2014年12月31日水曜日

イタリアの門松

 今年も暮れようとしています。本年最後のブログとなります。
お正月の支度をやっと30日にしました。門松は松を2本立てますが我が家の松は少しよその家のとは違います。
松葉が長くて四方八方に広がっています。勝手に暴れ松と命名しています。

 松を立てながらいろいろなことを思い出しました。そう、この松は今から20年も前に娘が留学中のイタリアで拾ったそれはそれは大きな松ぼっくりを帰国した時に持ち帰ったものなのです。両の手に余るほどの松ぼっくりは見たこともありませんから、お土産にと差し出された時にびっくりしたものです。

松ぼっくりにも色々とあって日本のは大きさは大体似たりよったりで形が少し丸っぽかったり尖っていたりするくらいですが娘がお土産にくれた松ぼっくりの立派なこと。

 植物好きの私の妹に見せたところ、かさとかさの間にある種を見つけてこれ植えたら育つのではないかとの提案があり、まさかと思っていました。
 何年か経ち妹は芽が出るまで育てて地方にある自分の山の敷地に植えたところ、見事に大きくなり20年も経った今は大きな木になっているのだそうです。

ここ何年か前から切り出して門松になるほど成長したのを届けてくれます。
 イタリアで拾った松ぼっくりが今や我が家の門松に役に立っていると思うと感慨深く思えます。花屋さんで売っている門松とは趣がだいぶ違うのです。

長い松葉は大きくて思う存分に伸びています。なぜか外国の松だなと思わせるのです。
 この松を我々は暴れ松と呼んでいます。生花に使われる大王松とも違います。

 異国の地で育ちお正月の門松になったこの松は20年も経っているのですから当然娘も20年も年を重ねて今は一女の母です。
 ずっとずっとお正月にこの門松を立てるたびに思い出し長くて短いと思える年月を思い起こし考えるのです。

 我が家は31日は恒例のお墓まいりに行くのが習わしですが娘をこよなく可愛がってくれた私の母の墓前にも、このイタリアからやってきた松の小枝を飾り色々と報告をしてこの年の大晦日が皆、つつがなく終わろうとしていことを告げてまいりました。
そういえば「イタリアの松」という曲がありましたがそれはこの松のことだったのかと聴くたびに思います。
 サヨウナラ平成26年、家族はもとより私の知り合い、お友達みんなみんなが良い年を迎えられますように心から願っています。

2014年12月5日金曜日

着物を讃える「ロンジン・エレガンス賞」



 今週日曜日、JRAジャパンカップ(正式名称ジャパン・オータムインターナショナル ロンジン賞 第34回ジャパンカップ)が開催されました。
 ジャパンカップは10万人の来場者を迎える国際G1レースで、今年度よりロンジンが公式時計として初めてジャパンカップをサポートしました。
 それを祝って、ロンジンのエレガンスアンバサダーであるリン・チーリンさんを迎え、着物を讃える「ロンジン エレガンス賞」が開催されました。
 
 そのコンテストでジャーナリストの上原未來さんが着物のベストドレッサー賞である「ロンジン・エレガンス賞」を見事受賞しました。おめでとうございます!
 未來さんと共に、あらた工房の着物が国際的な賞を獲得出来た事に工房スタッフ一同、興奮いたしました。


(未來さんは英語はもちろん、フランス語、イタリア語が堪能な国際的ジャーナリストです。miki tvを中心にファッション、カルチャーの分野にてビデオジャーナリスト/ライターとして活躍されています。)

 早速、今週よりロンジンの公式サイトはじめ海外メディアでも色々紹介されており、嬉しく思いますが、この賞は着物、コーディネート、着付け、ヘアメイク、そして何より着手である未來さん、チームワークによる勝利なのでした!
 受賞出来る自信は持っていましたが、まさか本当に実現させてしまうとは。。。

 実は大会前よりこの賞を勝つ為にはどうしたら良いか入念な準備がされておりました。

 まず、格調が高く、品よく、そしてコンテストである以上、着物が華やかで目立つこと。しかも外国人の方に分かりやすくなくてはなりません。

これらの点を考慮して、エレガンスを演出するにはどうすれば良いか、未來さん本人、あらた工房、ヘアメイクの三者で、作戦会議が行われました。
 あらた工房は、着物、コーディネート、着付けを担当しました。


 まず『振り袖』は、 未婚女性が着用する最も格式の高い礼装です。
 朱色に、蝋纈や糸目の蝶、友禅や手刺繍で施された様々な蝶が飛び交う大振袖を選びました。いつも元気いっぱいな未來さんのキャラクターにこの着物がバッチリはまったと思います。

 この色気を着こなすのは、着手にも相応の力強さがないと着負けてしまいますが、そこはさすがジャーナリスト。
 肝がすわっていらっしゃいました。着物には不慣れとの話でしたが、当日は振る舞いから所作まで見事に着こなしておりました。
 

帯は綴れで緑と金の唐草文様を使用。色調は対抗色であるオレンジと緑を基調にしてまとめました。



  そして、今回、ヘアメイクを担当されたのは東京ボーテの古味絵理奈さんです。
 もう10年来、お付き合いさせて頂いてるヘアメイクさんで、和洋のスタイルから着付けまでも行えるという美のエキスパート。

  すっきりとしたアップスタイルでも、毛先を出すスタイルには髪が長すぎるので、毛先をしまい込みアシンメトリーにスッキリまとめつつ、華やかさを意識してボリュームのあるヘアスタイルに。
 メイクは濃すぎず、でもキリッとお上品に!朱色とグリーンを基調としていた着物だったため、リップはオレンジ、アイシャドウには薄くグリーンを使用。
 そして着物と同色の珊瑚色の髪飾りを使用。

 受賞直後の喜びを、未來さんはこのまま蝶になって飛んで行ってしまいたい!とおっしゃってました。着手が輝く瞬間を見られる事は作り手にとって最高の喜びです。

 ヨーロッパでは競馬がただ賭事のためだけではなく、大切な社交の場であることが伺えます。アスコット競馬場で帽子を着飾る貴婦人達のように、着物で賑わう社交場になってくれたら嬉しいです。


上原未來さんのサイト miki tv→http://miki.tv/
古味絵理奈さんのサイト 東京ボーテ→http://ameblo.jp/tokyo-beaute/
ロンジンの公式サイト→http://www.longines.jp/


