2011年11月29日火曜日

晩秋の街


 11月も終わりになり師走に手が届く頃となってしまいました.穏やかな11月でした。都会では今が晩秋なのでしょう。紅葉が綺麗で街中でも去りゆく秋の景色があちらこちらで見られます。黄色に紅葉した銀杏の並木、すっかり葉を赤く染めた桜の木々、やっと赤くなったドウダンツツジの植え込み、その隅に咲く小菊、街中でもそぞろ歩くと晩秋の景色が見られて師走に入る前のひとときを楽しめます。
冷たい風さえ吹かなければ11月の散歩もなかなかの物です。

 東京と八ヶ岳を往復している生活が続いています。
工房の改修工事が大幅に遅れたため体調がおかしくならないようにとても気を付けています。
少々疲れも出て来ましたので先日は通っている整体のところで酸素カプセルをすすめられて2度ほど試してみる事にしました。
まだ効果はよく分かりませんが良いと言われたことは何でも試して、なんとかこの変則的な生活を乗り切らないとなりません。何でも酸素カプセルに30分入っていると2倍から3倍の睡眠時間に等しいそうです。信じるしかありませんが気分だけはアスリートになった気がします。思わぬ体験をしています。
 気分も変えるためになるべく散歩もします。都会にも見られる小さな自然でも少しは癒されます。
街にイルミネーションが賑やかになりクリスマスムードが高まる前のほんのひとときでも季節の移り変わりを感じて歩きたいと思うのです。


2011年11月21日月曜日

メリーゴーランド


 すでに紅葉も終わり裸木の目立つ山の景色は初冬に入った感があり、黄色かった山々も茶色味を帯びて常緑の木々だけが緑色でこれから迎える冬の雪をじっと待っている様子です。
11月の山にしては暖かい高原の駅、清里の周辺を訪れる機会がありました。
 かつて一世を風靡したアンノン族が闊歩して原宿の竹下通りのように賑わっていた清里は今は見る影もなく寂れて俗悪な店の看板もそのまま朽ちています。まるでゴーストタウンのようで、一時はタレントの名を冠したお店も多くありましたが今はそれもなくなり人影も見えません。
 今の若い方にアンアンとかノンノンとかの雑誌があって毎号のようにこの地を盛り上げていた時代があったのよと言ってもピンとは来ないでしょう。もうかなり昔になって知る人もあまりいないし、あの頃の読者たちはすでに60歳代から70歳ぐらいでしょう。
 当時はペンションとテニスも大流行でテニスコート付きのぺンションに脱サラした方たちが夢溢れるペンションを作り若者や若いファミリーを呼び込んで大賑わいだった時代でした。

 その後、海外旅行に安く行けるようになったり、テニスブームも去ると急速に憧れのペンションも衰退して人々の好みも価値観も多様化となり今はペンションもオーナーたちの高齢化で次々と閉めて、後をする人もいないようです。いくつもあったこのあたりのペンションも経営をやめてひっそりと戸締めです。
 高原のリゾート地、清里の様変わりは昔に比べれば寂しい限りですから私もなるべく隣の駅の清里には立ち寄らないようにしていました。
でも駅から少し離れた一角では新しい観光地としての試みもあり、大人が耐えられるお店や施設が最近出来て来ました。その中で少し林の中に入って行くと、こんなところに何故というようにメリーゴーランドが設置されています。かなり前からだそうですが私は全く知りませんでした。

メリーゴーランドは音楽につれて装飾された馬が何頭も上がったり下がったりして、ぐるぐるとまわるのですが、その乗り心地は何だか嬉しくて綺麗に装飾された作り物の馬も楽しくて私は大好きです。夢の世界に遊ぶ気分です。
 昔、回転木馬というミュージカル映画があり、その映画がとても好きで、美しい歌や星を磨く主人公ビリーやその妻を演じた女優さんに憧れたのは私が10代前半ぐらいだったでしょうか。また観てみたいなと思っています。

 そんな憧れの回転木馬の馬がどういうわけか林の中にひとつだけ置いてあるのを見つけました。華やかに音楽と共にぐるぐるとまわっていた木馬に木立の中から初冬の風が吹き付けます。かつて賑やかだった清里と今の清里を重ね合わせると、もの悲しくも甘いセンチな風情を感じさせます。時代は流れて行くのだと想う光景でした。まだ山では今年は雪に遭っていません。まもなくクリスマス、心躍る美しい灯が楽しさと切なさをかきたててくれることでしょう。

2011年11月14日月曜日

酉の市に行く


 ずいぶんと久しぶりに、北野神社の酉の市に日も暮れかかる頃に行ってきました。

 昔は年毎に少しずつ熊手を大きくしていったものですが、何時の頃やら飾るには大きくなってしまったのでやめてしまいました。
 今年は震災やら我が家にも大きな変化がありましたので、ふっとまた思い出して一番小さいのから原点に戻って買ってみようかと、それは可愛らしいかき熊手を神社で求めて見ました。

 巫女さんの格好をした二人の若い女性が屈託ない笑顔で当たり玉をくれて舞台に描かれてある宝船の真ん中に当てて下さいと言いました。
 残念なことに少しそれてしまい、「惜しーい」と言われてしまいました。きっとアルバイトなのでしょうがのびのびとして仕事を楽しんでいるようです。


 以前に比べれば何て人の出が少ないのだろうと、思われました。一般の家庭では大きな熊手など買うはずもなくて、お商売やさんぐらいが求めるのでしょうがこのところの景気の悪さが影響しているのでしょう。
 かつては、ひとつ売れる度に景気よく大きな声で手締めをする光景があちこちで見られたのですが今でもそうなのでしょうか。
 先ほどは、なにか手持ちぶさたで立っているばかりでこれから夜も更けると賑やかになるのかなと案じながら神社を後にしました。
 来年は良い年になるように良くお参りしてきましたが、どうなることでしょう。 

 辰年ですから昇り龍の手ぬぐいも年賀用にと用意しました。商売には辰年は良いそうで我が家にも辰がひとりいますし犬の名も龍馬なので一人と一匹に期待しましょう。今年ほど天変地異に驚かされた年はありません。
賑わいが気になるので夜になったらまた北野神社に出掛けてみようと思いますが11月にしては暖かい大酉様の夜でした。
 三の酉まで今年はあるので来年に向けて上向きの景気になりますように。でも三の酉のある年は火事にご用心です。なんでそう言われるのかはわかりませんが子供の時からそう聞かされて育ちました。今の若い方は知らないことでしょう。

 帰路に美しい女性が大きなボルゾイを散歩させているのに出会いました。
美しい白い巻き毛にタータンチェックの洒落たマフラーを首にかけて飼い主に寄り添う姿はダンデイな貴公子のようです。もう35年以上も前に同じ犬種を飼っていた事を思い出して懐かしくなりました。背景に酉の市の提灯がずらっと並んでいてボルゾイも粋に見えました。

2011年11月7日月曜日

山茶花の小径


 割と暖かい11月を迎えています。11月と聞くと酉の市だと、すぐに思います。酉の市が終わらないとクリスマスモードにはなりません。そして山茶花が咲く季節でもあります。
 小春日和の穏やかな小径には、このあたりでは山茶花の垣根が多くみられます。やはり「山茶花山茶花咲いた道焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き、、、」と歌われた名所がすぐ近くにあるからなのかしらと考えてしまいますが、古くからの家が多いせいなのかも知れません。
 山茶花には多くは一色のローズ色で一重の花びらが大半ですが中には八重で白、または絞りで赤と白の混じった色の花も時折みられます。晩秋から初冬を彩る花で最も花の少ない季節なので貴重だと思います。
一輪挿しに一枝差しても風情があり、花の少ない季節に重宝致します。私の頭の中にはお酉様、山茶花、と繋がっています。
 今年のお酉様では念入りに熊手を選んで工房のリニューアルに備えなくてはと考えます。工事の終わるのは12月も後半にかかりそうなのでそれまでは何とか暖かい日が続くことをと願っています。

 山でも良いお天気が続くと八ヶ岳、南アルプス。富士山がくっきりと見えてこれからの季節が最も美しく山波の稜線や山の襞までもが見えてきます。
人が訪れなくなって山も賑わいが治まる頃が景色が良くて空気は冷たく深呼吸すると肺の中までもが冷たく清浄な空気で満たされます。
すでにススキも真っ白でその葉も枯れ葉色になり里の家々の庭隅には小菊の株が赤や黄色の濃い色に咲き、柿の木も全部の葉を落とし実だけがまだ木に残っています。

 山でも気温は10度以上ありましたので、今年は全国的に暖かい11月のような気がします。穏やかな日々が多いとありがたいと特に最近は思うようになりました。
先週は小布施の栗羊羹や栗きんとんを食べて濃いお茶を飲み行く秋を満喫しました。
めりはりのある日本の気候は今更ながらよいものだとつくづく感じます。

2011年10月31日月曜日

イチイの実


 山は秋晴れでポカポカと暖かい。落葉松の葉も落ち始めてアトリエのベランダはすっかり落ち葉で埋め尽くされています。
いつも通る牧場の下に八ヶ岳を背にして墓地が開けています。見通しの良い場所で青空の下、雲ひとつない空に八ヶ岳の連峰がくっきりと見えて空気の澄んだ秋の山は絵に描かれたように綺麗です。
 この墓地の一隅にいつも目を引く墓所があります。山の中にあるには立派な墓所で墓石の建っているかろうどの縁は低いながらも面積が大きく中央には立派な墓石が建っています。ここまでは普通なのですが墓石の左側にやや斜めに小さいけれど横長の墓石が中央の墓石を見るようにあるのです。
そしてその墓石には二匹の犬のレリーフが彫られています。犬のレリーフから思うに柴犬か甲斐犬か、日本犬のようです。きっとお墓を建てた方の愛犬たちの為のお墓なのでしょう。とても立派で感心します。裏を見ると犬の名も彫ってありそのうちのひとつの方は朱になっていますからまだ生存している犬の分までも用意されているのです。

 人間のお墓だってままならない世の中ですのに凄い方がいるものだといつも私は思って眺めてしまいます。そして飼い主と犬たちとの愛情のつながりに想いを巡らしてしまいます。
私も何匹もの犬を旅立たせて、そのうちの何匹かは八ヶ岳のこの地に眠っていますがきっとここに墓所を造られた方もこの地が好きで山々の見えるここで可愛がっていた愛犬たちと永遠に
眠りたいと思われてのことだろうと勝手に想像してしまうのです。
 それと私がもう一つ気に入っているのはこの墓地の周りはイチイの垣根が巡らしてあることです。いつもこの季節になるとイチイは赤い実をいくつも下げるようにして実らせます。
緑濃いイチイの木に赤い実は鈴のようでつまんで口にれると甘くてきっと鳥たちは好物だろうと思いますが種には毒があると聞いたことがあるからどうなのでしょう。


イチイの木はなかなか大きくならないそうで木が堅くて家具や表札にも造られています。またオンコやアララギとも呼ばれていますし漢字では一位と書かれて最も高い位の木とも言われています。
 アララギはアララギ派と呼ばれる短歌の派にもよく言われているので少しでも短歌を勉強している私にとっても親しみが湧く木の名前でもあります。
夕日が当たる山の端にアララギの木と実が風にかすかに揺れて墓地を囲む垣根になっているのは好きな景色のひとつです。でもここでは今まで人っ子一人会ったことがなくていつも一人で眺めているので余計に想像が膨らみます。

 そろそろクリスマス近くになると赤と緑の組み合わせが気になります。イチイの針葉樹の濃い緑色、下がった実の赤い色とこれに雪でも載ればもうそれだけでクリスマスの気分にさせてくれます。
明日からは11月です。町中でもクリスマスの飾り付けが始まるというニュースを知りました。都会でも晩秋の銀杏並木の楽しめる11月がこれからやってきます。

2011年10月24日月曜日

紅葉を踏んで


 徐々に赤味を増してきた紅葉を見ながらの散歩は楽しいものです。
日が強く当たるところは真っ赤に燃えるような色で、日陰はまだ緑が多く、一枝の中でもぱっきりと赤と緑に見事に分かれている枝もあり見ればみるほど面白く思えます。
 赤と緑は対抗色なのに美しくて自然界の色分けは計算されているわけではないのに少しも不自然ではないのが不思議です。
そして地には敷き詰められたように落ち葉の絨毯でとりわけ紅葉の木の周りは複雑な紅葉が重なり合って見応えがあります。
 雨が降った後に陽が照り始めてから紅葉の木を逆光で眺めるとまた綺麗です。
毎年の事ながら「秋の夕日に照る山紅葉」と思わず歌いたくなります。真っ赤な紅葉が散り始める頃、山の落葉松は真っ黄色になり、そして全ての葉を落とします。
 山法師が赤い実を付けてその葉も紅葉させています。山紫陽花の葉も紫から赤に掛けて染まり花もドライになったまま赤く染まったまま秋を迎えます。猫じゃらし、ススキの葉も皆紫がかった赤になって行くのです。
 自然の移ろいに身を任せて草や木は生きています。紅葉しない針葉樹も赤い木々の引き立て役として存在しています。
地面のすぐそばまで枝や葉を茂らせている深緑の樅は山の冬を彩る男性的な力強い木々です。生命力に溢れている木でこれからの厳しい冬の寒さに耐えてその幹や枝に白い雪を載せて針葉樹の緑の森を見せてくれます。

 東京に戻ったら、やや蒸し暑く感じましたが今年は全てが2週間ぐらい遅れているような気がします。
 今は着物を着るには丁度良い季節ですから大いに着てもらいたいと思います。
工房では秋から冬にかけてのコート類に力を入れています。新作は勿論のこと、「今昔の会」で相談を受けたコート類については着物や羽織からのリニューアルにと今年もずいぶんと道中着や道行に作り替えました。これからはコートなしでは歩けませんから様々なところで出番が増えて活躍してくれることでしょう。
 私がアドバイスをしてプロデュースをいくらしても、これらを仕立ててくれる良き協力者、つまり仕立屋さんがいなければ古い着物の再生は出来ません。どんなに仕立屋さんがいても心底着物が好きな方でなくては苦労の多い仕事なので出来ないのです。
今、最も私が危惧している事はそのことです。着物を知り尽くして大好きで仕立てる技術やアイデアを発揮出来てお客様の喜びを共に喜んでくれるような職人さんがほとんどいないと言うことです。
 私が仕事に携わっている間はどうか良き協力者が助けてくれて欲しいこと、高齢化して行く職人さんですがせめて私が仕事をしている間はがんばっていてくれたらなと勝手な願いですが、最近ひしひしと感じることです。着物は一人の力だけでは形になりません。着る側があれば支えて行く人たちも多く必要とします。伝統を守る事、継承させることの難しさは複雑で一言では言えない事ばかりなのです。

 だんだんと秋深くなって行く中で着物姿で歩く人を見るにつけ考えさせられる事なのです。
いつもどうしたらよいのかと、私の頭から離れません。

2011年10月17日月曜日

浜風強し


 15日は横浜ゲーテ座でのコンサートでした。風も強かったのにお誘いした何人かは着物姿でいらして下さって、とても嬉しく思いました。いつもなら着物の私も改装中のために箪笥が簡単に開けられない状態なのでこの秋は着物が着られず残念です。来年こそは着物を楽しもうと思っています。着物姿を見せて下さった皆様ありがとうございました。
ンサート終了後は元町の馴染みのフレンチレストランで関係者一同で楽しく会食しました。
 いつもながらの美味しいお食事でその日は耳も満足、お腹も満足の楽しい夜が過ごせました。食事は大変に時間を掛けたサービスなので終わる頃には全く動きたくない気分になるので、こんな時は横浜で泊まり、明くる日には中華街でぶらぶらして帰宅するのが恒例となっています。 

