2011年7月4日月曜日

この夏でお別れの樹木


 梅雨明けのような暑さの日々が続いていますが、いよいよ七月になり、真夏への心構えも一段と強く思います。歳を重ねると、毎年夏を乗り切るにはそれなりの覚悟を持って過ごさねばなりません。特に今年はいつもの年とは違い、世の中も厳しい状況にあり、国中が節電対策に応えていかなくてはならないという状況に置かれています。

 三月の地震により、我が家も若干の影響を受けました。瓦屋根が何枚か落ちたのです。これを機に、昨年から計画中の耐震工事に拍車をかけなくてはならぬ事になったのです。
 昭和十六年に建てられた古い家屋で、それなりに愛着を持って手入れをしてきた家屋ですが、ついにこの間の地震には勝てず、今後のことを思えば瓦を取り替えて軽量にしないと危険ということになってしまいました。東京に直下型の地震が来ないという保証も無くなりました。 頑張って手を入れながら保たせて来た瓦が無くなるかと思うと、とても寂しい気持ちになります。きりずま式の屋根の鈍く光る瓦とその重厚さが好きだったので、残念ですがお別れしなくてはなりません。このところ、二階の屋根の瓦を見上げては、時代には勝てないのだとひとり昔を懐かしんでいます。
 そして8月からは、一部家屋の取り壊しの工事も始まることになり、片付けやら荷物の移動を考えると、何から手を付けたらよいかと思うだけで気が遠のく感じです。
 工事がしやすいように染め場へ続く木戸を壊す計画で、そうなると木戸に寄り添うように立っている木蓮の木を切らないとなりません。いつの間にか大きな木になってしまった木蓮は、私の中では何故か昭和のノスタルジーを思わせるのです。普通の色をした紫の木蓮とも今年でお別れです。
 それから、木戸の端にある凌霄花の伸びた木も切り倒さなくてはならないのです。今はオレンジ色の花を咲かせていますが、毎年花の少ないこの季節には貴重な花で、私を楽しませてくれて夏の夕焼け色だといつも思っていました。

 人が生きていく限り、あきらめなくてはならないことがだんだんと多くなって来るのだと、寂しい気もします。しかし、新しい事に向かうのですから、これも私にとっての小さな復興だと言い聞かせ、前向きに暮らして行くしかありません。
 季節外れに、木蓮がひとつふたつと不思議に咲きました。狂い咲きというのでしょうか。もうこの家に二度と木蓮を植える事はないでしょう。お別れなのかな、とちょっとセンチな気分になってしまった七月の始まりです。木蓮も凌霄花もごめんなさい、と詫びたくなる悲しい気分です。