2014年12月2日火曜日

表参道で瑠璃の会



 11月30日、着物で遊ぶ「瑠璃の会」が表参道のフレンチレストランbambooにて開催されました。
77名もの参加者が集い、初冬の午後のひと時を楽しく過ごしました。今回の企画のテーマは「映画音楽と過ごす極上のひととき」でした。



映画音楽を映像を背景に、歌、ピアノ、バイオリン映像を懐かしの映画から最近の映画まで楽しみました。


数々の曲が演奏される中、それぞれの映画の思い出に浸りながらも、素敵な時間を共に共有して和気あいあいとお話が弾み、また各テーブルでは着物談義にも花が咲き、いつもながらの楽しい交流が見られました。


今年はお正月にも「瑠璃の会」の新年会で集まりましたが、色々な事があった1年もあっという間に過ぎて間もなくこの年にも別れを告げる月となってしまいました。



自然災害や事件にも心傷める日もありましたがこうして元気なお顔ぶれが揃うとまた来年も頑張らなくてはと思います。まだ年内にしなくてはならない制作も残っているのでもうひとふんばりしなくてはという12月が始まりました。

明日からは寒くなるそうです。インフルエンザにもかからないように皆様そろってこの年を越えて行きたいと思います。

2014年11月11日火曜日

きものサローネin日本橋の初参加



 今年3年目を迎える「きものサローネin日本橋」は中央区日本橋の東京織物卸商業組合をはじめ、日本のきもの産地やメーカーや小売店がオールジャパンで「きものを次世代につなぐ」着物の文化活動です。今までの業者間の壁ぶち破る画期的な取り組みです。



  今年度から経済産業省も加わり「ミス・インターナショナル世界代表各国代表による振袖ショー」などが行われ、連日のファッションショーで会場も賑わいました。イベントが年々盛大になって行きます。東京オリンピックに向けて着物もクールジャパン戦略の一項目として力を入れ始めたようです。






 今回、日本橋三井ホールCORED室町のブースで、あらた工房も初参加しました。
 会場内では様々な着物姿を拝見したりと、新しい時代の流れを感じる充実した3日間でした。日本橋が盛り上がり、日本文化の発信地として躍動しております。あらた工房のお客様も多くいらして応援して下さいました。






 ブースでは、思いがけない出逢いもあったり、会話も弾み、あらた工房の作品に実際に触れて頂き興味深く見て頂けたのは大変嬉しい事でした。

 これほど多くの方々が、まだまだ着物を愛していられるという事が実感出来て、心強く思えました。これからも着物好きの多くの方のパワーを頂き、支えられながら創作活動に励む気持ちがあらたに湧いて来ました。
 ブースに立ち寄って頂いたお客様全てに感謝を申し上げます。 ありがとうございました。

 「伝統は守るものではなく攻めるものだ」という参加者の言葉を肝に銘じ、この先も頑張っていきたいと思います。

2014年10月30日木曜日

菊の香に導かれて



 秋晴れの気持ちの良い日に、長い事制作に時間を費やしていた大振袖が出来上がり、頼まれていたお客様の所にお届けに上がりました。

 大和市にある旧家でこの日は先勝にあたり、お振袖を納めるには丁度良い日和でした。
もう40年もの長きに渡りご一家の慶事の度にお着物を作らせて頂き、一族のお孫さんたちのお振袖もお嫁入のお支度も含めて、とても信頼下さって色々と私に任せて頂いている昔からのお客様です。大変に有難い事です。

 私も着物が出来上がるとほとんどお客様が取りに見えるか、お送りするかですが、こちらのお宅だけは注文主の方がご高齢という事もあり私から出向く数少ないお宅です。
 お振袖のお嬢様も小さな時から存じ上げているので成人式のお着物を依頼された時に、久しぶりでお目にかかり自分の歳も忘れて月日の経つのは何て早いものと驚きました。
 かねがねお振袖は18歳には遅くてもご注文頂ければ有難いと私は話しておりましたので、高校生になってから工房にいらして頂き、お目にかかり成人式のためのご相談を受けて嬉しく思いました。

それから振袖が完成するまで2年近い月日が経ったのですが、ようやくお届け出来てほっといたしました。

 おめでたい着物の納品でお母様が栗のお赤飯を作られご馳走を用意されていて朝からお待ち下さり、注文主のおばあさまもお待ちかねで、私も半日以上滞在してゆっくりとお話ししてそれは楽しく過ごさせて頂きました。
折からお玄関に向かう車寄せの所にはお二人が丹精された菊の鉢が並びお振袖の到着を祝うような秋らしい風情でした。

近ごろは成人式はレンタル流行で何か形式ばかりでコスプレの様な感覚で、成人式のご用意にも心がどこかに置き去りにされているように思えてなりません。

 私の工房での振袖は比翼付きで、家紋もお入れして創りますので、ご本人が代々お持ち頂くように精魂込めます。

注文して下さったおばあさまへの感謝はいうに及ばず、夜になっても私の所にまた嬉しいとご本人からお電話を頂き、制作した私としてはあんなにご一家で喜んで下さって冥利につきるばかりです。

 こうしてご一家に着物の道が伝わるのを目の当たりに見られるのはなんて素晴らしい事でしょう。 
 このごろは何でも簡単に安易に事が済んでしまいますが、このように心も、感謝の気持ちも成人式までに育てるご一家には感心するばかりで、心から成人式おめでとうございますと申し上げたいです。

 最近は写真も前撮りするのが流行のようらしいですが、このお宅にお聞きした所、「ちゃんと成人式を終えてからゆっくりと春に写真を撮ります」ときっぱり言われたお母様の、世間の流れに乗らないでぶれることのない姿勢で成人式を迎えようとなさる言葉が印象的でした。
 ご一家の繁栄を願うばかりです。菊の香に導かれての成人式の式服のお輿入れのような日でした。

2014年9月29日月曜日

雑草の定義



秋が日毎に深まるにつれて秋の花々が咲く景色が見られます。
あら、こんなところにと思われる場所に思いがけなく花が咲いているのを目にする日々が続いています。道端に、細い路地に、空き地にと都会でも様々な花が見られます。

大体は咲く花の名前は分かりますが、何の花だろうと分からなければ私は一生懸命に名前を調べます。そして分かると嬉しくなり一つ知識が増えて特をしたような気分になり、いくつになっても知らない事ってあるのだと、ますます嬉しくなり脳みそにしわがひとつ増えたと実感します。