工事中の家に帰っても仕方ないので、16日には一度行きたかった八景島のシーパラダイスに家族で行って見ました。
久しぶりに海をみて嬉しくなりました。いつも山ばかりなので子供の時から好きだった海は心が広がって行くようであります。この日は風が強く吹いていて飛ばされそうでしたが、波が寄せる様子はあの悪夢のような津波からはほど遠く気持ち良く感じられたのです。 
またいつか南の島にのんびりと出掛けたくなりました。

 子供のようにセイウチの背中に触れてみたりイルカたちのショーも見て海の生き物にも多く出会うと動物も魚も人も皆一緒と思えます。
マンボーが悠々と泳ぐ様子は特に癒されます。
海も山も自然はやはり良いなーと海からの強い風に吹かれながら横浜での小旅行を楽しんだのでした。


2011年10月12日水曜日

始めに蔦が


 先週からの連休では八ヶ岳から蓼科までドライブの機会があり、晴天が続く中を山々の紅葉の様子をじっくりと観察することが出来ました。
 今月と来月にまたがり徐々に楽しめそうですが山々は陽の当たり方によっても違います。
良く日が当たるところは少し黄味を帯びて来ていますがその中にあってすでに赤く色付いた木々も所々アクセントのように見られます。

大きな松やダケカンバの太い幹に蔦が這い上がるように絡まって昇っています。その蔦はすでに真っ赤に紅葉していてどこまでも高く這い上がる蔦は山の中でも目立ちます。思い切り陽を浴びるせいなのか、最も早く色付いています。
 どうやら蔦の紅葉が始まると一気に紅葉が進む樣です。そのうち黄色から赤への段だら模様に山は覆われて落葉松の林が真っ黄色になり金の雨を降らし終わると初冬への景色になって行くことでしょう。

 蓼科の山の中に静かに建っているホールで9日には秋のコンサートに行きました。
木造のホールは大きなガラス窓に唐松林の借景が広がり、ホール内からも秋らしい日差しも感じられます。
古典からミュージカルの曲まで数々の歌が歌われて楽しい音楽会の午後となりました。
夜には場所をゴルフ場に移してパーティとなり参加者全員和気あいあいと話も弾んで、夜はチロル風の素敵なホテルに宿を取り秋の夜長を過ごしました。主催者の陰のご苦労に頭が下がります。

 早朝には露天に浸かり山の景色を眺めて、昼には蓼科で親しい友人たちと昼食を取り、まだ陽のある内に八ヶ岳の山荘に戻ったのでした。
ドライブの往復の道中、広域農道の左右には蕎麦の畑がどこまでも広がりパノラマのように南アルプスや八ヶ岳連峰が見えます。蕎麦畑のなかに時々赤い花が見えるのはあれは赤蕎麦なのでしょうか。ほとんどが白い花畑なので目立ちます。

 八ヶ岳アトリエでの朝夕は肌寒いのでストーブが必要です。うかうかしているとあっという間に暗くなるので夕方の犬の散歩は早めなくてはなりません。
その分夜が長く思えるので本当は読書をしたり音楽を聴いたりしたいのですが友人たちのおしゃべりに花が咲きすぎてなかなか静かには過ごせないのが現状ですが、それもまた楽しくて、少々はしゃぎ過ぎて疲れて私はすぐに寝入ってしまいます。

 八ヶ岳アトリエの庭から見える落葉松の林の中には見上げるような高さに蔦が落葉松の幹に絡まっているのが何本か見えてその綺麗さに思わず見とれてしまいます。朝陽を浴びても夕日に照らされても美しくて蔦の赤さが映える着物を創りたいと思うのです。
赤い蔦に映える地の色はどんな色が良いのかとキッチンから眺めつつ料理をしながらも考えます。
 赤に映える黒地、高い秋の空の色、いや、しっとりと古代茶の地色かと想いを巡らします。若い方より人生経験を積んだ年齢の方々にあの赤い蔦をどのように深く表せるかと重厚なる秋の赤を考えてしまいます。
蔦は楓やもみじほど葉が薄くないので、どっしりと重厚で艶のある紅葉となるところが魅力に思えます。
毎年、秋の始めの悩ましい紅葉は私に取っては蔦なのです。そして好きな秋のモチーフでもあるのです。日ごとに深まり行く秋、お月様が煌々とススキの原を照らしておりました。


2011年10月3日月曜日

10月の女神の到来は、、、


 ついに10月となってしまいました。毎年思うのですが10月の扉はキンモクセイの香と共に秋の女神が扉を開けて降り立つような気がします。女神はキンモクセイの色の黄色いゴールドがかった薄いベールを秋の風になびかせて来るのです。
豊穣の実りを籠いっぱいに容れて大勢の侍女を従えてやって来るのです。
これはいつも私が抱く10月のイメージなのですが少々乙女チックといわれようとも毎年少女時代から想うイメージなので今更変えようも出来ないのです。
 小さいときからギリシャやローマ神話に憧れて西洋の絵画をよく見ていたせいかもしれません。こと神話と言えば西洋のみならず日本神話も大好きで神話を読みながら眠りにつくと想像が高まりとてつもない夢を見られます。これも現実の煩雑さか逃れたいと思う故なのでしょうか。想像の世界に遊ぶ楽しさは小さいときからのんびり屋だったマイペースの私の癖でもあるのです。

 今は東京と山梨の八ヶ岳のアトリエを行ったり来たりの暮らしなので,週の前半が東京、後半が八ヶ岳での生活と交互に過ぎて行きます。
山では少しづつ木の実が色付いて来ました。赤、橙色、青、紫。黄色。茶色と様々です。ナナカマドの赤い実、山帰来やサルトリイバラの橙色の実、などなどが目につきます。
中でも交通標識のように目立つマムシソウの真っ赤な実は背もそう高くなくてまるで工事中ですよと言わんばかりにユーモラスにひょっこり立っていると見る度に微笑んでしまいます。私はここですと意思表示をして目立とうとしているのは鳥たちにアピールして啄んでもらうためなのでしょう。必死に立っているような気がしてなりません。その名前とは対照的で秋のマムシソウは私にとっても山の秋が来たんですよという道しるべにもなっているのです。

 友人が庭に植えてくれた山椒の木はどんどんと大きく育って秋には小さな赤い実が沢山付いていました。山椒の実の佃煮が好きな私は「これなら佃煮にすれば良かった」と言うと友人は「青い内でなくては佃煮になりません」と教えてくれました。赤くなる頃には固くて、来年はタイミングが合えば挑戦しようかと思いました。山椒の実と昆布の入ったおむすびは美味しいのでこれを目標にと思いますが、誰かさんが買った方が早いと言うので,実現出来るでしょうか。 

まだ山では紅葉が始まりません。わずかにニシキギが赤くなり草紅葉がちらほらと足下に見える程度です。ススキが一面に白い穂を開き秋の風に揺れています。今年は度々山に行くのであの美しい落葉松の紅葉が降り注ぐ日に出会えることでしょう。あれはまさに金の雨と言いたい景色なのです。

 この頃は犬たちの散歩の途中に3回に1回くらいは森の珈琲屋さんに立ち寄り一休みします。先日は「焼きたてのふわふわシュークリーム出来ました」と入り口の黒板に書かれていました。ほとんどお客が来ないところなのに頑張っているなーと思い珈琲と共に頼んでみました。 
 店主は私がベランダに腰掛けると「お寒くないでしょうか」と座布団を持ってきてから「しばらくお待ち下さい」とやおら頭を下げて引っ込みしばらくして現れるのですが、例によって私の好みからすると、やや温度が気持ち低い珈琲を煎れて来るのでいつも「何でだろうか」とこれが適温なのかと思い店主の丁寧な応対に吞まれてしまうのです。 
小さなシュークリームが運ばれて来ました。折角焼いたのに食べる人が少ないのはシュークリームが可哀相と思う私ですが、てっぺんの帽子のようなところは小さくふたつに折って店主のいないときにそっと犬たちに上げました。
 だって犬は珈琲が飲めないのだからと勝手な理由を付けて、私と犬たちの散歩の一休みはなぜか現実離れした時間の中で、目の前の八ヶ岳の山々をぼーっと眺めながら過ぎて行きます。不思議と、この時には時間が存在しないようなおかしな気分になりますが急に秋の風にほおをなぜられて現実に戻り、それからまたすたすたトコトコと私と犬たちは山荘に戻るのです。宮沢賢治風な珈琲屋さんを後にして、、、。

2011年9月26日月曜日

秋雨と彼岸花


 台風が去り一時は秋晴れの良い天気でしたが、また崩れ始めて今はしとしとと秋の雨が降り続いています。
布団の数も一枚増えて夜の外出には上着も必要になりました。
9月のはじめと終わりはお彼岸を挟むと、こうも気温が違うものかと9月の着物選びに変化があり、うれしいような気忙しいような月であります。



 工事中のため、庭をゆっくりと眺めることもなく,何となく手入れも怠っていますが,2、3日前にふっと気付くと赤い彼岸花が咲いていました。
昨年は咲かなかったので、とうとう消えてしまったかと思っていましたから、少し嬉しくなりました。

 サルスベリが終わり、何も花が咲かない時期ですから赤い花の色は目に鮮やかです。
いつも彼岸に咲くことが決まっている不思議な花、曼珠沙華は歌にも歌われていますが9月を代表する花でしょう。どこかで見た色に似ているなと考えていたら、山のアトリエの近くの別荘の庭に咲いていた赤いサルビアと全く同じ色でした。
 このサルビアの花畑もとても綺麗で秋の青空に映えていたのを思い出します。9月の赤と呼ぶのに相応しい気がします。
それは乾いた赤で緋色というのか、他の花の赤とも少し違って見えます。湿り気のない赤色という感じです。

 子供の頃は彼岸花はあまりにきれいな花なので抱えきれないほど摘んだ思い出がありますが、でもすぐにしおれてしまって泣きたくなりました。あの時代には東京も少し郊外に行けば田んぼのあぜ道にどこまでも彼岸花が連なって咲いていたのです。
 田んぼのあぜ道の向こうには美味しい鰻と川魚のひなびたお料理屋さんがあって、いつも父が連れて行ってくれましたので食欲の秋の頃の鰻と彼岸花がセットになって子供だった私の脳裏に今でも刻まれています。

 ガレージの上の少しだけ盛り土してある片隅に咲いた彼岸花に郷愁を感じる秋の始まりです。
そして赤いサルビアも亡き母の大好きな花でありました。秋雨の音が静かに聞こえて来ます。彼岸花を見ていたら今日はちょっとだけセンチな気分になりました。雨のせいでしょうか、ふっと父の祥月命日が近づいていることに気が付いたのでした。

2011年9月19日月曜日

九月の匂い


 雨が時折降ったり、風が吹いたり不安定な天気が続き、台風も次々と発生しているせいか、天気が定まらない中、今日までの連休を八ヶ岳で過ごしていました。気の置けない親友が同行してくれて、他愛のないおしゃべりや学生時代のエピソード、そしてもう二人にとってとっくの昔にあちらの世界に旅立った両親たちの思い出や,いかに幸せな少女時代を送ってきたか等々,話は尽きませんでした。
 少女時代からの親友ははお互いの家庭のことも知っているので懐かしく夜の更けるまで話し込んでいました。良い休日になりました。

 朝夕には雨が止むのを待って1時間ずつの散歩に山の中を犬たちと出掛けます。
霧雨の煙る中や突然晴れて天気雨のようになる空の下をトコトコと滑らないように歩きます。木々から垂れる滴はパラパラと音を立てて,私の顔に降りかかります。ぱっと日が差すと草むらは急に草いきれの匂いが満ちて湿り気のある草木からは匂いを放ちます。
これから実の付く前の花の匂いも立ち、香りが満ちて来ます。少し蒸されたような草木の生気があたり一面に漂います。
瞬間、あ、これが9月の山の匂いだなと感じます。本格的な秋の乾いた空気とは違い、湿った匂いのする9月の匂いだと感じるのです。
野菊、トラノオ、アキノキリンソウ、ツリブネソウがススキの間に交じり彩りを添えています。

そんな降ったり晴れたりする天気の中を、ひたすら一人と二匹は気の向くままに歩き続けます。
この間見つけた森の珈琲屋さんで一休みしてみました。美味しい珈琲を時間を掛けて煎れてくれます。
デッキのところで犬を休ませて飲む珈琲は香り高く,目の前の林にまで香りが流れて行くようです。九月の風も感じるのはこのときだけと思わず目をつむり、風の音の中に9月の木々が放つ匂いの中に身を浸します。 

 紅葉が始まる前、夏が遠ざかっていった山々の景色はまだ青々としていますが、秋を迎える準備は着々と,密やかに始まっていると思わせます。9月は夏と秋の狭間に立っていて短期間ですが、貴重な月なのです。ノイバラに実がつき始めていましたがまだ赤く色づいてはいません。ペンションの垣根に沿って咲く秋の薔薇も9月の今が盛りでした。

2011年9月14日水曜日

八ヶ岳アトリエへ仮移転のお知らせ

 工房スタッフのそめとらよりお知らせです。

 残暑厳しい9月の後半ですが、皆様にはお元気で秋を迎えられることとご推察申し上げます。

 さて、工房ブログ内でも何回かお知らせしておりますが、かねてより、あらた工房ではリニューアルの為の改装工事を進めております。

 今回は耐震工事も含め工期が大幅に遅れており、予定しておりました2011年度の秋冬の新作展示会の予定も立てられないのが現状です。





 つきましては、現在、東京のあらた工房の活動拠点を、山梨県北杜市にある八ヶ岳アトリエに一時的に移転することになりました。
 期間限定の仮移転ですが、工房の作品群を、八ヶ岳アトリエ内にてお客様にもご覧頂けるようにそろえてあります。

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八ヶ岳アトリエへの仮移転期間

日時 2011年 9月23日(日)〜12月4日(日)


住所 山梨県北杜市大泉町西井
出8240-3890


交通アクセス

●最寄り駅 JR小海線(八ヶ岳高原線)甲斐大泉駅より車にて3分
(駅までお迎えに上がります)

●中央自動車道 長坂ICより車で18分

 アクセスは車、高速バス、電車とありますが、お出かけの際には
詳しくご説明させて頂きます。東京より約2時間半ほどの距離です。






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 八ヶ岳アトリエは南アルプスを臨む位置にございます。美味しい水や空気、野鳥のさえずり。そして景色がお迎え致します。
 少々、遠方ではございますが、これからの季節、八ヶ岳山麓は美しい紅葉で秋色に輝きます。ぜひお遊びがてら八ヶ岳アトリエにもお越し下さい。
 お越しになられる日は必ずご予約下さい。しばらくの間ご不便をおかけ致しますがどうぞよろしくお願い申し上げます。

工房へのご予約はこちら
http://www.arata.jp/reservation/index.html


地図1


地図2



2011年9月12日月曜日

ススキなびく原で


 九月も半ば近くなりましたが高気圧のせいでしょうか、,昼間は結構日差しも強く一生懸命歩くと汗ばむほどです。
しかし日の落ちるのは急速に早くなってもう6時頃から散歩に出ると7時にはかなり暗くなってしまいます。
夜明けも遅くなり朝5時をかなり廻らないと朝日が昇ってきません。

細く赤みがかったススキの穂も今では穂がすっかり開いてふさふさとして秋の風になびいています。
山のアトリエの前には私の背よりずっと高く2メートルもあろうかと思うススキが生い茂り、その根本にはやはり大きく背の伸びた薊が多く咲き、またところどころに山の萩の株が垂れて濃い赤紫の花をふるわせあたりに花弁をこぼしています。

 もう少し経ち秋深くなれば色々な木の実が目に付く事でしょう。まだ紅葉までは間があるので秋の月でも眺めて待ちましょうか。

 この8月からは工事のために全てのテレビが外されて以来、全くテレビのない生活になってしまいました。
最初はなんだか物足りなくておかしかったのですが最近はもうテレビのない生活にも慣れてしまいました。無ければ無いで過ごせるのですが、今までのテレビに取られていた時間の多さは何だったのだろうと考えます。
 テレビは時計代わりで結構くだらない番組も批判しながらも見ていたりしていた時間が今更もったいない気がします。
加えて最近のニュースの報道に対する信憑性やらが問われていたりすると真剣に見ているのもばからしく思えても来ます。ニュースは事実を知るだけで充分であろうかと思います。

 この夏は不便な暮らしを強いられていますがそうなると今まで見えなかった物も見えたり聴き過ごしていた音も聞こえてくるから不思議です。
便利すぎる暮らしの中で安穏と過ごして来た日々は、音にも溢れていて、テレビは勿論のこと音楽に浸り、絶えず音のする世界に取り巻かれていた気がします。
 テレビを見ない日が続くと今まで音楽をBGMとして流していたことも忘れて静寂の中で食事をしたりする事がかえって落ち着くような気持ちにさせられて、こんなに静かな刻の流れがあることを認識するのです。
今年は夏から秋にかけて聞く音に敏感になりました、夏の盛りの蝉の声、花火の音、虫の鳴き声と季節に移ろいながら様々な音が耳に入ります。

 こうやって考えると日頃は音の渦の中で気にもせずに暮らしてきた事がよく分かります。
ススキが秋の風になびいて擦れ合いながら音を立てます。風が強く吹けば落葉松が大きく揺れてざわざわと風が通り抜けていく音を立てます。
自然界の音は全く予期もしない中で様々な音を突然に聞かせてくれます。今まで気にもしなかった音に敏感になります。
鳥の鳴き声、木の葉の落ちる音も全部自分から発したわけではないのは当たり前なのですが、これらの予期せぬ偶然の音は心に響いてきます。
 秋という季節が奏でる音を拾い集めて今年は楽しもうと思います。今度は山栗の落ちる音も山道で聞こえるかもしれません。雨の音、滝の音、川の音も皆個性的です。そして音にも色がそれぞれありイメージ出来て来るのです。

2011年9月5日月曜日

オオコウモリに会いに


 降ったり止んだりの台風の影響が残る日曜日、朝、上野動物園が開くのを待ちかねてオオコウモリに会いに行きました。
もう2,3年前からコウモリが気になっていた矢先に今年、来年は国際コウモリ年と言うことで上野の動物園でコウモリの特別展があるのを知ってこれは是非見に行かなくてはといつものように勇んで出掛けたのです。

 何故コウモリといわれても自分にも分からないのです。もしかしたら怖い物見たさとか吸血鬼の映画に出てきてドラキュラ伯爵がコウモリに姿を変えるのを観たから、、、それから洞窟に潜んで沢山のコウモリがぶら下がっている映像を見ていたからかよく分からないのですが、ずっと昔から気になる動物ではありました。
ここ最近はハロウィンのグッズや西洋でコウモリのお祭りがある様子なども見て、ますます興味が湧いてきて、私の世界にもコウモリを題材とした作品が出来ないか、挑戦してみようと、とつおいつ考える日々がありました。どんな形どんな技法で表現したら面白いか等と昨年からは背景になる素材を見つけて、背景のみ染めても見ました。

さて肝心のコウモリの姿ですが、なかなか私の中で固まって来ません。怖さを避けるあまりに漫画チックになってもいけません。なかなか決まらないのは間近で見てないから後ろ姿か良いだろうか、前からかなどと迷うからなのです。
 今回出掛けた特別展は「コウモリ展ー吸血鬼なんかじゃないもん」というタイトルで面白かったのですが、展示室そのものは本やビデオがあったりするだけで本物がいないので一寸がっかりでしたが係のボランティアの方が一生懸命来場者に向かって「コウモリは「明治までは愛されていたのに西洋から伝説や悪魔の使いみたいに言われたので不気味なイメージが定着したんです」と何回も語りかけている姿にそういう私もその考えに毒されていたのだろうなと同意せざるを得ませんでした。

 本物は小獣館に行けば見られますよの言葉を聞いて早速見に行きました。建物の出口の近くにオオコウモリがいました。
私もこれほど近くに見たのははじめてで興味津々で間近でガラス越しにかなり長い間観察しました。
木の枝にぶら下がり絶えず羽を開いたり閉じたりして前向きになっていたのですが最も私のイメージが勝手に先行していたなと思ったのはその体でした。

私はコウモリは体がネズミのようで、それに羽がついていると勝手にイメージしていたのは大きな間違いでした。体は見たくないと思っていたのに正面から見ることになったのでよく分かりました。
体はふさふさと深い茶色と白っぽい毛に覆われていてネズミのようではありませんでむしろ可愛くさえ思えました。顔は小さく何かに似ているなと思ったら我が家の甲斐犬龍馬に似ていました。同じ黒い顔ですが、ずっとずっと顔を小さくして龍馬が牙と歯を出したような顔でした。けっして気持ち悪い体ではなくて顔はネズミには似ておらず小動物という感じでふさふさの体はむしろモルモットのようでもあり、その舌で絶えず自分の羽を手入れしていました。まさか我が家の犬にも少し似ていたなんて驚きでしたが離れる頃には親近感さえ覚えて,勝手にネズミに羽がなんて思っていた私の単純なイメージは見事に覆されました。

 係の方に「あんなに薄い皮膜の羽で破れないのですか」と聞くと「それが破れないんですよ、絶えずメンテナンスしているんですから」との答えです。薄い皮膜には血管のような筋も見えて手がその先に付いていて足は木の枝をがっちりと掴みぶら下がっています。赤ちゃんのコウモリはその背中で休んでいます。
 本当に面白い生態です。飽きずに見ている内に全く不気味だの不吉っぽいだののイメージは吹き飛びました。見に行って良かったです。
何か私の中でこだわっていたもやもやが飛んでしまって素直にコウモリを図柄にして、かつての日本の装束にあるような粋な雰囲気の形にと考えられそうな気がしてきました。 
 
これから取り組んで行こうと思います。そうです明治時代前に日本人が表していたコウモリの世界に戻ってみます。
私の子供時代には夕方になると東京でもコウモリが飛んでいたのを思い出しました。
 このように自分の眼で確かめること、真実を見ることの大切さを今回のコウモリ展でつくずく思ったのでした。迷ったら原点に立ち返るというのは自分の為にあるようです。

まだまだ気になる動物や鳥は一杯います。またこんなに良い教室が上野にあるから遊びに来ようと思いました。
この日は小さな子供たちでパンダ館は混雑していましたが全く目もくれずに帰宅しました。楽しい日曜日でした。

2011年8月29日月曜日

蜻蛉飛ぶ空に



 八月も最後の週となり厳しかった暑さもやや穏やかにすこしづつ下降線をたどっているようです。激しく鳴いていた蝉たちもまだ鳴いてはいるものの気のせいか少し音が弱く聞こえています。
八月最後の日曜日,山から一応犬たちを連れて引き上げてきました。ほぼ20日ほど涼しい山の中で過ごしていた犬たちですがすっかり元気で夏の林間学校を終えました。
 犬たちに対して家族は山での長い休暇を林間学校と呼びます。9月に入ったらまた秋の林間学校に連れてゆきます。
 今朝は都会の朝を散歩させましたが山でのアップダウンに比べれば平地で私も楽です。ただし車の往来には神経を使うのと、よそ様の家の前でおしっこなどをさせないように注意するのは山ほど気楽ではありません。

 早朝の山道での散歩では、露草が青い花をいっぱい付けて朝露に濡れて茂っていましたが,その露草の原を何度も転げ回って体中朝露に濡れてぐしょぐしょになりながらも喜ぶ犬の様子は本当に見ていて楽しい限りでした。
夜に雨が降ると道の端に地下水があふれ出て小さな小川のようになり、その水を時々ちょろちょろ飲みながらの散歩は犬たちにとっても甘露、甘露と言いたいことでしょう。   

野あざみに留まる蝶を時に追ったり小鳥の鳴き声に私も犬も木の梢を見上げたりして散歩するのは都会で車を除けながらの散歩とは大違いです。

 今度山に行く頃はアキアカネに会えるでしょうか、めっきり蜻蛉の数も減ったのですが気候のせいか、農薬のせいかわかりませんが,20年前には多くの蜻蛉が群れていた姿を見ました。
洗濯物を干す私の頭に留まったり指に留まったりしました。秋の日差しと蜻蛉は絵になります。


 先日私のところで染めた蜻蛉の染め帯の写真がお客様から送られてきました。
お母様の昔の着物に合わせられたそうですが調和も良く、素敵だったのでこのブログ内に掲載させて頂きます。
絽の帯に描かれています。暑い夏にも楽しんで着物をお召し下さることはとても嬉しく、このようなお写真が送られてくることは作り手にとって何よりの励みとなっています。ありがとうございました。
 
 そういう私は改築工事のため箪笥などを動かして、着物に手を通す機会があっても例年のように直に出し入れできません。秋までお預けになっています。工房は横半分が取り壊されている最中で大きな音が連日しています。

 壊れた壁から昔の壁の中が見えて解体の人が「懐かしいねー昔はみんなこの壁だったよ、これは何百年だって持つんだ」と言っていました。土壁の中には竹が格子状に組まれていてその中にも壁土が塗り込められているのが見えました。こんな壁を見るのはこれが最後だと私もしばらく眺めておりました。

 すこし高くなった秋めいた青空に家をこわす音が響いています。平成23年まで長いこと70年以上も頑張ってくれた家ともさよならを告げる夏の終わりです。

2011年8月23日火曜日

森の珈琲屋さん


 昨日、10日余りの休暇を終えて東京に戻るとこちらも雨模様で肌寒い位の涼しさに驚きました。
山でも4日ほども雨に降り込められての帰宅で、これはもう秋口の天気に急になってしまったのかと,残暑を感じるひまもないうちに夏が去っていくのは少し残念と思うのも勝手なものです。
改築中の工房に戻ってみるとお盆中だったと言うこともあり、思ったほど解体が進んでおらず、改装するところとそのまま残す部屋との境はコンパネでがっちりと仕切られて居場所が極端に狭い状態となっていました。これでは当分制作活動は東京では出来ず、山のアトリエで目鼻が付く秋まで制作に従事するように早く気持ちを切り替えて行かねばと決心するのでした。

 8月上旬から工事の邪魔になるからと、犬たちを連れての山暮らしを家族とローテンションを組んで滞在中の犬の世話に当たることにしました。
 犬にとって散歩は欠くべからざる事で犬の喜びはたいへんなのですが、我々にとっても山の散歩は自分たちの健康状態を顧みる大事な行為を含んでいます。

 いつもの散歩コースの途中に道に面してやや古びた珈琲屋さんがあります。下る坂道にあるので、いつも片眼で見ながらも急ぎ足で犬に引っ張られて通り過ぎてしまうのですが,先日は友人と連れだってののんびりした散歩だったので寄ってみる気になり,そのドアを開けてみたのでした。

 店内はお洒落と言うにはほど遠い感じでしたが、カウンター席がいくつかと椅子席のテーブルが並び、隅には低い机の周りに座布団がありくつろげるスペースもありました。
 この店は昔草木染めの工房だった事を思い出したりして模様替えをそれほどしないで引き継いだのでしょうか。
 すでに二人の客が居て挽いた珈琲を買って帰るところでした。我々3人の座った席の前には業務用のような大きな珈琲の焙煎機がどっかりと置かれていて私はこの店にこんな焙煎機があるのに少し驚いて見上げてしまいました。都会でもお店の中に大きな焙煎機が鎮座しているのは余り見たことがないです。
そう言えばお店の看板には自家焙煎の店と書いてありました。こんな山の中で人は滅多に通らないのに商売が成り立つのかと不思議です。

 何よりも印象的だったのは店主の雰囲気でした。私たち3人だけのお客でしたが焙煎機の前でおしゃべりをしていましたが、空いている割には待たされてしばらくしてからお水を持って来たので、珈琲を注文すると誠に丁寧に頭を下げてゆっくりと注文の珈琲を反復した上、「しばらくお待ち下さい」と丁寧に答えるのでした。
 ちょっと年齢が分かりにくい中年の主人でしたが,注文を聞いてから珈琲を挽くのか、焙煎をしているのか分かりませんがずいぶんと待たされた気がしました。
 しばらく経ってから「大変お待たせしました」と一人ずつに珈琲の名を言いながら丁重にカップを置くのでした。 
 気持ちぬるめの珈琲でしたがこれが本当なのかなと思わせるほどの丁寧な応対だったので、いつも街角でフーフー言いながら急いで飲む珈琲とはまた違うなと思いつつ、店主のスローな煎れ方のせいなのか、山だからカップがすぐに冷える事に気を付けている私の注意点と同じなのかと考えつつも煎れるのに時間がかかった分、ゆっくりと飲み干すことにしました。

 一寸気軽に立ち寄っただけなのに,結構時間がかかり、まだ明るかった外の景色も店を出る頃にはかなり夕闇が迫っていていかにものんびりした休憩でした。
 「都会では考えられないわね。やってゆけないわね。」とつぶやいた私は何故か宮沢賢治の小説を思い出していました。あの店主の雰囲気がそう思わせたのかもしれません。丁寧でゆっくりした応対とたった一杯の珈琲に取られた時を忘れたような時間の経過を暮れゆく山の景色の中に感じていました。思えば思うほど宮沢賢治のお話に登場しても良いキャラクターだなと勝手に想像してしまいました。あの店主の物腰は独特でした。

 デッキにも椅子席があったので今度は犬たちと散歩の途中に寄ってみようかと森の中の珈琲屋さんを振り返りますと、看板のところに「あんドーナツ出来ました」と書かれた張り紙もあるのを見て、ますますこれは宮沢賢治の世界に近いと少し暖かい気持ちになったのでした。
 山の中、森を背にした珈琲屋さんはとっぷりと夕闇の中に静かにあったのでした。この日の散歩は案外私の夏休みの収穫だったのかも知れません。

2011年8月20日土曜日

秋雨前線


 お盆休暇たけなわな時期も過ぎてやや私の滞在している山のアトリエの辺りも人影が減り静けさが戻ってきたようです。
暑さも一段落すると急に雨が降り続き気温も急激に下がり、天気予報では秋雨前線がやって来たと伝えていますが、この涼しさも一時的なものとは思われます。まだまだ残暑はぶり返すそうですが、気温が16度となればこのまま秋が始まるのかと思ってしまいます。冷たい秋の雨に尾花が生い茂る原っぱでは雨露が尾花の先や葉にきらきらとついてしずくを霧雨に振るわせています。

まだまだ穂を付け始めた尾花は赤みを帯びていて穂もひらいてはいませんが、丈だけは高く一面に山荘の前に広がりその根元では野アザミが咲き始めています。
 雨続きで周りの山々はほとんど見えません。テレビから聞こえる甲子園からの応援の喧噪が静かになり高校野球も終わりかけると、夏もそろそろ終盤だなと毎年思います。すると不思議に空までも秋めいて見えるのです。