人はどこにでも蔓延る草花を「雑草ね」のひと言で片付けてしまいますが、私はそうは思いません。どんな草花にも特徴があり美しさが見出せ、一体普通の花と雑草の違いって何だろうかといつも疑問に思います。

どこの所からの線引きで雑草と片付けるのか、よく分かりませんが、辞典によれば雑草と決めるのはいくつかの定義があるようです。
まず、どこにでも蔓延り余り役に立たないですし、防災上、景観上の問題を起こす、また人里植物とも呼ばれるようです。

蔓延る強さ故か帰化植物も雑草と多く呼ばれています。
挙げ句の果てにもともと利用価値がなく有害無益な一群の草とばっさりと言われてしまうので、何だかそんな言われ方は悲しいし、どこにでも蔓延るのがそんなに悪いのかと思います。
農耕地においては、迷惑で邪魔なのかも知れませんが野山に自生する草花には可憐な花がいっぱいあって我々の目を楽しませてくれます。

どんな花にも名前がついていますが、中には酷く変な名前をつけられているのもあり、とかく雑草への命名には学者は冷淡でどうでもよいみたいな可哀相な名前を付けるのもあります。
変な名前がついていると私は勝手に変えて自分だけの呼び方にしてしまいます。たとえばドクダミは十字架草とか独断で心の中で呼んでいます。

最も可哀相なのはオオイヌノフグリです。あぜ道に咲く可愛い瑠璃色の花なのに、その実が犬のふぐりに似ているからってその呼び方はないだろう,学名としても酷すぎると憤慨してしまい,人にこの花の名前を教える時に私はいつも口ごもり躊躇すらしてしまいます。
 私だったら学名とその花の色から取ってヨーロッパの原産だそうですから小瑠璃ベロニカとか呼んだら可愛らしくて良いのにと思います。

これもかなり昔の帰化植物で雑草と呼ばれていますが春のあぜ道に咲く姿は可憐です。


秋になったらとたんに雑草と言われて結構きらわれている「ヨウシュヤマゴボウ」が工房の狭い空き地にも大きく枝を広げて伸びています。

切っても切っても毎年ちゃんと復活し、逞しい草というには大き過ぎますが木ではない種類です。
四方八方に伸び、房状に花を付け、やがて実を付けてそれはまるでヤマブドウのようにもみえ、いったいどこからやってきたのか、定かではないですが放っておくとどんどん伸びてやがて狭い庭が一面に被われてしまいます。

実が熟すると真紫になりその実をつぶそうものなら紫の汁が出て服についたら大変なことになります。しかしながら、その逞しさにはどこか惹かれるものがあり、私は毎年秋になると悩むのです。実が熟し、たわわに下がる頃には特にどうしたものかと思案します。
思い切って根こそぎ刈り取ってしまおうか、いや可哀相だ,少しの間実にさわらないようにして大きな花生けの中に活けてみようかと。

そして、またその季節がやってきました。
実が弾けて濃い黒紫の汁を見ると、まるで紫色の血液のようである強烈さにたじろいでしまいます。北米からの帰化植物で毒性もあり、どこにでも空き地や野原があれば増えるので多くの人が目にしていると思います。

先日、玄関脇に枝が伸びすぎているのを見てそろそろ枝を切ってしまおうかと眺めていたら、丁度いらしたお客様が「一枝下さいませんか、明日はお茶のお稽古があるので飾りたいのですが、、」とおっしゃったので,それは光栄なことと喜んで差し上げました。
こんな使い方もあるのだと床の間に茶花として飾られたらヨウシュヤマゴボウもさぞうれしかろうと思います。

私は最後には大きく枝を切って玄関の上がり口の花生けに活けるつもりです。
人の衣服に触れないように気を付けながら飾りその逞しさを讃えるつもりです。
まさに雑草の女王のような存在感すらあります。

そして全部を根元から刈り取りますがまた来年ぐんぐんと出て来るのは分かっているので少しも可哀相ではありません。

雑草と言われる花と大事にされ誰にも愛でてもらう花の違いは人が決めた事で、いまだに、はっきりと私の中では判別ができません。しかし雑草と、ひとくくりにされてしまう草花の全てに愛着を覚えます。
その逞しさは土の匂いがする紬の素材に合うだろうと思うので順番に帯にでも表して行こうかと漠然と考えています。

野山に勝手に咲き乱れる雑草が大好きで愛しく思える秋がやって来ました。

2014年9月13日土曜日

昼夜帯は絶滅危惧種


本日、名古屋のCBC放送(TBS系)の情報番組「花咲かタイムズ」の中で、あらた工房の「昼夜帯」を紹介をして頂きました。


伏見にある圓珠さんの「昼夜そば」と一緒に紹介されました。有名なお蕎麦屋さんだそうで機会があればぜひ伺ってみたいです。


  ところで昼夜帯を知っていますか?

 昼夜帯とは元々明治から大正時代に存在した帯で2本の帯を貼り合わせた形です。
現在の市場ではほとんど流通しておりませんが、当工房では未だに制作をしております。(今回、紹介された作品は、手まり菊に水鳥能衣装図摺箔)

当時の昼夜帯は、片面が黒繻子という生地で、それに刺繍などをほどこしてあるものが多かったようです。表も裏もなくどちらも表にも裏にもなりえる、リバーシブルといった方がはわかりやすいのですが、和服の世界ではリバーシブルという言葉はなかったので、昼夜という響きが素敵なので使われたのでしょう。


  工房に現存する大正時代当時の昼夜帯もありますが、それは両面とも黒地です。
両面の柄が全く違う柄で片面が塩瀬、そしてもう片面が黒の繻子の生地となっています。

 昼夜というネーミングは随分と昔からある呼び方の様ですが、片面が黒いので夜に見立てたのかとも思います。それに対してもう一方は華やかに昼を表したのでしょうか。
 いずれにしてもおおよそゆきの帯と言うよりは、毎日の着物の暮らしの中で、すこし砕けた遊び感覚の帯であると感じます。

 昔からある昼夜帯のエッセンスと遊び感覚を現代に生かして見ようと、工房ではかなり前から色々な種類の昼夜帯に挑戦し続けております。あくまでも両面使える帯であることが特長なのです。

 ただし昔のように片面が黒繻子ではなく、両面共がそれぞれ主役でどちらを締めても表に成りうるということです。その為に様々な工夫が必要です。まず締め易いこと、帯が重くなりすぎないことが大事です。
 現在も昼夜帯を制作している工房も少ないので、興味があればぜひご覧下さい。


2014年8月28日木曜日

着物講座に関するお知らせ


 佐藤節子による着物講座に関するお知らせです。

今年の10月より、玉川高島屋SCのカルチャーサロンにて着物講座を持つことになりました。
全6回の日程で講義をします。

創り手ならではの視点から、着物の楽しみ方について色々お話しできたらと思います。
着物から紐解く日本文化の豊かさなど、着物の魅力を幅広くお伝えします。

 着物について色々な興味をお持ちの方、着物についてお悩みの方、当サイトで着物レクチャーやきものQ&Aをご覧になられた方、ぜひご参加下さい。


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もっと気軽に もっと楽しむ
「着物サロン」
 
日時  2014年 10月16日より
    13:30〜15:30
    6ヶ月 全6回 毎月第三木曜日

場所  玉川高島屋S・C 東館4F
    東急田園都市線/東急大井町線
    「二子玉川駅」徒歩約3分

講師  染色家/瑠璃の会主宰 佐藤節子

受講料 全6回 25,920円

お申し込み/お問い合わせ
 コミュニティクラブたまがわ事務局
TEL:03(3708)6125

コミュニティクラブたまがわ
http://www.cctamagawa.co.jp/circle/new/
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2014年8月26日火曜日

ムカシアルバムを拝見する


ムカシアルバムで皆様にご紹介させて頂いてる昔の写真ですが、普段色々な方の協力があって成り立っております。

本日は、そんな協力者の方のお宅に伺い貴重なアルバムを拝見する機会に恵まれました。

アルバムの制作者はアマチュア写真家の方で既に他界してます。家族が引き継ぎ、大切に桐の箱で保管されておりました。
 

時折、全国から色々なアルバムをお借りしますが、今回のアルバムは、写真自体のクオリティの高さと、かつてないほどの良好な保存状態に驚きました。これは非常に稀なケースです。見ての通り装丁も素晴らしいです。
 この中からも少しづつ皆様に写真をご紹介していければと思っております。


工房のライフワーク「ムカシアルバム」についてですが、 かつての暮らしや、風俗の写真を全国から集めて、デジタルデータに残して保存する活動を15年ほど続けております。

 先の戦争により戦禍のなか貴重な昔の写真が焼失してしまった事もあり、なかなか多くは残されていないのが現状です。
アルバムの持ち主が亡くなると、処分に困った家族に捨てられてしまうケースも多いです。




保存活動には2つの目的があります。

●経年変化によって劣化する写真をデジタルデータに変換し永久に留めること。
●インターネットを通じ、誰にでも簡単に当時の着物姿の写真を資料として見られるようにすること。

当時、着物がどのように暮らしの中に溶け込んでいたのか見るだけでも興味深いものがあります。これからもムカシアルバムを楽しみにしていて下さい。


2014年8月18日月曜日

秋桜



 今年の夏はずいぶんと湿気の多い夏でした。お盆近くに台風が来たり低気圧がどっかりと日本列島を被い大雨を各地にもたらしました。

 休暇を八ヶ岳のアトリエで過ごしていた私も毎日のように降り続ける雨の中、散歩もままならず、静かに過ごす夏休みとなりました。
 お盆の頃はお花も野山には少なくて、まだ秋の木の実も見当たらず、霧に煙る落葉松林が墨絵のようでした。
 それでも時々、雨が止んだときには表に出ると、もう秋桜があちらこちらで咲き乱れて花の蜜を求めて蝶々が飛び交っています。

蜻蛉も時折やってきてやはり初秋らしい光景を見せています。


 今年の秋は早いかしらと思いますが、長雨のせいでトウモロコシも大豊作とも思えませんでした。ラズベリー狩りにも行きましたがこちらも長雨で実つきが思わしくなく、次の機会にと諦めた次第です。

 抜けるような夏の青空と太陽、そして三時過ぎには涼しい風が吹く高原の夏はまた9月前後には楽しめる事を期待して、晩夏と初秋を同時に楽しもうと出直そうと思っています。

8月には案外と着物を着る機会も多く例年の様に8月になると登場させるトウモロコシの帯が活躍しました。
 この帯を締めてお盆休みに先立ち、8月の納涼歌舞伎を始まるのを待つようにすぐに観ましたが、その日,東京は灼熱地獄の様な暑い日でしたが、2部、3部と続けて観劇しました。
 2部の「勢獅子」の舞踊は粋で格好良く江戸っ子らしくて大いに納涼気分を味わいました。三津五郎さんの復帰もやはり舞台が引き締まって素晴らしいものでした。
 劇場に入っていれば暑さも凌げるので夏は大いに観劇や音楽会に出かけるのも良い機会と思われます。
さて8月も後半ですから、お休み気分から早く脱却して初秋の作品の準備を今日から張り切ってする事に致しましょう。


 さて最後になりましたが、今年の秋は2014年11月8日より日本橋COREDO室町で開催される「きものサローネin日本橋」にあらた工房(11/8-11/10)も初出展します。
 年に一度開催される国内最大規模の着物イベントです。



  工房作品を実際にご覧になりたい方にご来場頂けたましたら幸いです。(入場無料)


2014年7月11日金曜日

次世代に繋げる着物の文化について



 私が着物に携わって50年も経とうとしています。その間余りにも色々なことがあり今は分厚い本のページをめくるように様々な思い出が脳裏を駆け巡ります。

今年の秋から、高島屋さんのカルチャーで着物の講座をという依頼を頂き、その受講生募集の為のパンフレット作りの取材が工房でありました。
 お若いコピーライターの方から沢山の質問が出ましたが、答えて行くうちに着物の世界を取り巻く業界、そして消費者もこの50年で大きく変わってきたと思うのでした。50年前には東京オリンピック開催のため国を挙げての熱気に東京中が包まれていました。
 
 そしてまだまだこの時代には多くの女性が普通に着物を着ていましたので、何かあればすぐ着物を着るという習慣も充分にありました。着物を散り扱う業者にとってもまだまだ商売がしやすい時代でした。

 家族の形態が核家族となり、住居も畳を持たない部屋があったりするぐらいから生活を取り巻く環境が大きく変わって来たので、着物を伝えて行く文化が昭和40年を過ぎた当たりから徐々に伝わりにくくなりました。