 あんなに夢中になって食べていたスイカも、この2、3日は涼しすぎて欲しなくなるのもおかしなものです。今日は頂いた讃岐うどんを暖かくしてお昼にしました。
 本当はお素麺を食べたいと思いながらも気温の涼しさにうどんが勝ちました。きっとまだスイカや素麺の出番はあるでしょう。そうは簡単に秋が来る訳はないはずです。
 今日は秋の味覚のピオーネを発注する伝票を書きながら外出もせずに静かに窓から落葉松に煙る雨を見ながら過ごしました。

 少し肌寒いので夜は村の温泉にでも入って温まりたい気分になっています。

2011年8月8日月曜日

再生に向けて


 明け方からミンミンぜみが激しく啼く今日より、いよいよ工房のリニューアルに向けて、改装工事が始まりました。厳しい真夏の太陽のもと改装部分が取り壊しとなり、がんがんと壊す音が鳴り響きます。
 昭和を頑張って生き抜いて来た家屋が、壊す音に悲鳴を上げているようです。家具をどけて壁などが露わになったところを見回すと、さすがにもう建て替える時期に来ているのだと思わずにいられません。中でも古びた欄間やふすまの取っ手、小さな障子窓の珊などが、古びた色合いになっていて捨てがたいものです。リニューアルに生かせるかもしれないという話なので、建築家の仕事が楽しみでもあります。
 私は丸い窓が好きなのでまた再び小さな和室にデザインしてもらうことにしました。

 これからの時期に落ち着ける居場所もなく、当分は山のアトリエ暮らしとなります。秋風が立つ頃には全てが終わることでしょう。荷物の移動は本当に大変でしたが、ここ一番踏ん張るしかないと毎日片付け作業に追われる日々でした。

 犬たちも工事の邪魔になるので犬を連れての疎開です。大きな物音に犬たちもはしゃいで興奮気味です。工事終了まで大きな台風に見舞われないように再び大きな地震に遭わないようにお参りにでも行ってこようかと思います。

創立記念祭について大事なお知らせ


こんにちは。制作アシスタントの渡辺です。

あらた工房の「創立記念祭」を、9月下旬より開催する予定でしたが、
今年は取り止めということにさせていただきました。

楽しみにしていて下さったみなさまには
心からお詫び申し上げます。
本当に申し訳ございません。

現在あらた工房では改装工事を行っており、
当初の予定より工事日程が延びますので、
残念ながら、今年に限り創立記念祭は中止せざるをえません。
あらた工房にお越し下さる方に、充分な環境を提供することが
できないという判断を勝手ながらさせていただきました。

今回の創立記念祭は中止になりますが、
次回の「秋冬のあらた会」はリニューアルしたあらた工房で開催いたします。

日程については後日こちらのブログと最新スケジュールにてお知らせいたします。

みなさまに楽しんでいただける素敵な会になるように計画しておりますので、
どうぞご期待ください。

では、まだまだ暑い日が続きますがお体にお気をつけてお過ごしください。

わたなべ

2011年7月31日日曜日

捨てる勇気


 この夏はかなり大がかりな改装を行う事になり、主に住まいの部分と一部仕事場の改装が加わり、毎日荷物の移動で大変な日々です。特に水回りを全部いじるとなると、毎日の生活も不便を来すので、どうして過ごそうか、真夏であるのが気楽といえばそう言えなくもなく、寝る場所も確保しつつの片付けです。住みながらの改築は二度目とはいえ、どんな八月になるかと思っています。しかし、もうスタートしたのだから頑張るしかない、これが最後なんだからと自分に言い聞かせて、作業をに追われる日々です。

 箪笥の中や物置の中を整理するには丁度良い機会だ、となるべく捨てる物は捨ててと覚悟はしたものの、いざ古い物を整理し始めると捨てると簡単に思っていたことが大変なエネルギーを要してへとへとになることを改めて思い知るのでした。片付けは他人に任せた方が良いと言う意見は知っていますが、言うほど簡単にはいきません。まだ私という人間が存在していて、その本人が決断して行かねばならないことは、自分の中に捨てる捨てないを決める二人の自分との闘いというか、折り合いを付けるというか、そのようなせめぎ合いが果てなく続く作業でもあります。
 日頃は自分でも三年見ない物、使わなかった物は捨てるべきなどと言い続けて来たのですが、これが実際に荷物を前にすると決心が付かないことばかりです。洋服類は比較的決めやすいのですが、それでももったいないと思う事もあり、終いには目を閉じて見ないようにしてゴミ袋行きです。アルバム、書籍類、靴などなど、整理しつつ考えさせられる事ばかりです。

 最もやっかいな物は、子供たちの学生時代の私物とか、自分自身の若い時に使用していた私物です。それと母の形見の品でしょうか。中でもとても迷った物の中に、自分が高校生の時に使っていた油絵の道具がありました。筆や絵の具はあきらめがつくのですが、パレットを開いてみると当時のままで、絵の具がパレット一杯についたままでした。一瞬、見なかったことにしようと閉じたのですが、再び見返すと私の青春時代の色があふれていて、そこにすべてが閉じ込められたままなのです。いわば私の原点が存在しているかのようです。ぽいとゴミの中には入れられなくて困っています。

 このように他人にとっては何も感じないが自分にとっては貴重、というところが他人に任せた方がよいということなのでしょう。そんな品々が山ほどあるのを見るに付け、また数え切れないほどの捨てるゴミ袋を見て、人は荷物の中で埋もれながら暮らしてきたのだと思わずにはいられません。この延長線に、よく世間で話題になるゴミ屋敷の住人の問題があるのでしょうか。

 それからひどく考えさせられたのは、立派な書籍である百科事典や辞書、図鑑の類でした。求めたときはそれなりの高価な本ですが、今となるとこの情報化時代、何でも調べられます。百科事典の内容そのものも古くなりすぎていて、現代では役にも立ちそうもなく、情報も陳腐化していたりするのには時代の流れを感じます。実際問題、私もそれらの本を開く機会など無くなっているのです。
 美しい挿絵の本や、時代を超えても価値ある本だけを残すことにします。童話集や子供の本も若い頃苦労して集めたのにかび臭いとか、くしゃみが出そうといわれてしまうのには悲しい限りです。

 このように物を捨てるというのは、思い出も捨て去り忘却の彼方に押しやる事なのだと実感しています。時には思い出の品々は過去の自分の分身でもあるので、その小さな分身のかけらを捨てるに等しい、捨てる勇気を持って行う作業に違いありません。そしてまだまだこれは延々と続きます。

 せめて八月に入り気温が涼しいのが作業を進めるのには救いとなっています。秋になればすっきりと物が片付き、自分自身も生まれ変わる事を想像して今月は片付け月間に徹しましょう。

2011年7月26日火曜日

古都は蝉時雨


 かなりの暑さを覚悟しての京都行きも、無事帰宅できました。盛りだくさんな計画をこなして、誰も具合が悪くならずに楽しく旅が終えられたのにはほっとしています。
 京都市内での素敵なコンサートに続いて、宇治川での鵜飼は初めての体験でした。人々の拍手の中、大きな黒い海鵜が、鵜匠たちに操られて飲み込んだ鮎をはかされます。真っ暗な水面に、ぱちぱちと音を立てて熱いほどに焚かれていた帆先の松明は、鵜がやけどをしないのかと心配するほどです。鵜匠の装束といい、暗闇での鵜の動きはショーでも見るかのようでした。昔の貴族の為の遊びとは言え、人はずいぶんと面白い事を考えるものだと感心するやら、鵜に生まれなくてよかった、などとおかしな事を考えたりしました。幻想的で優雅といえばそうなのですが、この行事を伝えて継承してゆくのは大変なことのようです。伝統を守る事は本当に努力がいるものだと思います。照りつける暑い京都の昼間に比べれば、川縁は涼しい風が吹き渡り、鵜飼見物は正解でした。一度ぐらいは見ておいていにしえの都人を忍ぶのもまた良い経験です。

今回の旅はいつもの京都行きとは違い、比叡山の延暦寺に行ってみたりもしました。かつてこの比叡山を信長が焼き払ったという史実は、今の我々には当時はどんなであったかと想像するだけですが、今は穏やかな緑なす山々の中で静まりかえっておりました。

 旅の最後の日には建仁寺に俵屋宗達の風塵雷神の図を見て、まだ見ていなかった天井画の双龍図を長いこと見上げていました。龍の絵を見るのは大好きでなにか力をもらえるような不思議な気持ちにさせられます。この絵を見ているときがもっとも暑くて汗をかいてしまいました。龍の力強さに圧倒されたのでしょうか。建仁寺の庭には円、三角、四角の庭があり、哲学的でもあり現代アートにも繋がる様でもあり、見応えのあるお寺です。夏たけなわのせいか、頭の上では絶え間無く蝉が鳴き続けていて、他に何の音も聞こえてきません。真夏なのだと感じてお寺の庭を眺めていました。

 若い時に来た京都は、仕事でいつもとんぼ返りだったり、沢山のお寺を駆け足でしか見なかったりと、じっくりと落ち着いてひとつひとつのお寺を見ることは出来ていませんでした。ここ最近は、ゆっくりと丹念にひとつづつ廻る余裕も少し出来て来ました。
 京都駅もまた綺麗になって、久しぶりに行くとまごまごしてしまいます。熟年修学旅行のようで、友人たちとの旅は味わい深いものです。何よりも酷暑の京都を克服出来た体力も喜ぶべき収穫でもありました。来年の干支は龍です。登り龍のように行けたらよいなーと帰りの新幹線の車中で漠然と考えて東京に戻りました。
 今週からは改修建築のために拍車を掛けて片付けをしなくてはなりません。七月もいよいよラストの週に入りました。取引先も夏休みの知らせがぼつぼつ届きます。さあ、旧盆までスピード上げて仕事を片付けましょう。

2011年7月18日月曜日

夏の結婚式に思う事


 猛暑の16日は親戚の結婚式に招かれました。暑いのは覚悟の上です。最近は七月に結婚式に呼ばれることも多くて,私は三つ紋の色留で波柄に織られた紋絽に白上がりで渦潮を描き、白糸で手刺繍があしらわれた着物を着て参りました。家から着て出掛けますし、車で会場に向かうので、着てしまえば思ったよりは暑い思いはいたしません。車も会場も冷房があるから一日中楽なので、夏だからと言って町中を歩かなければどうということはないのです。
 何人かの親戚も、夏の素材の訪問着を着ての列席でしたが、圧倒的に女性たちは洋装姿でした。時期が時期なので致し方ありませんが、若い方の夏の着物姿が見られないのはいつも寂しく思います。新婦、新郎の母は黒留袖でしたが、袷です。他の黒留の方も袷でした。もう大分前から、夏の結婚式には新婦にならい、黒留は袷を着ることが決まりのようになってしまったのは誠に残念でなりません。

 いったい全体、夏の結婚式は冬と同じで良いと決めたのは誰だったのでしょうか。いつの頃からその考えが定着してきたのか、考えてみると少なからず腹立たしい気もするのは、着物に携わる私だけが感じるのでしょうか。誰が決めたのかではなく、おそらく結婚式場の都合、ホテル、会館などの貸し衣装の関係で、いつの間にかそんなことになっていったのでしょう。
 それから、着物の知識や見識のない方が多くなり、式場側の説明で夏の着物は薄いから写真写りが貧弱になりますからお嫁さんに合わせたほうが良い、とか言われて納得される方が多いからでしょう。ホテルや会館側からのその説明の台詞は良く皆様から聞くので、どこでもそのように言われるということなのだと思われます。
 式場側がそう言えばそうなのだとお客様も納得されるのは、最近のように着物を知る方が減った今、反論して夏の着物で無くて良いのかと疑問を抱く方は先ず皆無でしょう。ましてや着物を借りての列席であれば貸す側のいいなりになります。そして貸す側も夏向きの物など、はじめから用意してないのが実情であればそう言わざるを得ません。
 いくら時代とはいえ、私には納得出来ないことが多いのが夏の結婚式の衣装です。百歩譲って花嫁の衣装は冬物だとしても、親族お客様までもが合わせる事は無いと思います。おかしいのは自前の着物で季節に合わせて出席なさる方までもが右へ習えとなることです。これは貸し衣装を前提として会場側が考えているから、ということにも原因があります。

 かつては仲人が立つ結婚式が主流を占めていた頃、媒酌人が黒留を着る時代ですが、度々、仲人を務める方々の中には季節にあわせた素材の黒留を着用しました。私も、単衣や絽の黒留の注文を受けて創らせて頂いたのですが、最近のように仲人を立てない結婚式がほとんどの時代、そのように見識を持つ方もいなくなり、簡略に簡略にと会場やホテルの都合やよく分からない出席者によって執り行われているように思えてなりません。豪華でなく派手でなくても良いから、着物の約束毎は守って行ってこそ日本文化の継承と思いますが、大げさでしょうか。何でも面倒なことは省いて行くのが時代の流れなら、なんと世の中はルーズになった事でしょう。
 振袖にも同じ事が言えます。夏の振袖も頼む人も貸す側にも無いので、私はあえて夏の振袖を創ります。

 いつか夏の結婚式に新婦も列席者も夏の装いで行われたらどんなに素敵でしょう。夏の結婚式に冬物夏物がちぐはぐに混ざり合う妙なこと無く集えればと思います。日本の夏は毎年気温が高くなっていきますが、昔と違いどこにもクーラーがあり、ずっと着やすいはずです。昔通りに夏には夏の素材で結婚式に装えたら良いのに、と思うのは今となっては夢のまた夢になってしまったのか、と少し悲しい思いになります。どうか式場の言いなりでは無く、自分の確かな考えを持って着物が好きな方はキモノライフを全うして欲しいと願うばかりです。

 気分の良い夏の朝を迎えました。なでしこジャパンおめでとう。日本全体に勇気を与えてくれました。ありがとう。

2011年7月11日月曜日

「蕗谷虹児展」に行く


 関東地方も梅雨が明けた真夏の日曜日には、「蕗谷虹児展」を鑑賞してからランチと言う集まりを開催しました。初めてお目にかかる方々や、何年ぶりかで会った方もいらして、20名の和気あいあいの集いとなりました。皆さん一様に楽しんでいられてほっとしました。

 大正から昭和にかけて一世を風びした、叙情画家の彼の素晴らしい作品を数多く見ることができました。素晴らしい絵にまた感心して、パリ時代のモダンで繊細なペン画は今でも通用する作品群です。しかし、あのような方でも戦争の時代や関東大震災の頃の復興の絵も描いていて、時代の流れを思わずにはいられませんでした。
 記念館では見ることの無かった絵も多くあり、見応えのある作品ばかりでした。講談社の絵本の挿絵などは、昔にみたことがあったような気がして懐かしくなりました。母の娘時代に人気があった方で、よく蕗谷虹児の名を口にしていましたから、母に見せたかったなとも思いました。いつまでも後世に絵が残り、若い方に知ってもらい、昔の日本女性のことも知るよすがになって欲しいものです。

 展覧会後にはヘルシーな中華ランチをいただき、皆さんといろいろな話をして盛り上がりました。窓の外はきっと暑いに違いないけれど、半日あまりを涼しい館内で過ごせたので、着物も苦にはなりませんでした。何人かは涼やかなお顔での着物姿で嬉しく思います。暑さに私も相当覚悟しての着物でしたが、着てしまうとかえって気持ちがシャンとするし、汗も止まるようで不思議です。改めて装う大切さを覚えました。