 本来は代々女性が伝えて行くべき着物も、どこかで段々と伝わりにくくなって行きました。
 着物を着る方達もずっと減って行き、祝儀、不祝儀やお式が伴う慶事の時しか着なくなり日常的に着る方も少なくなって若い方々がお茶やお花のお稽古に行く事もずっと減って来たのに連れて、何よりも女性の社会進出がめざましくなって女性の着物に対する意識も大きく変わりました。
 私が感じますのに、売り手である過去の男性たちが考えている着物と、着る側の女性たちの着物に対する認識が大きくずれてきてしまってそのまま今に至っているような気がしてなりません。
 女性達はどんな着物を着たいのかという欲求に対して旧態以前の様な売り方が通用しなくなってきているのです。
 つまり女性はワンパターンのままで老いてゆくの ではなく、様々な形で現代を生きているんだという認識が、着物を作り販売する人たちに不足しているのです。
 難しい時代ですが、過去に沢山の着物を持っている人たち、それらの着物を次世代にどうやって繋げて行くかと言う事が大きな問題になっているのです。

 着物の着方ばかりでなく、活用の仕方も含めて廃れないように日本女性の誇りとしての着物文化に取り組むことが、今の、これからの私に与えられた大きな課題であると思う日々であります。
 この度は、これらのことを着物にまだ興味を持っていられる方たちにお話出来る講座の内容にして行く良い機会と思っております。

富岡の製糸工場も世界遺産となった今こそ、素晴らしい絹の文化を伝えて、かつての絹の国、シルクロードのたどり着いた我が国のすばらしさをどうしたら伝えて行けるか。
 着物を愛して着続けて行く人たち、と一方では全く着物の事は考えてもいない人たちと二極化した現代の日本女性に問いかけて行く事が使命だとも考え伝え方を模索している日々です。


2014年6月27日金曜日

憧れの花紀行「青いケシ」に逢う



 かねてより見たかった花を求めての行脚を再開しました。今回はヒマラヤの青いケシを見に行くという小旅行でした。
 昔から見たい花があるとどうしても見に行きたいという思いが募り、終いには愛しい人にでも逢いに行くというような気持にまでなってしまうのです。
 今までも何回かそんな経験をしてきましたが、私にとってもとても険しかった地であったり、高山だったとしても想いの方が先行してしまい、後から考えるとずいぶんと無謀な事もしたり友人を巻き添えにしたり、冷や冷やしたこともありましたが、それもまだ50代までは何とかやってこれましたが、さすがに高い山に登ったり長い距離を歩くには日頃鍛錬しているわけではないので無理だと思いここのところ自粛気味でした。

 この度の「青いケシに」ついてはもうかれこれ20年近く前から気になっていて,彼の地、ヒマラヤで見られるという青いケシに憧れてずいぶんと調べもしたのですが、ヒマラヤへのトレッキングは海外ではどうにも叶わず、さすがの無鉄砲な私でも半ば諦めてもいました。

 それで八ヶ岳の麓にアトリエを持ったときには、海抜1300メートルの地なのでここなら育つかも知れないと勝手に考えて高山植物を専門に扱う苗屋さんにコンタクトを取り学名「メコノプシス」と言われるヒマラヤの青いケシを探して取り寄せて植えて見ました。
 さて花が咲くかどうか植えて1年目ですが一向に育たず一緒に植えたブータンの青いケシだけが一輪翌年の夏に咲いたのでした。ヒマラヤのはダメだったけれどブータンのが咲いたので大喜びしました。
 咲いたのはたったの1回だけでその後はヒマラヤのもブータンのも咲くことはありませんでした。
 同時に植えた早池峰ウスユキソウも根付かずエーデルワイスの花の夢も潰えてしまったのです。今から15年前くらい前のことです。エーデルワイスの方はその後早池峰山に登り目的を果たしたのですがこれも大変なものでした。




 憧れていた青いヒマラヤのケシは空のように綺麗な濃い水色らしいのですが2000メートル級の高地でなければ無理で、それも岩だらけの厳しい土地で咲くらしくてそれほどは高くない私のアトリエの庭では無理なのは重々分かっていたのでしたが、近くの園芸店の方に言わせると「ここで青いケシを咲かせたらニュースものだよ」といわれると余計むきになったりもしました。
 それでも咲いてくれたブータンの青いケシは青と言うより渋い紫色のような色だったのですが、居合わせた友人がカメラに納めて「節子さんの青いけし」と書いてプリントしてくれました。
 ケシは一日花なのですぐ散るかと思ったのですが案外ひなげしよりは丈夫で3,4日は持ちました。

 今思えばあの時のブータンのケシは夢だったのではないだろうかと思えるのですが、写真が残っているので夢ではなかったのです。
 その後も青いケシのニュースが気になり日本でも栽培されているところを知り長野の山奥、大鹿村のさきにある農園を訪ねて行きましたが時期が悪く終わってしまっていて見られず残念でしたがそれももう3年くらい前のことです。
 今年こそと狙っていたのですが車でなくては行けないところで、どうしても車の都合が付かずケシこの夏も無理とあきらめていたところに、ニュースで日光の塩原の方にある「上三依水生植物園」で青いケシが咲いている事を知り、どうしても行かねば終わってしまうと万障繰り合わせて出かけたのでした。

 そしてやっと見る事が出来たのですが思っていたよりはブルーが薄かったものの,何とか見られました。
鬼怒川からまたずっと奥の方で人も少なく爽やかな緑の中をずっと植物園まで平地で難なく歩くことも出来て楽に見学出来ました。
 梅雨の晴れ間のひとひでしたが同行の友人にも恵まれお天気も良く目的を果たして来ました。来年こそは長野の農園にまた青いケシを見に行きたいと思っています。

 そしてそしてなにより驚いたのは鬼怒川からは一本で新宿まで乗り入れるラインが東武鉄道にあった事でした。帰りはその電車に乗りました。たまには鉄道に乗らないと分からないことです。

 次の憧れの花行脚はどこに行こうかと考えています。
いつかいつかと思っても、実行に移さないと何事も成就出来ないなとつくづく思いました。まだまだ憧れている花は何種類もあります。花に会える旅はこれからも続きそうです。