 前日の上野文化会館でのオペラ鑑賞も、暑い中無事に行くことが出来ましたので、充実した土、日が過ごせました。
 今年の梅雨明けは早かったので、夏はきっと長く感じられることでしょう。熱中症にならないように気をつけなければなりません。何をしていても暑いのですから、ひたすら何かをして夢中になれることを見つけて過ごすように考えます。
 用事はいくらでもあり、これから工房の改装に向けて、荷物の整理や片付けに追われる日々となりそうです。それにしても、家の中ってどうしてこれほど物があふれかえっているのかと反省します。
 今後はすっきりと暮らせるようにしなくてはならないとつくづく思うのですが、これがなかなか難しいことではあるのです。さあ頑張れ、と自分に鼓舞してだらだらとならぬよう、この7月を乗り切りたいのです。真夏の空は真っ青です。

2011年7月4日月曜日

あらた工房の改装工事について


こんにちは。制作アシスタントのわたなべです。

あらた工房は、この夏に改装工事を行います。
期間は7月下旬から10月初旬を予定しております。

よりよい環境でお客様をお迎えできるように、
展示スペースの拡充も計画しております。
改装後は、一新されたあらた工房でお着物を再びご覧頂いて、
皆様がお楽しみ下さいますように願っております。

工事期間内にお越し頂いた方々には、
ご不便をおかけするかも知れませんが、
出来る限り対応致したく思っております。

ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。

この夏でお別れの樹木


 梅雨明けのような暑さの日々が続いていますが、いよいよ七月になり、真夏への心構えも一段と強く思います。歳を重ねると、毎年夏を乗り切るにはそれなりの覚悟を持って過ごさねばなりません。特に今年はいつもの年とは違い、世の中も厳しい状況にあり、国中が節電対策に応えていかなくてはならないという状況に置かれています。

 三月の地震により、我が家も若干の影響を受けました。瓦屋根が何枚か落ちたのです。これを機に、昨年から計画中の耐震工事に拍車をかけなくてはならぬ事になったのです。
 昭和十六年に建てられた古い家屋で、それなりに愛着を持って手入れをしてきた家屋ですが、ついにこの間の地震には勝てず、今後のことを思えば瓦を取り替えて軽量にしないと危険ということになってしまいました。東京に直下型の地震が来ないという保証も無くなりました。 頑張って手を入れながら保たせて来た瓦が無くなるかと思うと、とても寂しい気持ちになります。きりずま式の屋根の鈍く光る瓦とその重厚さが好きだったので、残念ですがお別れしなくてはなりません。このところ、二階の屋根の瓦を見上げては、時代には勝てないのだとひとり昔を懐かしんでいます。
 そして8月からは、一部家屋の取り壊しの工事も始まることになり、片付けやら荷物の移動を考えると、何から手を付けたらよいかと思うだけで気が遠のく感じです。
 工事がしやすいように染め場へ続く木戸を壊す計画で、そうなると木戸に寄り添うように立っている木蓮の木を切らないとなりません。いつの間にか大きな木になってしまった木蓮は、私の中では何故か昭和のノスタルジーを思わせるのです。普通の色をした紫の木蓮とも今年でお別れです。
 それから、木戸の端にある凌霄花の伸びた木も切り倒さなくてはならないのです。今はオレンジ色の花を咲かせていますが、毎年花の少ないこの季節には貴重な花で、私を楽しませてくれて夏の夕焼け色だといつも思っていました。

 人が生きていく限り、あきらめなくてはならないことがだんだんと多くなって来るのだと、寂しい気もします。しかし、新しい事に向かうのですから、これも私にとっての小さな復興だと言い聞かせ、前向きに暮らして行くしかありません。
 季節外れに、木蓮がひとつふたつと不思議に咲きました。狂い咲きというのでしょうか。もうこの家に二度と木蓮を植える事はないでしょう。お別れなのかな、とちょっとセンチな気分になってしまった七月の始まりです。木蓮も凌霄花もごめんなさい、と詫びたくなる悲しい気分です。

2011年6月26日日曜日

夏の白い花たち


 猛烈に暑くなったかと思えば急に涼しくなったりと、気温もめまぐるしく変わります.日本列島は日ごとに天気が不安定な状態で梅雨なのか、台風なのかと入り乱れる天気予報に振り回されているようです。
しかし緑は濃く山々はこれ以上ないと思われる緑の重なりで夏らしい様子になっています。雨を一杯に含んだ木々は生い茂る草や絡まる蔦を従えてどこまでも濃い緑色が山や谷をより一層深く見せています。
 
 緑濃い葉の茂る中で白い花が目立ちます。蓼科方面にドライブしましたが長野に入ると特に山法師の木々が多くそれほど高くない木に枝を広げた葉の間に一杯に白い花が咲いていておもわず感嘆の声を上げてしまいます。今頃から夏の間は特に7月の山の景色として夏山に相応しい木だといつも思います。葉の形も可愛くて好きです。白い花は爽やかで、たとえて言うならハッカを口中に含んだときのような感覚を覚えますが花の白は葉の色を映すかのように青みがかった白です。
 何年か前に南アルプスの山の中で山法師の木がかなり沢山生えている場所に行ったことがありますがそこでは山一杯に花が盛りでしかもその白い花は見たこともないくらい大きくて圧倒されたことがあります。
街路樹として植えられた木とは違いたくましい山法師の林に迷い込んだことは忘れられません。今でも夢に出てくるような気がしてあれは夢だったのかとも思ったりするほどの不思議な景色でした。

 白い花は大好きですが先日庭の片隅に一輪のクチナシが咲いているのを見つけました。今まで椎の木の影にひっそりとあったクチナシの木でしたが日当たりが悪かったのか、何年も花は咲くこともなくて忘れられた存在でしたがたったの一輪が咲いたのに今年は気が付きました。
たとえ一輪でも香りがするのです。クチナシはなんて良い香りなのでしょう。天然のしかも期間限定の香水のようです。
クチナシの葉は固くつややかな深緑です。花はどちらかというと乳白色です。

クチナシと言えば歌謡曲で「クチナシの花」というのがありますが私の好きなのは同じ「クチナシ」」という歌でも高田三郎作曲。高野喜久雄作詞の歌の方が好きです。「荒れていた庭片隅に亡き父が植えたクチナシ年ごとに香り高く花は増え今年は19の実がついた、、」と始まるこの歌は聴く度になんだか身が引き締まり切ない思いに駆られます。
多分父親っ子だった私が19の歳に父に死なれた想いと重なるからでしょう。厚みのある独特な白い花と香しいクチナシはやはりこの時期の花です。来年はいくつ咲くでしょう。

 先日、私のお客様でMさんが京都の両足院からお庭の見事な半夏生の写真を送ってきて下さいました。半夏生は花ではありませんがその名の示すように美しい葉で白く刷毛で塗られたように緑色と白が混在して飽きることのない眺めです。こちらも夏の涼しげな景色となります。Mさんお写真をありがとうございました。私もいつか訪れたいと思っております。

 野山に見られる緑色と白の作るコントラストは蒸し暑い日本の夏にこそ映える色合いで私たちに爽やかさをプレゼントしてくれているかのようです。夏に咲く白い花たちはドクダミ、百合、ウノハナ、ウツギ、夏椿など他にも多くあります。それぞれの花びらの持つ質感は違いますし白にも色々ありますので良く眺めて楽しむことにします。

2011年6月19日日曜日

着物は生きている


 恒例の6月の「今昔の会」も終わり、またいくつかの古い着物をお預かりすることになりました。
 もうかなり前から「今昔の会」と名をつけて、6月にこの会を開催して以来、何枚何十枚の着物や帯を再生してきたことか、数えきれません。考えて見れば様々な要因があってこういうことを自分で手がけるようになったのですが、ひとえに着物たちがかわいそうだからという理由です。
 箪笥の肥やしなどと呼ばれるようになった頃、若い時に着た着物や帯の寸法が合わなくなったり派手になったりと、様々な理由で箪笥の底に眠ったままになっている着物たち。また、知り合いから頂いた着物や形見の着物などなど、誰もが多くの着物を抱えたままどうしようかなと思っているのも事実です。
 昔のように紺屋さんと呼ばれるような呉服屋さんが町に多く点在していた時代は、それぞれにそういう店に持って行って、何かと相談しながら着物の手入れや染め変えなどをたのんでいたのが普通でした。しかし現在では、ほとんどそのような店も町の中に見られなくなり、呉服屋さんも新しい物を店頭に並べる店が駅前やショッピングビルの中に入り、着物に詳しい年配の人も減りただ新しい品ばかりを中心に勧める傾向が多く、なかなか面倒な相談事には快く乗ってくれなくなってしまいました。

 時代がそうさせたのだと思っていますが、それでは昔の着物が忘れられたままになる一方です。着物の加工法に対する知識が乏しくてはアドバイスは出来ませんが、及ばずながらもこの仕事で生きてきた私が役に立ち、古い着物をまた世に送り出す手伝いが出来るのではと始めた会です。私の工房ではこの作業をすることも勉強にもなり、甦らせる楽しみも伴っています。正直言って新作を創ることの方が自由で制約が無いので楽なのですが、この仕事に携わるものの使命とも思い、出来る限り頑張ろうと思っています。

 新作を創る傍らですが、今では普段の時でも相談の着物を持ち込まれる事も多くなっていますので合間合間に預かる事もあります。
絹の着物はずっとずっと生きているような気がしてならないのです。これはどんなに古くてもその昔蚕が作り出した絹糸で出来ているからではないかと考えます。
 化学繊維では触っていても無機質でそう感じる事は全くありませんから不思議です。この不思議な感覚は多分私にしか分からないでしょう。時にはその着物の持つストーリーすら感じる事もあります。幾人の人たちがこの1枚の着物に関わってきたのかと考えるとどれもおろそかには出来ないのです。蚕から始まり紡いだ人、織ったり染めた人、加工した職人さん、縁あって求めた方、喜んでかつて袖を通した人等々、なんだか、これは私の勝手な想像ですが着物自身が語るストーリーがぼんやりと見えてくる気さえします。 ある意味今昔の会は私のライフワークのひとつかもかもしれません。新作を創り出す原動力にもなっているのでしょう。
今回の会期は夏の新作もまた皆様に見て頂くことが出来て無事に終えました。夏の着物も少なくなった今だからこそ、こちらも頑張らねばと思っています。

 会の終盤ににいらして頂いたkさんは手ぬぐいで創られた帯をお締めになられていて思わずご紹介したくなりました。蒸し暑い中きりりとした着こなしでとても素敵でした。周りの空気までも引き締まる感じだったことをが印象に残りました。

2011年6月13日月曜日

紫陽花に雨の日々


 梅雨真っ直中ですが、ここのところ雨は夜に激しく降り、日中は比較的止んでいることが多いので助かっています。今は紫陽花が美しい季節で、家々の庭や街角に雨に濡れて咲いていますが、どの紫陽花もひとつとして同じ色合いはありません。ブルー一色だったり、薄いピンクから濃いピンクにいたるまで様々で、植えられている土壌や場所により色合いも変わるそうなので、どの紫陽花を見ても綺麗だと感じます。私は萼紫陽花が好きです。中には真っ白なままの紫陽花もみられます。この季節は雨に濡れた紫陽花を楽しんで見ることにしています。

 紫陽花の葉も美しい緑で、その形はお菓子を乗せるのに丁度良いのです。私はよく、水羊羹を載せてお茶と一緒にお客様にお出しして、夏らしい等とひとり悦に入っていたのですが、昨年見た新聞に紫陽花の葉には毒があると読んでから驚いてしまい、それからは銘々皿に紫陽花の葉を乗せるのをやめることにしました。紫陽花の葉に乗せた水羊羹は絵になっていて、とても気に入っていました。我ながら良いアイデアと思っていたので残念です。

 今月は今昔月間です。色々な相談事に対応しています。併せて、あらたでは夏の着物や帯を展示しているので、お客様がお見えになります。
 相変わらず原発の問題は解決が難しく、色々なことに影を落とし人々の心を暗くさせますが、地震後の復興は、少しずつでも時に希望あるニュースが流れてきます。地震の後はしばらく着物を着て出掛ける気分にはとてもならなかった、と工房に見える方々はおっしゃっていましたが、最近になってやっと着物姿で出掛ける気持ちになったと言うことも同時に話されていました。この会期中にも何人かの方が着物でいらして下さって、私もほっとした気持ちになりました。
 相変わらず小さな余震も感じますが、何とか前向きに暮らして行ければと思います。何にも起きない平凡な日々こそがありがたいことだと、そして大事な日々なのだと気づかせてくれるこの頃です。落ち込んでいた気分から、今は良い意味で開きなおって、今日一日が大事、一生懸命過ごさなければと思います。明日は明日のことと割り切って、くよくよむやみに予想できないことに思い悩まないことにしよう、と心に決めています。

 庭の片隅の夏萩が今は盛りで、雨に濡れながらローズ色の花をこぼれるように咲かせています。この花が咲くと東京のお盆ももうすぐだと懐かしい人々を思い起こさせます。

2011年6月6日月曜日

梅雨の晴れ間に一息


 梅雨に入って4日に木曽の漆器祭りに早朝より出掛けました。毎年欠かさず行くようになって何年が過ぎたことでしょう。いつも雨に降られることもなく、梅雨の間を縫うようにお天気に恵まれます。塩尻のインターを下りて一路木曽方面に向かいます。両側には木曽の山々が迫り、その下を木曽川が早い流れを見せています。川からの風は涼しくて、澄んだ川の流れは爽やかに周りの緑濃い山々の色を映していました。私たちは漆街道と呼ばれる道を平沢に向かい走ります。平沢の隣は有名な奈良井宿で、ここにもたびたび訪れますが、旧中山道の宿場町として昔は千軒もの家々が軒を連ねていたそうです。そんな山間の村村で木曽の漆器が生まれたのでしょう。豊富な木材に恵まれた中で漆工芸がさかんになり、地場産業になったことはうなずけます。
 木の持つぬくもりに漆をかけるという事は、いつの時代に定着したのでしょうか。もっともっと私も勉強しなくてはなりません。日本全土にある漆工芸の特色を見ながらの旅は、さぞ楽しいことでしょう。もう大分食器は手に入れて、使い切れないほどあるので、新しい品を求めるのはちょっと控えめにしなくてはなりません。その代わり、大きな作品である机や箪笥に最近は心惹かれます。いずれ家を改築したときには、古い物を捨てて新しい道具を欲しいと思いますが、今回は見て歩くだけの木曽行きでした。しかし充実した旅でした。
 清流と緑の山の重なる山間にあちこち見えるガマズミの木は、白い花を付けて山のなかで両手を広げるようにした白い姿が目立っています。そして、高い木に絡まった山藤がその間にかいま見えて、これが6月の山の景色なのだと思わせます。

 山のアトリエの周りは蒲公英がすっかり綿毛を付けていたり、十二単が紫色の花をつけて群生していたり、急にチゴユリが増えていたりしていました。そのなかで山のツツジが咲き始めて、レンゲツツジも薄オレンジの蕾を持ちまもなく咲きそうです。雉もまだ啼いています。しかし当分は仕事で忙しく、山に行けそうもありません。
 今日からは「今昔の会」と「夏のあらた会」の始まりです。震災の影響は、どれだけ人々の心に影響を与えたかはかり知れませんが、古い物を大事にするという今昔の会の趣旨が、何人かにでも伝わればよいと願っています。そして、夏を楽しむ着物の素材や柄に心を留めて下さる方が何人かでもいれば、日本の衣装への認識が保てるのにと願ってやみません。
 より良い六月へのスタートが切れますようにと、山のアトリエにあるイタヤ楓の若葉を手折り持ち帰りました。玄関に飾ることにして、爽やかな青い風を呼び込みたいと梅雨の晴れ間に思っています。

2011年6月1日水曜日

佐藤節子と行く蕗谷虹児展(横浜そごう美術館)のお知らせ。


皆様、初めまして。そめとらと申します。
あらた工房唯一の男性スタッフとして、日々、イベント企画やHP管理を担当しております。

 工房では皆様との交流を目的とした楽しい企画を不定期に開催しております。ブログにて催しのお知らせを、時々告知させて頂きますのでどうぞよろしくお願いします。

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初めての方のご参加も歓迎いたします。

催し 佐藤節子と行く蕗谷虹児展(横浜そごう美術館)+お食事会


日時 2011年 7月10日 11時頃より


場所 「そごう美術館 蕗谷虹児展」
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/11/0611_fukiya/index.html



費用 6000円(食事代+入館料)くらいを予定しております。


内容 佐藤節子からのお誘い

いよいよ2011年の夏がやって参ります。今年の夏はどんな夏に なることでしょうか。皆様にはお元気でお過ごしと思います。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが「蕗谷虹児」は戦前戦後に かけて一世を風靡した日本を代表する叙情画家です。数々の作品を残し 大正から昭和にかけての着物姿やモダンな洋服姿の優美な少女を表現し当時の女性たちに絶大な人気でした。


 私も蕗谷虹児の描く絵は大好きで、若い頃からのファンでもあります。
 あらた工房のホームページの中でも挿絵として度々登場しておりますので、すでにご覧になられた方もあると思います。「蕗谷虹児記念館」にご協力を得ましてホームページ掲載の夢が叶いました。

「着物レクチャー」
「ムカシアルバム」
「瑠璃の会」

などの各コンテンツの冒頭にて絵を紹介させて頂いておりますので、よろしければご覧下さい。


そして、期せずしてこの夏に横浜そごう美術館で多くの作品が見られる展覧会が催されることになりました。
近年、大正、昭和初期のアンティーク着物もブームとなりその人気も不動のものとなりました。とても良い機会なので是非、皆様にもこの展覧会に足を運んでもらえればと今回の企画を立ててみました。

 来る7月10日に横浜そごう美術館における「蕗谷虹児展」を鑑賞してから、横浜そごう内の中華レストラン「桃源」にて昼食をしつつ懇親会を予定しております。ご都合付く方はぜひご参加下さいませ。

暑い頃ではありますが、夏の着物をお召しになるチャンスと捉えて、お持ちの方は着物にてのご参加も大歓迎です。

ご参加希望の方は食事の予約がありますので
7月4日までに、お電話か佐藤節子宛のメールにて直接お申し込み下さい。

お電話はこちら
03-3386-2792

お申し込みメールはこちら
http://www.arata.jp/setsukosato/mail/index.html

当日の費用は入館料、会食代を含め6000円くらいを考えております。
会費は当日でかまいません。
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皆様のご参加をお待ちしております。

2011年5月30日月曜日

薔薇の家


 5月は最後に雨台風にたたられて終わるようです。3日も雨が降り続くと、なんだかすっかり暗い気分になってしまいます。梅雨入りも例年より早く始まり、台風とダブルで雨が降るのには今からうんざりしてしまい、これからの長い梅雨の日々が思いやられます。この雨で被災地にまた災害が無いことを祈ります。

 ごく近所に薔薇で覆われた家があります。垣根の薔薇は、そのまま2階に伸びて家全体を包むように、まるで薔薇の家と呼びたくなるような風情です。当然、家の前を歩くと薔薇の香りが辺り一面に漂い、幸せな気分になります。よほど薔薇のお好きな家なのでしょう。年ごとに薔薇は見事になって、主に白薔薇ですが、淡いピンクやクリーム色もあり、強い色の薔薇は全くないのが淡いパステル画を見るようで美しく思えます。
 薔薇は5月の散歩の楽しみとして、私の中に定着しています。でもこのところの雨で、すでにほとんどが散ってしまったかしら、と少し残念な気がします。垣根に咲く薔薇は花屋さんにある薔薇とは全く雰囲気が違い、柔らかな良さがあります。薔薇の手入れはとても大変と聞いていますから、せいぜいよそ様のお庭で楽しませてもらうことにしています。近所では何軒か、私のお気に入りの薔薇の家があります。勝手にチェックさせてもらっています。


 やはり薔薇は5月が良いのでしょうか。秋の薔薇は少し小ぶりと聞いたことがあります。いつか薔薇が咲く庭園で、音楽会が開けたら良いなと私の中でイメージが広がります。薔薇咲く庭園を見ながら、弦楽四重奏を聴くとか、甘い歌曲を聴いてみたいとか、夢は広がります。薔薇は最もロマンチックで優雅な花ですから、薔薇好きな方たちの気持ちもよくわかります。
 メイストームの来る前に今年は薔薇を堪能出来てうれしく思いました。無残に散った薔薇は余り見たくありません。これからは雨に強くて雨の中にも色が冴える紫陽花を愛でて、梅雨の間も過ごしてゆくつもりです。こちらの方も見頃な紫陽花の咲く家を何カ所か覚えていますから確認しながら歩いてみましょう。

 最近はとてもお洒落な長靴があると聞きましたので、雨降りでも憂鬱にならないような綺麗で楽しい長靴でも新調してみようかと考えています。梅雨を迎える心の準備を前向きに、と思えば嫌いな雨の日だって元気良く外に出掛けられる事でしょう。

2011年5月24日火曜日

五月の雨


 先週の金曜日より23日の月曜まで山行きとなっていました。もちろん犬たちも連れての事です。土曜日には山荘でプライベートコンサートを行いました。緑の山々はいよいよ濃さを増して来ていました。今回はキブシの木の白い花がいたるところで見られて、その花の房が美しく高い木いっぱいに咲き競っていました。
 ジャーマンアイリスも道の端や田の畦に見られ、大ぶりな紫や黄色の花が目立っています。芝桜も色濃く、農家の庭先で地に這うように広がっています。
 滞在中、激しい雨が降る時も有り、雨が上がると木々や草花がまた勢いを増して緑が濃くなります。ここのところ度々山のアトリエに行くのですが、わずか3日しか経っていないだけなのに景色が変わります。5月という季節は自然の景色も大変な勢いで進んで行きます。草木の様子はまるでコマ落としの映画を見ているような気分になります。自然界のドキュメントの映像のようでもあります。

 山道を散歩していると色々な種類の菫を見つけました。珍しい色合いの菫があったので庭に移植しようと思い、いくつか掘り起こしてみました。菫だけの本を持っているので、これからゆっくりと名前を探してみます。菫は種がこぼれて増えてゆくので、また私のコレクションが広がるのを期待します。
 日当たりの良い場所にワラビが出始めたので採りました。早速あく抜きをしてさらします。明日の朝食が楽しみです。リスが落葉松の林の中で遊んでいるのを見ながらの静かな朝食は、贅沢な時間の流れを感じ、どんなものにも代え難い大事な時だとも思えます。足下近くに寝そべっている二匹の犬も安心しきっています。
 ベランダから見下ろすと、山シャクヤクの白い蕾が3つも見えました。今度来たときにはもう散ってしまっているでしょうか。咲く時を見てみたいものですが自然は私を待っていてはくれないでしょう。
 雨が降ったり止んだりの日々を過ごして来ました。

2011年5月16日月曜日

再び雉に出会う


 雲一つない真っ青な空の下、前方に八ヶ岳連峰を見つつ、後方に富士山、そして左にそびえる南アルプスというロケーションの中、私はまた2匹の犬に引っ張られるように朝の散歩に出ました。
 ゴールデンウィークも過ぎ、山をおとずれる人も大分減って来て、誰にも会わずに散歩して自然を満喫していると、前方に雉の姿が見えて道を横切ります。ああ、今年も雉に出会えたとうれしくなりました、きれいなオスの雉です。あちらこちらで鳴き声が聞こえてきます。昨日は家人が犬を連れての散歩中に、鹿の団体に出会ったそうです。動物たちが活動するこの季節ならではのことでしょう。
 先週に来て以来、少しの時間しか経たないのに景色はかなり進んでいます。玄関前のライラックは白い莟を付けていますし、フラミンゴの木も若葉が出始めて、落葉松はすっかり芽吹いて枝の先は若緑です。ユキヤナギはこぼれるほどに白い花をたわわにつけ、大きく広がりのびのびと、タンポポは数が増えてにぎやかに、そしてスミレも可憐に咲いていて、先週よりずっと大地もにぎやかになってきました。私は丹念に庭の様子を観察します。ヤマシャクヤクに莟が見えています。もうじきチゴユリも咲きそうで、これは群生しています。
 芽生えるということはなんて素敵なことでしょうか。小さな発見が山ほどあります。都会にいると、自然界のことに気づくことはとてもおおざっぱな感じとなり、感覚も鈍くなります。知らないうちに鈍感になることが最も私の恐れていることです。

 五感が敏感に反応できるようにといつも心がけています。忙しいと目先のことばかりに追われてしまい、自分さえ見失ってしまうので、いつも新鮮な空気を自分の体内に送り込む風が必要です。よい風をいつも身に受けていたいと、年齢が重なっていくほどに望んでいる毎日です。

2011年5月10日火曜日

初めまして。


 こんにちは。そして初めまして。

 あらた工房で制作助手をしていますわたなべと申します。
 
 あらた工房で助手として9ヶ月ほどたちましたが、
 着物の魅力にどんどん引き込まれていっています。
 日本の文化を継承して行くお手伝いが少しでもできたら、
 また、皆さんがおしゃれをして楽しい気持ちになって頂けたら、
 と思います。
 あらた工房では一番ひよっこで、着物については全くの初心者ですが、
 勉強して着物の魅力を知り得たいと思っています。
 
 このスタッフブログでは、あらた工房の最新情報等をお伝えしていきます。
 拙い文章ではありますが、よろしくお願いいたします。

 では、さっそく、あらた工房の最新展示会情報です。
 
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 6月6日(月)〜6月20日(月)
 「夏のあらた会+今昔の会」

 今回は、「あらた会」と「今昔の会」が同時開催です。
 ぜひあらた工房まで足をお運び下さい。

 詳細はこちらからご覧下さい。
 http://www.arata.jp/exhibition/index.html
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 わたなべ

緑のグラデーション


ゴールデンウイークも明けて、やっと平常になって来ました。震災以降どこか気持ちも落ち着かずに、ただただ芽吹きや新緑に浸りたいとの思いでしたが、それが叶い、今は初夏の着物に想いを馳せる余裕が出て来ました。
 様々な緑のグラデーションに溢れた山々、まだ雪の残る南アルプスの山々や八ヶ岳の嶺、山桜の淡いピンク、八重桜の莟、小鳥たちのさえずりに癒されての山歩きがまた活力になり、やる気ボタンをリセット出来た様です。

 特に鳥たちの鳴き声が体に沁み入るように感じました。山では鶯がゆっくりと鳴き声を聴かせてくれていたり、一日中雉がケーンケーンと啼く声が聴こえて来ます。明るい開けた草原や牧草地を、雉の家族が歩くのを目にした事がありますから、見えていなくても雉の一家が歩き回っているのだと思わせます。
 美しい羽を持つ牡の雉は悠々と一歩前に歩き、その後ろを牝の雉が、これはまた対照的に渋い茶色っぽい羽で地味に見えますが、続いて歩きます。またその後から、可愛い子供たちがちょこちょこと付いて行く姿に何度か遭ったことがあります。遠くに雉の甲高い声が聞こえるとその光景がすぐに目に浮かぶのです。まるで、ゴールデンウイークの雉の一家のハイキングと言う感じに見えます、がちょうど繁殖の時期でもあるのでしょう。派手なお父さん雉に比べて地味な色合いのお母さん雉がなんとも可笑しくてなりませんが、きっとそれなりの意味が存在するのでしょう。山のアトリエの周りは、雉の禁猟区なので安心して歩いているのでしょう。
 蛇を一回も見かけた事がないのですが、雉がいるからと近くの方が言ってました。真偽のほどは分かりませんが、とにかく蛇に出合わないのは良い事です。

 5月は全ての草木も動物たちも命の営みを謳歌している様です。
 以前に、南アルプスの山の中や林道を分け入った事がこの季節にありましたが、不思議な感覚に襲われました事を覚えています。人っ子一人もいないのに、歩いていると森の木々や風の音がざわざわとなびいて、まるで多くのものに見られているという感覚にとらわれた気持ちになったのです。大きな目に見えないものですが、誰かがいて、その中で無数の躍動する眼にみられているという感覚です。
 それは山の神か女神かがささやいているかのようです。思わず振り返ったりしたくなるのです。あれは木々や草、小動物たちの命の気配だったのでしょうか。同じ所に夏も秋も行きましたが、5月に感じた気配は全くなくて静かなものでしたから、この季節特有の気配なのでしょう。木々が芽吹き、いくつもの命が生まれる山々には、きっとパワーがみなぎっているのでしょう。私もそのパワーにあやかりたいと思うのです。
 山や森、草原での散策はとても意義深いものがあるのです。都会での散歩とは比べ物になりません。散歩の後の疲れは帰ると思わず暫しの間微睡んでしまうのですが、その夢の中でもケーンケーンと雉の鳴き声が絶えずしていて、草原を突っ切って林に移動している雉の家族が脳裏に浮かぶのです。五月の微睡みは、特別気持ちの良い良質の微睡みになるのです。

 そんな夜の夕食にはかならず山菜の天ぷらが作りたくなります。コシアブラの若い芽やフキノトウの天ぷら、コゴミのおひたしが食卓に並びます。山の恵は耳からもまたお腹にも入り嬉しい五月です。久しぶりに帰宅したら、名も知れない黄色い花の雑草がガレージの側の空き地にすっかり我が物顔ではびこっていました。都会の片隅でも命の躍動が息づいていました。

2011年5月2日月曜日

山の芽吹き


 4月末からいよいよ山のアトリエに行き今年の夏が始まる準備となりました。3月の地震による後片付けはいくつかのものが落ちたり壊れたりしただけでしたが、そのくらいで済んでほっとしました。それでも壁にある時計は地震の起きた時刻を指したまま傾いて止まっていたのが当時の地震の揺れを思い起こさせました。
かつての外国土産の花瓶は見事に割れていたのが悲しかったのですが、充分に楽しんだ後ですし、こんな被害ぐらいで済んだだけで良しと思わなければなりません。
ここ八ヶ岳の山々はまだまだ冬の様子で、芽吹きはかすかにしか始まっていません。今月のGWの終わる頃には落葉松も一斉に芽吹く事でしょう。ただ水仙だけは今を盛りと奇麗な黄色や白の花が凛と咲いています。それからダンコウバイの渋い黄色の莟が目立っています。
これからの日々が楽しみです。桜は富士桜と枝垂れ桜がそろそろ咲きそうで山桜は盛りです。
東京より半月は季節がずれているので山は花の咲くのも芽吹きも何もかもが一度に、そして一斉に始まるのは見事でいのちの輝きを見せてくれます。
朝と夕の犬の散歩も山では久しぶりで私も犬もうきうきとした気分で山道を歩き犬たちは土や草の匂いに興奮して草むらを転げ回ります。
私と犬たちとの至福の刻です。草も木も花も鳥も犬たちも、そして私も生きている、生きているという喜びに満ち溢れた散歩です。
散歩から帰れば、山の冷たい水で喉を潤し、5月の爽やかな日差しと木々を渡る風を受けて犬たちは思い思いにベランダでごろっと横たわり無防備な姿で寝ています。私も程よい疲れのなか、美味しい珈琲を飲んだりとゆっくりと刻の流れを感じて微睡んだりしてしまうのです。
今年の夏はどんな過ごし方になるのかな、などとぼんやり夢うつつで考えたりしています。小鳥たちの鳴き声が絶え間なく聴こえて来て音楽を奏でているようにも思えます。私の五月はこんな風に始まりました。