2014年6月3日火曜日

椎の老木


 五月の終わりに工房に植木屋さんが入りました。そして一本の椎の老木を切り倒すことになりました。これで椎の木は残り一本となってしまいました。

 そう広くもない庭にうっそうとするくらいに椎が茂り風通しも悪くなり,隣の公園の桜もすっかり大木になったので少し離れて見る我が家は小さなジャングルのようになってしまい、思い切って椎を一本だけ切ることとなったのです。


 この長い年月、椎は五本もあったのがついに一本を残すだけです。私は切られた椎の切り株を見つめて少し寂しくまた切ない気持になりました。年輪をかぞえてみましたが良くはわかりません。


かれこれ100年近くはここにあったと思うと可哀相な気にもなります。少しのお酒とお塩を供えましたが心がちくっとしています。

 この老木を特に可愛がっていたというわけでなくいつもいつも葉が茂る度に手入れをしないと大変という思いから植木屋さんを入れる時期を考えたり,大量に落ちる枯れ葉に四苦八苦して最近では枯れ葉を掃除するのに箒を使いすぎて肘が痛くなる始末でしたから少々重荷になっていたのも事実でした。私より長生きしている木を切るのは複雑な心境でした。






 私自身がこの椎の木とつきあっていくのが限界だったのかも知れません。情けない気分にもなります。


ずっと先の事を考えると自分の身の周りの始末は、すこしずつ整理をしなくてはと考えるのは庭木も同じだと思うのでした。子供が小さい頃には落ちた団栗をひろったりしてそれなりに楽しかったのが思い出されます。

さて老木には別れを告げましたが折から私の仕事は今、着物の再生に取りかかっています。6月半ばまでは「夏の着物新作展 あらた会」と「古い着物の相談会 今昔の会」が開かれています。

 毎年、沢山の着物が集まりますが,これらの再生に取り組む仕事が待っています。古い着物を甦らせて新しい命を吹き込むことは、あと自分にどれくらい出来るか分かりませんがせいぜい頑張ろうと思っています。


 樹木にも着物にも全て命が宿っています。同時に役目を終えて行く物、再生してゆくものたち、様々ですがその狭間で生かされている自分の役割を見出そうと思う6月です。

 梅雨がもうじき始まりそうですから今のうちに染める反物を積み上げてこれからは天気予報を見つつ仕事する日々が続きそうです。

2014年5月8日木曜日

モダンガール,モダンボーイ



 過日、TBS系、朝の情報番組『はやチャン!』にて、昔のヘアースタイルの変遷を説明する場面で、あらた工房のホームページ内でのコンテンツ「ムカシアルバム」のヘアースタイルの写真が紹介されました。


 パーマネントが美容界に導入されて一般に流行ったのはいつ頃か戦後すぐだったと子供心に記憶していますが戦前にはどうだったのでしょうか。

 今回番組に提供した写真は母とその姉が写真館で写した物ですが、二人のヘアースタイルはパーマではなくコテでウエーブをつけてセットされたスタイルです。
 おそらく戦前のまだ戦争の影もない時代で昭和の初期だと思われます。洋服や着物姿でも髪型もこのようなスタイルで当時は流行の先端を行っていたのでしょうか、

 何時だったか年配の美容師さんに今でもこんなヘアースタイルができるのか聞いた事がありますが、無理でしょうと言われました。今の人はコテを使えないからだそうです。
 このころの洋画では有名なグレタ・ガルボという女優さんのブロマイドでは素敵な帽子と母達がしていたヘアースタイルの写真が多く見られます。
 人気のあった女優さんですから当時はまねした女性がいっぱいいたことでしょう。
髪型も服も靴も直輸入のスタイルの母の友人の姿もこの「ムカシアルバム」に残されています。



 仕事を持つ女性は職業婦人と呼ばれていた時代ですが、何時の世にも時代の先端を取り入れようとする若者がいるのは昔も今も変わりません。
 また、この頃若かった父は独身時代には朝食は度々ミルクホールでドーナッツとコーヒーやミルクで済ませたという話を聞いたこともありました。こちらはモダンボーイでしょうか。
 今のように外食産業がない頃ですからミルクホールでこんな朝食なんて言うのもお洒落で江戸っ子で新し物好き、ハイカラな父のスタイルだったのでしょう。若い時の父を想像すると微笑ましくさえ思えます。

 情報もなにもない時代、せいいっぱいに洋風なスタイルを取り込み青春を謳歌していた両親も戦争が始まった頃の結婚式のなりは国民服に坊主頭となり、戦地に赴き10年余りもお国のために兵役につくし、母はもんぺ姿で銃後の守りとなるわけですから戦争になればお洒落も何もないわけです。戦争は本当に個々の自由を奪い嫌だと思います。
 
 今回の写真を提供した母とその姉の写真を見るにつけ、母の姉つまり私の伯母は東京の空襲で家に爆弾を落とされて爆死するのですが、平和な世の中にあって、ひとたび有事があればファッションなんて脆い物だと思わざるを得ません。

今,南シナ海で石油採掘を巡り中国やベトナム、フィリピンがもめていますが、戦争にならなければいいと願ってしまいます。

 大正初期に生まれた両親はいま生きていても不思議ではありませんが、父は先の戦争で相当に体を傷め、幾度となく生死をさまよったせいかその後48才で早世しました。
 大正生まれのモガ、モボもお洒落を楽しんだのもつかの間の青春で戦争に翻弄された世代だったと気の毒に思うのです。

 爽やかな五月の風を身に受けていると平和っていいなと思いますが、こんな時にも一触即発ですぐに戦いが起きそうな気配が世界のあちこちで起きているのも事実でしょう。

 振袖の製作に没頭している毎日ですが、こんな風に穏やかな日々がずっと続きますようにと祈るような気持になります。暗いニュースや争い毎の絶えない事件が世界のあちこちで勃発している様子を聞くとつくづく戦争は嫌だと思うのに、人間は、愚かにも懲りず救いようもない過ちを何度も繰り返しているとしか思えません。

何はともあれ、この美しい五月の空の下のびのびとお洒落を楽しみましょう。お洒落が楽しめると言う事は生きているという証であり生きる力の源であることだと信じています。かつてのモガ、モボのように。

2014年4月22日火曜日

眩しい若葉



 4月上旬の桜に一喜一憂しているうちに、桜が散れば中旬の東京は再び寒さが戻り暖かなエイプリールシャワーとはゆかず。
 冬を思わせる氷雨に驚き、片づけようと思っていたコートをまた着なくてはと,気温の差に体調も崩しそうな日々が続きました。
 ここへ来てやっと4月らしい気温になり気が付けば、もう木々は若葉に溢れてその生命力に眩しささえ感じます。

 工房の庭の椎の木は古い葉をどっさりと落として、枝垂れ紅葉は紅い新芽を吹き椿もぽとぽとと咲きつつも落ちています。麗しい4月は初夏を迎える為の準備を着々としているようです。


 この4月にも多くの出会いがあり、知り合う人の数も増えて,私の年代になっても新しくお友達が増えるのはとてもうれしい事と思えます。世代を超えてのお付き合いはいつもフレキシブルな考えを私にもたらします。
 昨日まで知らなかった人と親しく言葉を交わしたりする事は、初めて見た花の名前を知ることと良く似ています。

 今日、お花屋さんでかわいらしいピンクの濃淡の紫陽花を見つけました。もうすぐ紫陽花の季節なのだと思い名前を聞けば「ダンスパーティー」という名前だと言う事です。
 どなたが考えたのか知りませんが、確かにそんな雰囲気の紫陽花でそのネーミングの安易さが楽しい笑いを誘いました。そして大好きな金魚草もいくつか鉢を求めて紫陽花に添えました。


 今、工房では3月に注文を頂いた蒲公英の綿毛の染め帯を何本か制作中です。急がないと綿毛がみんな飛んで行ってしまうので大急ぎで制作中です。
 綿毛は白いので柄にすると目立ちにくく帯の地色は爽やかなレモンイエローにしました。
 黄色の帯はなかなか無いのですが、私は渋い紬にはとてもよく合うと信じています。
イエローに、ほんの一滴の緑を垂らすとさわやかなレモンイエローになります。
その兼ね合いが難しいのですがまた楽しくもあります。
 の色に奮闘していた時に、何気なくテレビを見たら洋服の評論家のような方が、女優さんの春の装いを見ながら色々と説明していて「今年の流行りはレモンイエローです。ファッションの一部にこの色を取り入れるのが流行です。」と話しているではありませんか。

 私はおかしくなって、なんの理由もなく昨年の秋からこの色に自然に取り組んでいて今年になり完成したのにと何を今頃言っているんだろうかと思ったのでした。
 このような思いは過去に何回も経験しています。その時により緑だったり茶色だったりと色々ですがある一色が、どうしても気になり頭から離れずその色を追い求めている自分がいつもいます。
 そしてその色はやがて半年から2年ぐらいを経て急に注目されたりするのです。
 決して偉そうに言うのではないですが、時代がその色を求めるのだと感じ自分が色作りにかかわるものとして世間より少し早くにキャッチ出来るのかなと思います。

 着物は洋服ほど激しく変化をしないのですが大きなうねりはあります。
50年も色々な色を作り続けていると敏感にもなり、時代がどんな色を求めているのか直感というのか本能的に感じます。
 自然界の様々な色から啓示を受けて心の赴くままにこれからも自分の色を産み出して私らしい色に育てていきたいと思う暮春です。
 八重桜の花びらがどこからか散り,路地の端をピンクに染めて積もり葉桜の若緑がさやさやと風にそよいで4月も終わろうとしています。


2014年3月17日月曜日

梅は咲いたか、桜はまだかいな、、



 なんと、3月の日の経つのの早いこと、あっという間に半ばも過ぎてしまいました。
 前半がまだまだ寒かったので縮こまっている内に時間が経過して行きやっと昨日辺りから日が延びて来た事に気が付き、花桃の木に僅かにピンクの小さな蕾を見つけました。
 先週に妹が婚家先の実家の筑波の梅林から大きく梅を切り出して届けてくれたのが今日の暖かさで次々と開花してピンクの花が良い香りを漂わせてくれています。梅の香は本当に気品のある香りで桃にも桜にもない特徴です。


 さて隣の公園の桜はどんなかと見に行きましたが全く蕾もまだ見られず、4月5日の工房のお花見会には間に合うのだろうかと少々不安になりました。
 東京の開花予想は30日と聞いているのでこれから暖かい日が続くようにと期待しています。

 桜が咲くとああ今年も生き延びたわ…とだんだんそんな思いが強く感じられます。桜の木の寿命は60年ぐらいがピークと聞いた事がありますが人間の寿命にほぼ似ているのでしょうか、樹齢何百年などと言われている樹は人の手を借り接ぎ木をしたり多くの手入れを施されているのでしょう。
 今年はまた各地で桜を眺める事になるでしょうが桜行脚も私の年齢になると桜巡礼という風に思えます。今まで各地で眺めた桜の風景が瞼に浮かんで来ます。

まもなく20日から、工房の春の新作展示会も始まります。
 桜を表す作品の展示はこの期間だけです。あらた工房の桜をいらして下さった方に作品でお伝えし桜の美しさを共有して日本の春を愛でたいと思っています。

当分暖かな日が続きそうです。当たり前ですが平成26年の春って2度と巡って来ないのだと思うと、今までは何となく過ぎて来た春も毎日味わいながら過ごそうと今年は特に感じます。もうじきお彼岸です。
 今年の桜を見ることが叶わなかった知人が増えて来たのには、少しばかり気が滅入るのですが私の年齢を考えれば致し方無いこと、今年お花見を共に過ごす4月5日のお花見会は友人たちと賑やかにしようと考えています。

2014年3月1日土曜日

沈丁花の蕾


 いよいよ2月も終わりとなりました。2月は私に取っては特別な月です。
月末に誕生日を迎えるのは28日であったり29日であったり、どちらでも良いという閏年生まれの私はふしぎな感覚を持ちます。
 29日になったとたんにこの世に誕生したのは勝手な思い込みかも知れませんが、いかにも自分らしい気もします。
 1月生まれと2月生まれをいっしょにして「睦月如月の会」と称して今年も集まれる人たちだけでお食事会を実行しました。
 食事の後、記念写真を撮りました。桜の帯と蝶々の帯を締めていらしたお二人に挟まれて梅の帯の私は幸せに思えました。