2011年4月25日月曜日

芽吹きの日のコンサート


 気持ちよく晴れた27日の日曜日は、小平市でのコンサートを聴きに出かけました。都心から離れて緑が多い小平では、欅が新芽を吹いていて、さやさやと若葉が揺れて気持ちの良い日でした。
 震災後二回目の音楽会です。一回目は三月半ばでしたから、すこし緊張感もあり、大げさですが決死の覚悟でコンサートに行き、それはそれで意義もあり、とても良かったです。その後はあちらこちらで音楽会の公演も中止になりましたが、やっとこのごろは自粛ムードはどうかという議論もあった上、また再開の方向になってきました。このまま復興へと進んでくれたら、地震も治まってくれたら、と思います。

 この日のコンサートは演目も分かり易く、軽快なモーツアルトから始まり、新緑に相応しい演奏曲が多く、大いに楽しめました。やはり音楽は心を癒してくれます。東京コダイラシティ管弦楽団の第一回記念演奏会という事で、楽団員も若い方が多く素晴らしい演奏でした。特に良かったのは「アルルの女」より第2組曲のなかでのフルートの演奏が印象的でした、私はフルートの響きが大好きで、時にその牧歌的な音色に心地よさを感じるので、聴いていて素敵な気分になりました。

 一緒に行った何人かの親しいお仲間のなかで、私の創った帯を締めて来て下さったWさんの帯を写真に撮らせて頂きました。図柄は桜の幹を表したものですが、すでに散ってしまった桜の時期にはよく合っていて嬉しく思いました。花の盛りの頃は花を愛でますが、散り始める時は何時も私は桜の幹に感謝してごくろうさんでしたと思うのです。あの逞しい幹があってこそ見事な桜を楽しめるのですから、咲く前も後も私は幹を撫でたり幹に耳を寄せたりする事があります。
 花の終わった頃の感謝の気持ちを幹に表し、散る花びらを添えて春の終わりを告げる帯です。空を見上げれば高い欅の木々に若葉が見え、近づく新緑の5月に思いが飛んで行くような美しい日の音楽会でした。

2011年4月17日日曜日

地震鎮まれ


 未だに続く余震に悩まされています。被災地は勿論、余震の度に不安におびえる被災地の子供の様子を見ると、気の毒になります。東京の私達だってその度にぎくっとしますし、思わずテレビで地震速報が流れると見入ってしまいます。やはりこの間の本震のトラウマがあって、またあんなに揺れたらどうしようと思ってしまうのです。心臓にもよくありません。三半規管の不調で、何時も船酔いの気分のようになってしまい、病院を受診する人たちもいるとの話ですが、頷けます。
 地震の終息だけは神のみぞ知るという風で、なかなか誰にも分からないのが現状ですから、困ったものです。我々は地震におびえながらも、おそるおそる毎日の暮らしを何時ものようにこなして行くしかありません。

 季節はもう桜も散り、新緑へと向かっていますが、人々の記憶には3月11日の地震の恐さが脳裏に焼き付き、心から笑い楽しむ事に少し躊躇する日々です。我が家のミニ庭園も、咲き分けの枝垂れ桃の傍らで、淡いピンク色の石楠花が盛りとなりました。部屋の窓からお花見しながら春の陽光を浴びている時は幸せで、これで地震がなければ平和なのにと思いを巡らします。出入りの業者たちも、一様に困った困ったと言います。この先の事は心配ではありますが、解決法もないのですから、やはり自分がしっかりと覚悟を決めてかからないといけないと思います。地に足の着いた毎日の普通の暮らしが、これほど難しいと感じた事もありません。何気ない日常がいかに大切な事だったのかも思い知った気が致します。

 街を歩くと、アカネの垣根に生気を感じ、その芽には眩しいくらいの美しさを見ました。一年で最も美しい五月がもうすぐやって来ます。新緑の緑の眩しいシャワーを浴びたら、地震疲れも、原発の恐怖におびえる我々も、もっと元気になるでしょうか。
 地震の神様、どうぞ鎮まるようにとお願いしたいです。もうアナタに敵うものは何処にもいません。ちっぽけな人間の営みと幸せを奪わないでと何処に向かってお願いしたら良いのでしょう。

 今日、庭先のバジルを摘んでパスタに添えました。バジルの香りに幸せを感じ、山椒の木の小さな新芽に触れ、その香りにも4月の喜びを感じました。

2011年4月11日月曜日

静かにお花見


10日はお花見日和でした。時折、はらはらと花びらが舞い散
る中で、三々五々と私の呼びかけに応じていらして下さった方々と、昼から夕刻まで静かにお花見をして過ごしました。
 穏やかな春のひと時、先日の地震の時は何処で遭われたのか、その時はどうであったか等と、各人がそれぞれの体験を述べたりと、話題はやはり地震のことばかりでした。
 日常の生活の中での突然起きた地震、原発のこと等、話はつきませんでした。早く日常に戻らないと、復興も経済生活も進まないという意見も多く、我々は今、自分に出来ることを一生懸命にするしかないとも思ったのです。お花見の会費はささやかでも義援金に充てることぐらいしか出来ませんが、復興のお祈りを込めて日本赤十字社に持って行くことにしました。


 地震以来久しぶりに着物を着て、少し心も落ち着きました。お花見には、二人ほど着物を着て見えたので嬉しく思いました。
この日は、工房の展示室の出窓の下にある小さな庭が、植木屋
んの手に依ってやっと完成したのも兼ねて、ささやかなお祝いの日にもなりました。公園の桜の開花と同じく、この庭に植えた源平咲き分け枝垂れ桃が次々と咲き始め可愛らしくて、桜と桃と同時に楽しめることになりました。
 この場所に長いこと住んでいた愛犬のモモちゃんの供養にもなりました。人は思い出の中に半分は生かされて暮らしているのだとつくづく感じた日でもありました。

 私の思う春も、今はクライマックスでしょうか。今日からは、満開だった桜が散ってゆくその木の下で,じっくりと今年の春の過ぎ行く様を静かに眺めて過ごします。足下の地に這うような蒲公英を見つけました。
 その花の色も、元気が出そうな澄んだ黄色をしています。椿もたぽたと足もに散、はこべの緑色に映えています。ユキヤナギの白、紫色のモクレンの莟、今にも咲きそうな躑躅のピンクの莟、青い忘れな草等,ぐるりと周りを振り返るだけで春が見近で満ち満ちていて、まさしく春爛漫とはこういうことを言うのでしょうか。季節のもたらす幸せに感謝しています。

2011年4月4日月曜日

桜が咲いた。


 日本中が打ちひしがれていた3月が終わり、ようやく4月になりました。桜が東京でも咲き始め、世の中が少し落ち着いて来た気もしています。地震も原発も少しも解決した訳ではないけれど、いつまでも落ち込んだ気分でいたら、結局被災地以外でも元気が出ないで復興の歩みにも影響してくるでしょう。

 自粛や中止については、公共の施設や場所での心配があるという建前は分かりますが、私的な集まりなら静かにお花見を楽しんでも良いのではと思います。三月の末までは私も色々考えてかなり落ち込んでいましたが、そんな時にお客様から桜の帯を締めてお出かけした時の写真が送られて来ました。その写真を見て私はとても嬉しくなり、一寸いじけていた気分が晴れやかになりましたし、勇気もわいて来ました。Hさんありがとうございました。
 こんな時期ですが、私は私なりに、自分の仕事を粛々とするしかないと思っています。テレビばかり見て自分まで元気をなくしては良くないと考えます。

 季節は巡り、今年の春も私にとっては一度きりですから、しっかりと目に焼き付けて、行く春の移ろいを見守ろうと思います。
 あと一週間ぐらいは桜を楽しめるでしょうか。やがて日本全国で次々と咲くことでしょう。各地で人々を癒してくれることと思います。日本人は桜が大好きなのですから。

2011年3月28日月曜日

弥生終わる頃に


 大変だった今年の三月も終わろうとしています。好調な滑り出しで始まった今月も11日の地震以来、全てが狂い世の中も未だに落ち着かず原発の心配も日に日に高まり終息の予測もつかず、様々な所での経済活動も萎縮してこの先はどうなるのだろうかと誰でもが不安に駆られます。こうなったら肝を据えて自分が今やるべきことを粛々とこなして行くしかありません。

 今月は心配の他にも腹の立つことも多い中、外出も控えることもあり、春を何時もの年のように、ゆっくりと眺めたり散歩する楽しみも少なくて残念でしたが、気がつけば白モクレンは満開、椿も満開になっていました。桜はやや例年よりは遅いようで、まだつぼみは堅くて四月になってから咲くことでしょう。
 自然界の草木は何があっても気温に連れて順に進んで行きます。そしてついこの間には月が地球に18年振りに近づいて来たという夜、煌煌とした大きな満月を見ることが出来ました。いつもより月が、14パーセントも大きく見えているようで、そういえばあの夜の月は一段と大きく感じました。工房の二階の窓から身を乗り出して眺めましたが、私には月がこの日本の国を見下ろし、まるで覆いかぶさるように照らしているように思えました。きっと月は、地震の被災地も見ていたのでしょう。それにしても18年振りということですが、18年前にもこのスーパームーンは見えていたのに私は気が付かなかった様です。そしてこの言葉も始めて耳にしました。日本語にはないそうですが、いにしえの人はこの大きな満月を何と評したのでしょうか。知りたいと思いました。

 地震で延び延びになっていた墓参も、お彼岸がとっくに終わった27日にやっと行くことが出来ました。新宿区のやや高台にあるお寺ですが、ここでも地震の後は墓石があちこちに傾いたり、左右に動いたりと大変だったとご住職さんが言っておられました。11日の地震は東京にも被害がありました。浦安の液状化現象などもあり、地震の影響は大きいです。
 庭の片隅に咲いている紫色の大根花を何本か、買った花に取り混ぜて母のお墓に生けました。家に咲いた花も母に見せたかったのです。何時もより墓前での報告は長く、地震のこと、放射能のせいで乳児に飲ませる水に困っていること、これからの私の心配事等を、うららかな春の日差しを背に浴びながら対話しました。いつも聞かされていた関東大震災の話など、また、戦後の焼け野原だった新宿の光景等も、脳裏に蘇って来ました。勿論、子供だった私が昭和20年代に見た記憶ですが、印象的で写真のように焼き付いています。墓前にぬかづく私に、母が「そうなの、大変だけれど頑張ってね」と言ってくれたような気がしました。戦後は日本中が焦土と化したのに見事な復興を遂げたのですからこれからもきっと立ち直るだろうと思っています。原発の不安さえ治まれば復興は急ピッチで進むのではないかと、、、思いますがどうでしょうか。

 春爛漫の季節だというのに、文化的な行事等も取りやめる所が続出していて、複雑な思いがしています。気持ちが萎えて、何もかも取りやめることが良いとも思えないのです。このことについてスパッと解説してくれる識者がいませんでしょうか。政府の出す放射能の数値ばかりだけでは、ますます気が滅入るのです。経済活動が戻らないと復興につながらないと思うのは私だけではないはずです。このままではお花見も中止になりかねない気が致しています。桜が咲けば日本中が元気になれるでしょうか。もうすぐ弥生の月も終わりそうです。希望の見える四月が迎えられますように。

2011年3月15日火曜日

春はいつ来る


 三月になれば何となく心浮き浮きして来るのに、今年はいつもとは違う三月になってしまいました。
 自然の恐ろしさを嫌と言うほど繰り返し映像で見せられ、本当に現実に起こっている事だとは信じられない思いで惨状を見るのは辛い事でした。東北地方に住む知り合いの方たちの顔が目に浮かび、どうしているかと心配するばかりでした。

 残り、2日ほどで春の展示会が無事に終わりかけていて、さあ、展示会が終わったら本当の桜が咲く日々を楽しもう、と思っていた矢先の事でした。突然の地震の襲来、私もあんなに怖いと思った事はありません。
 今回の千年に一度の地震で、私たちが想像する限界をはるかに越えているわけですから、この地球は大きな生き物のようにも思えてきます。津波の襲って来る波頭はまるで、怪獣の鎌首が連なっているように見えたのです。あんなに恐ろしい光景を現実に見た人はどれほど恐ろしかった事でしょうか。想像を絶するというのはああいう光景を言うのでしょうか。不幸にも犠牲になられた方たちは気の毒で、残された家族には慰めの言葉すら見当たりません。私にも連絡したい友人がいるのですが電話が繋がりません。今でも怖くて電話を出来ないままでいます。

 あの地震からすでに四日ほど経った今ですが、日本人は凄いと思います。はや復興の気配を感じさせます。被災者が助け出され、彼らが前向きに話しているのを聞くと、こちらまで勇気づけられます。瓦礫で道も家もどこだかわからなくなっているのを救援隊が片付け始めていたり、被災者を助ける看護師さんたちの姿があります。日本はきっと立ち直るのだと信じます。

 世の中が落ち着き、早く普通の暮らしに戻ることを祈るばかりです。原発の底知れぬ不安も加わり、今まで経験したことのない恐ろしい出来事がまだまだあるかと思うと、自分の経験は長く生きている割には余り役に立たないものだと思い知らされます。
 まだまだ続く余震ですが皆で支え合って乗り切って行こうと、私も気をしっかり保つように心がけています。
 大きな地震のあった明くる朝、玄関に出るとどこからともなく良い香りです。植え込みに植わっていた小さな沈丁花のいくつかが、堅いつぼみを開き、白い花弁を見せていたのです。これも自然の姿なのです。人が手に及ばない自然界に私たちは生かされているのだとつくづく感じまた。早く心から春を謳歌したく、本当の春がやって来るのを待つ日々です。

2011年3月7日月曜日

吊し雛


 春の新作展の「あらた会」が始まりました。なかなか暖かくならない三月ですが、桃の節句も過ぎてしまいました。今年は初節句の子がいましたから、例年になく賑やかなひな祭りでした。四日には早々におひな様は片付けられてしまい驚きましたが、いつまでも飾っているとお嫁に行けないなどと言われていることを、人の子の親になればやはり気にするのかと、少々その片付けの手際の良さにおかしくもありました。
私の妹が、長年にわたり作り続けている吊し雛が、沢山我が家にも届けられ、こちらはまだ少しの間、せめて桜が咲くまでは吊しておこうかと思っています。吊し雛は一つ一つ見ると、なかなか工夫されていて、いかにも女の手仕事で、気持ちが込められたものになっています。手持ちの布から色々に想像を膨らませて形にする作業は、きっと癒しの効果もあるのだろうと思わせます。私には到底出来ない手作業ですから、見ているだけでも面白いものです。春の陽を浴びてゆらゆらと揺れている様もまた春らしい風情です。

 定番のような桃と菜の花の組み合わせの生け花もこの時期ならではの生け方で、どうしてもこれがないと弥生三月の感じがせず、今年は桃の枝と雪柳の枝だけにしようかと思い花屋さんの店先で悩んでいる内に「菜の花も入れてください」と言ってしまったのです。
何十年も繰り返してきた桃の節句のお約束の生け花の刷り込みからは、やはり逃れる事が出来ませんでした。

 春の展示会は桜の千変万化を中心にして桜開花を待つ気持ちで創られた作品を展開しています。 
毎年桜をテーマに考える繰り返しですが、不思議なことにその年により違う角度から捉えることが出来るのです。まだまだ蕾も見えませんが、この時期になると思わずあの黒い幹に触ってみるのです。ぐんぐんと大地から水分を吸い上げてたっぷりと養分を溜めているかのように見えるからです。
 
 今年は3月27日頃の開花と聞いて心待ちにしていますが、今はお客様が多くて桜餅を毎日のように買う日々です。他にも草餅やうぐいす餅など、春の和菓子は楽しく浮き浮きとした気分にしてくれます。桜色の小物がとても目に付く月でもあります。

2011年2月28日月曜日

歳を重ねて


 今日は2月最後の日です。何年経っても2月28日は好きではないのです。いつも寒い月末で落ち着かない日であるからです。
そして、この日が自分の誕生日と決められてもいるからです。本当は29日の深夜12時過ぎに誕生したのが事実らしいのですが、母が亡くなってしまった今は確かめようもありません。
29日では困るので28日にしておこうと医者に言われたとか聞いた事はあるけれど、月末の誕生日は忙しくて結局、翌月の3月3日におひな祭りと一緒に祝ってもらい、友だちを呼んだりちらし寿司を作ってもらったり、私の誕生日はいつもおひな祭りと一緒でした。
 
ですから自分の誕生日は戸籍の届け日と私の本当の生まれた日といつも祝ってくれた3月3日と3回もあるような感じとなっています。
おひな様は永遠に歳を取らないし、私もあやかりたいと思っています。

きのうまでの暖かさはどこへやら、今日はまた気温が10度も下がって寒さがぶり返して朝から氷雨のような冷たい雨が降っています。月末の用事を抱えているのですが、外出も辛いなと躊躇したくなるような日となってしまいました。

 折から入学試験真っ盛りのシーズンで、インターネット上に試験の内容と回答が流れてしまい大変な事になっているようです。もうすでに試験と呼ばれるような経験もとんと無い私ですが、試験とは言えませんが今月は免許の更新がありました。 また5年間の資格が伸びたのですが、ペーパードライバーの私もいよいよ正念場で最後のチャンスだと迷うのですが、周りのほとんど99パーセントの人たちは私に運転は無理と言います。

たいていのことは何とかやり遂げて来たのに、このことだけは挫折したことに悔いが残ります。歳を重ねるほど本当は必要だったのにと思うと残念です。

 後は全く関係ないことなのですが、沢山の犬を飼っていた中でシェパードを飼うチャンスが無かったことも未だに残念です。若いときに一度飼ってみたかったと先日テレビで見たドラマの中でのシェパードの映像に見入ってしまいました。
といって今は2匹の日本犬を可愛がることには大満足はしていますが、人の欲も限りがないもので困ったものです。
 昨日買って来た桃の枝を切り揃え桃の節句に備えています。妹から借りた手作りの吊し雛がひな祭りらしく花を添えています。
この雨が止めば一気に春に近づく事でしょう。

2011年2月22日火曜日

町起こし


 週末から日曜にかけて私の工房がある隣の駅周辺では町起こしという目的で染めの町をアピールしてイベ ントが催されていました。川に何反かの反物を張り近くのお店屋さんにのれんを掛けたり工夫をしていました。この町を宣伝して東京の染めに携わる町であるこ とをアピールして多くの人にわかってもらおうという試みで染色関係に従事する人や商店街の協力で関係者は頑張っていられるようです。

 元々は妙正地寺川の周りに昔は染めの工場が多くあり東京の染め物が盛んだった地域なのです。新宿区の地場産業として最近よく取り上げられています。
私の工房がある中野区は新宿区に隣接しているので、新宿と中野区がこの川を中心にして栄えていた事は私の子供時代からでした。もっと上流の神田川に続く川ですから高田馬場あたりにも染色の仕事をする人が多かったのです。 

 最近の着物業界の落ち込みと高齢化による廃業、後継者不足もあり年々に難しい業種となってしまいましたが少しでもこのようなイベントで盛り上がればと思っています。
何 年か前のバブル最盛期にはそのあおりを受けてずいぶんと廃業が続きました。高齢化と後継者なしにくわえて比較的広い工場を持っていた染め屋などは折からの 地価の高騰と新宿副都心のそばでマンションが次々と建ち始めていた渦に巻き込まれてしまったのでした。あのバブルの時は本当に良くなかったです。ずいぶん と失われた物が多かったのでした。工場がつぎつぎとマンションに代わり、仕事を辞めた人たちは多くて辛い時期でもありました。都心ですが仕事場を失った人 たちは二度と復帰は出来ないでしょう。
 伝統を守る仕事は歯を食いしばっても続けていないとなりません。維持するのは大変なことでも何とか生き残って行かないとなりません。
あと50年後はどうなっているでしょうか。着物が今より廃れない事を願うばかりです。 
 折から我が工房は春の作品を製作中です。明るい希望を抱いて前向きに良い作品を産み出したいとの思いを強く思う日々が続いています。

2011年2月14日月曜日

桃の節句を前に


 もう中旬となった二月ですがはや、三寒四温が始ったと思うのは早いでしょうか。
今が最も寒い時でゆるゆると春に向かうのなら例年通りですがそろそろ桜の木を見上げる頃になりました。
でもその前には桃の節句があります。まだまだ桃の花も花屋さんで見られません。

 毎年せっかちな私は早く桃の花が手に入れたくて何回も花屋さんに出向いては「まだですか。」と聞くのが恒です。そのうちにムロで育てられた桃が花屋さんに入ってくる事でしょう.そうなると本当に春が来たと思うのです。
 昨年の春に植木屋さんが手入れに入っていた時,小さな庭に紅白の咲き分ける枝垂れ桃が欲しいので探してと頼んだ事を植木屋さんは覚えていてくれるでしょうか。
気にかかっています。唯一今,手に入れたい植木です。

 昨年の暮れにはミモザの苗木を鉢で買ってきて大事に育てています。ミモザは3回目の挑戦です。どうもタイミング悪くて水を切らしたりして失敗していますから今年こそと密かに願っています。
うまく地植えにさえ出来れば大きく育ち可愛い黄色の花がたわわに花をつけてくれるのではと夢見ています。大きく育ったミモザを工房のシンボルフラワーにしたいのです。マザーツリーとも言うのでしょうか。何年かかるか分かりませんが大きいミモザが風に揺れているのを想像しただけでも嬉しくなります。

 山のアトリエの方はフラミンゴという木をシンボルツリーにしていますので、こちらも遅い春からきれいな新芽が吹いてくるのが楽しみです。今は葉の一枚も無く寒い山の中できっと耐えている事でしょう。
ひな祭りを眼前に桃の花が春を告げてすぐに桜が追いそれから一気に花々が咲き本格的に春満開というのが順当で,水仙や梅は春の前触れを告げる花たちに思えます。そして一旦厳しい冬に戻ってから一気に春になるのでしょう。
  寒い厳しい冬があるからこそ、春を迎える楽しみがあるのです。花も実も無い季節なので椎の木に餌箱を下げてリンゴを置いていたら鳥たちがやって来てつつき ます。鳥の為にと付けた餌台の側はガレージで糞を落とす為に車が汚れてしまうのです。この事はかなり被害がひどく家の者にひんしゅくを買っています。
 確 かにドアのあたりや窓が酷く汚れてしまうのはまずいので餌台の場所を変えなくてはと思います。花が咲くまでは小鳥も雀もカラスにも優しくするのは大変です。人と自然との共存,住み分けはこんな事もあるし、うまく折り合いをつけて行くのは難しいことです。人間は欲張りなものです。お雛さまたちも笑っている 事でしょう。

2011年2月7日月曜日

春の歌


 やや春めいてきた土曜日の夕方、私鉄沿線の、とある場所でサロンコンサートが開かれて私は聴きに行きました。昼下がりに外に出ると風の匂いや空気の中に春が来たのだと体が実感しました。
 毎年春の予感は大気から感じるのです。最初に、感じたこの感覚を自分にとっての春と思っています。春の息吹は空を渡る大気なのか、風のかすかな動きなのかわかりませんが肌で感じます。まさしく春の匂いも鼻腔に感じるのです。
  
 サロンコンサートは40人ほどの集まりでした。様々な歌が歌われる中で日本の歌もありました。季節柄でしょうか、「早春賦」が歌われたときは思わず涙がじ わっとあふれそうでした。その歌は母の愛唱歌でこの季節になるといつも母が台所に立ちながら歌っていました。小さいときから聞き慣れていましたので早春賦 の歌は母そのものの思い出がいっぱいなのです。
たぶんご機嫌が良いときに口ずさんでいたのでしょう。そんな様子を見ている子供だった私までうれし くなって来るのでした。そして季節も春めいているのですから少し浮き浮きする気分までしてきて家の中いっぱいに幸せが満ちてくる思いになったのです。台所 ではコトコトと母の創る料理や匂いがが立ちこめていて暖かくて楽しかった子供時代の感覚が甦ります。
「早春賦」の歌一つでこんなにも思い出が膨らんで来るなんて歌の持つ力は大きいと感じます。

そのあとは「浜辺の歌」が歌われましたがこの歌も母の大好きな愛唱歌でした。
でもこの歌を歌う母は娘時代や女学生時代の思い出をたどるかのようでしたから私も少し距離を置いて聴いていました。遠い昔を思い出すかのような風情でしたからきっと母自身の思い出が詰まっていた歌だったのでしょう。少しもの悲しい調べは心に響きます。
 母が病に倒れて病院で意識ももうろうとしている中で、どうしてやることも出来ない私は母の枕元で小さな声で母の好きだったこの2曲を繰り返し歌い続けた思い出があります。母もかすかに目を閉じたまま唇を動かしていた気がします。

 そんなわけでこの歌を聴くといまでも眼がじわっとしてくるのは仕方のない現象でしょう。
大正時代には様々な日本の名曲が数多く生まれてきたと、サロンコンサートの主催者が話していました。
大正時代から昭和の初期までに生まれた素晴らしい曲のなかに母の青春時代もあったのでしょう。美しい調べと文学的な格調高い歌詞に浸って過ごした娘時代は、日本の良い時代だったとも思います。
いつまでも胸に残る名曲ばかりです。

 この夜は私にとり、たっぷりと母を思い出す夜ともなりました。もうすぐ私も誕生日を迎え、また歳を重ねる事になります。母に感謝しなくてはなりません。
風邪を引いて鼻がぐずぐずするのですが「早春賦」の歌を聴いたので余計にぐずぐずとしてしまいました。春は本当にそこまで来ていると思える夜でした。

2011年1月31日月曜日

最後の寒さの中で


 いよいよ1月も最後となりました。この厳しい寒さも明日からはすこし緩み始めると天気予報では伝えていました。節分を過ぎると、いよいよ春に向かうのでしょうか。
梅もほころびましたし、沈丁花もまだ堅くえんじ色のつぼみを見せています。

 土曜には今年のラストの新年会としてホテルオークラで開かれた板東三津五郎さんと巳之助さんの新年会に出かけて参りました。
200人以上の集まりでした。恒例の福引きがあり楽しく過ぎました。福引きで当たった番号を読み上げる三津五郎さんの口跡はとても力強くて、襲名以来10年経ってもまだまだこれから楽しいお芝居が観られると思いました。
 息子さんの巳之助さんも年ごとに立派になられて頼もしい限りです。歌舞伎座はまだ2年以上も先にならないと出来ませんが、また先の楽しみと思い、新歌舞伎座の柿落としには元気で友人たちと行ければ良いと願っています。

北国の雪が屋根より高く積もり一人暮らしのお年寄りが困っている映像を見ると、私には想像も出来ない本当に大変なことと思います。あんなに積もる雪も溶けて、春が訪れるのはいつになるのでしょうか。
東京に暮らしていると雪国の大変さは想像するばかりですが、節分が過ぎ、ひな祭りが来て、桜が咲くのが待ち遠しい事です。
 明日からはまた身を引き締めて風邪を引き込まないように頑張って行きます。
節分の豆を食べる量が増えていくばかりですが、気持ちは結構たぎっていて、今年もあれもしたいこれもしたいと思っています。

2011年1月24日月曜日

初春歌舞伎


 寒い日々の1月です。観劇は例年のように1月は歌舞伎を2回観ました。1月はお芝居を観ないと仕事のエンジンがかかりません。眼にも脳も心にもお正月をたっぷりと味合わせてからスタートします。
1月はそれほど深刻ではない演目が並びますから気楽に楽しめます。
演舞場での初春歌舞伎は、今まで観たことの無かった「芋洗い勧進帳」を観ておもしろい舞台に笑い、荒唐無稽な「妹背山婦女庭訓」では蘇我入鹿に仕える女官た ちのおもしろさ、劇中で娘お三輪をいじめる、おじさん丸出しの女形たちに可笑しくって笑い「寿曽我対面」ではいかにもお正月らしいおめでたい色彩あふれる 様式美に満足してまた今年も無事に過ごせますようにと思ったのでした。

 団十郎も病が癒えたとはいえ海老蔵の件でさぞ心痛だろうと思いましたが、舞台で演じている姿を見ると特殊な職業故に、またあのような世界だからこそ仕事が頑張らせてくれるのだろうなーと思わずにいられませんでした。

正月5日には海老蔵の空けた舞台を玉三郎が演じていて還暦になったという話を聞いても全く変わりなく感心するばかりでした。
おもえば玉三郎が40歳になった時にきれいな内に沢山舞台姿を観ておこうと、かなり通って舞台を観ましたがその後もどんどん芸が磨かれて貫禄もついてだれの追従も許さない役者として美しさも保ち、まるで人間ではないような気さえするのです。

 こうして私の一月も華やかな舞台を観ることに始まりましたが本当の春が訪れるまでまだ二ヶ月ぐらいあるでしょうか、お正月の舞台の余韻を体内に溜めてまだまだ厳しい寒さですから風邪を引かぬように暮らして行きたいと思います。

2011年1月17日月曜日

梅が咲いて

 朝晩の冷え込みが厳しい中、ぼちぼちと梅の花が咲いているのを見かけるようになりました。北陸では大雪に見舞われているというニュースを見かけるのですが、寒さの中でも日差しが差して、暖かい場所に立つとなんだか早春の気配も感じられます。
ほころびはじめた梅のせいなのでしょうか。にわかに早春を感じます。最初に咲くのはやはり白梅が良いです。気高い香りはやはり早春に咲く水仙と同じです。この時期ならではの風景です。
 一月も半ばを過ぎてお正月の飾りをすっかり片付けてそろそろ春の支度です。

 おひな様の額を飾ります。これは私が生まれたときにある日本画家の方に描いて頂いたものですでに65年以上も経っているかと思うと感慨深いものがありその古びた感じも味わいがあります。
すでに私の持っていたおひな様も消失してしまって何もない今となっては私が女の子として祝ってもらった証としてどんなに古くなった雛の額でも父母を思い出すよすがとなっています。

 今年は身内にはじめて初節句を迎える子がいるので、ことのほかおひな様が気になります。 
デパートに出かけるたびに展示場を覗いて見ているのですが未だに気に入った品に出会えずに少し焦っていますがどこのデパートも似たりよったりで大手のメーカーが出しているのはよく見るとおひな様のお顔も三人官女のお顔も同じで、結構なお値段でもオートメーションで作られているのかと思うと急に興ざめしてしまうのです。

私の好みに合うのがないかしらと探しています。価格の問題ではなく分相応で、大きくなくても質の良いものに出会わないかしらと考えています。なかなか難しいものです。
小正月が終わるともうすぐ女正月というのでしょうか、ゆっくりと早春を楽しみたいです。そして2月に入れば春節でまた横浜に行こうかしらとも思っています。

玄関の植え込みも春らしい花にそろそろ植え替える頃です。かわいらしい水仙や桜草でも沢山植えてもようかとあれこれと春の花を思い浮かべる日々なのです。