もう一年一年がますます大事に思えてなりません。ずっと気になっていた、まどみちおさんが亡くなりました。
 どんな小さな事でもじっと観察して見るまどさんの生き方は本当に素晴らしく私もあんな風になれたらいいなあといつも思っていました。
 彼の年齢までは生きるのは至難の業でしょうが、おこがましいですがあの生き方、物を見つめる姿だけは習いたいと思います。ご冥福をお祈りします。
 ぞうさんぞうさんと歌われるあの歌は私も何度も何度も子供たちに歌ったと思います。歌詞の持つやさしさは親子にとって心がほんわりとするのです。何気ない詩なのですが何時までも心に残ります。

 28日はとても暖かな日となり暖房も消す程でした。これからが三寒四温なのでしょう。東京の桜の開花予報も出て春に向かう心構えというか覚悟もできました。覚悟というのも可笑しいですが開花予報が出ないと春にまっしぐらにという気分になれないのです。
弥生という言葉の響きもいかにも春だ春だよという気分にさせます。
 3月になれば降る雨さえ氷雨ではなく新芽の成長を促す甘やかな春雨と思えてそれほど辛くはなりません。

 昼間に小道を歩いたら近くの家の植え込みにエンジ色の沈丁花が固くエンジ色の蕾をたくさんつけていたのを見ました。もうすぐ香り高い春の空気と春風を運んで来てくれるのでしょう。秋の金木犀とおなじ役割で春の使者といつも感じます。
 賑やかだったソチの冬期オリンピックも終わり静けさが戻ったようです。穏やかな春が始まりますようにと願う3月がやってきます。

2014年2月6日木曜日

立春過ぎたのに寒波



 立春も過ぎましたがこのところ厳しい寒さが続きます。
朝には薄氷が張っているのが見られます。そうかと思えば急に春めいた陽気になったりして三寒四温がぼちぼち始まっているようです。
 外に出れば冷たい風が吹き足下も冷えるので春はまだまだ遠いのかと待ち遠しく思わず、桜や桃の木を仰ぎ見て新芽を探してしまいます。
 でもそろそろ山茶花も散り始めて、椿がちらほら咲き庭木の梅も蕾をほころばせてきています。

 玄関の植え込みも春らしくしようと「うぐいす」という品種の白い桜草を三鉢ほど買ってきて植え替えて見ました。お正月からある白と紫の葉牡丹をあしらってみたら清楚な雰囲気でした。


 折から東京にも春の淡雪が降りかかり早春の感じになりました。
葉牡丹の脚がぐんぐんと伸び始めて来なければ本当の春にならないでしょう。
 春が待ち遠しいこんな日々もまた楽しさに替えて少ない2月の日々をじっくりと過ごそうと思うのです。
 
 工房で開催中の帯のコレクション展「逸粋会」も後半になってきました。
 本格的な春が来て帯付きで出かけられる日がやってくれば素敵な帯が大活躍するはずです。日本の四季を楽しむのはそんな帯姿です。

 特に染め帯は着物姿を表情豊かに見せます。四季のある日本に生まれてよかったと思えるのです。また、日本女性でよかった、よくぞ女に生まれけりと思える着物の美は季節を細やかに追求する事が出来る独特な民族衣装です。日本の風土が培う事の出来た衣装でもあることは誇らしいことです。
 これは言い過ぎかも知れませんが日本女性であればこそ着物が楽しめる特権があるのですから着物を着ることもなく歳を重ねて一生を終えないで下さいと切に思います。
 言いすぎかも知れませんが私がいつも思っている事なので、着物の楽しさ、魅力を十分に味わって日本女性らしく充実した美しさを味わいお洒落を楽しみいくつになっても日本女性らしく生きて欲しいと願う私の本音であります。

 今、ソチでは冬期オリンピックが始まったばかりです。
美しくも強く、たおやかな大和撫子たちが活躍をすることでしょう。テレビ観戦ばかりして寝不足にならないようにしなければとは思うのですが私が何度生まれ変わったとしてもスケートやスキーをする人生を送るとは考えられませんから夢や憧れを選手たちに託してせいぜい応援したいと思います。

 氷上に咲く花のようにその美しさと力強さ健気さは私にも勇気を与えてくれます。
玄関脇に植えた真っ白な桜草も1本脚の葉牡丹もフィギュア選手のようにも見えてしまいます。

2014年1月27日月曜日

瑠璃の会の新年会はジャズで



1月最後の日曜日、26日に東中野日本閣にて
 
着物で遊ぶ「瑠璃の会」
「Happy&Jazzy に新年会 in 東中野
〜ニューイヤー・ジャズコンサートとハッピーブッフェ〜が開催されました。

気温が乱高下する中でも桜が咲くような陽気といわれた暖かい昼に開催されました。


 今回は久しぶりのジャズ演奏で華やかに楽しく幕を開ました。60人近くの着物姿とジャズとのコラボはとてもユニークな会です。着物で遊ぶ「瑠璃の会」の趣旨通り、それは楽しい新年会でした。

着物男子も少しずつ増えて来ました。今回は着席ながらもブッフェスタイルでお話も弾み、参加者同士の交流も大いに計れました。
 1月の「瑠璃の会」は何10年振りで、やはり新年1月の試みは改まる気持ちも湧いて新鮮です。


 毎回、瑠璃の会の企画には頭をひねり準備も大変なのですが、参加者皆さんの笑顔を見ているとやりがいがあります。大勢の参加者の皆さんに感謝の一日です。この会が無事に終わりやっと、新年度の幕が開けた気がしました。

それにしても着物を着ると皆さん何て姿勢がよくなりしゃっきりするのでしょうか。


 これだけの皆様の着席された着物姿を私は後ろから眺めて、着物はやはり日本人によくあっているし美しく見せるものだと改めて感じました。

2014年1月9日木曜日

門松取れれば

 無事にお正月の七草も終われば明くる八日は雨模様です。お正月の間中はずっとお天気続きでしたけれどお天気もここらでひと休みという所でしょうか、午後からしとしとと雨が降り始めて乾燥しきった空気もほどよくなりました。これ以上冷えると雪になると困りますから明朝には止んで欲しいと思います。

 松の内、3日には旧岩崎邸でのコンサート、7日には新春浅草歌舞伎行きがあり、外の力を借りてお正月気分を盛り上げるのが毎年の習わしのようになっています。





お正月にはあれもしたいこれもしなくちゃと思いつつずるずると日が経って何も出来ずにあっという間に長かった休みも終わってしまいました。明日は一日中着物の片付けに追われそうです。

静カな中、雨音とともにお正月も過ぎて行きます。今年はどれくらいがんばれるでしょうか、平成26年、自分に期待しています。