2017年1月12日木曜日

あらたまの年の初めに想う



 新年が明けたら早、半月ほどあっというに経ちました。
成人式も終わりいろいろとその装い方にも思う事もありましたが、はやりのスタイルや髪型にあれこれと言いたくなるのは自分が年をとったせいかしらとか、いや、そのせいばかりではないと、とつおいつ考える日々であります。

 そして平成の御代もなんだか終わりを告げそうな気配で、今度はどんな元号になるのだろうかと大きく変わる時代の変わり目に立ち、オリンピック開催の日もひたひたと足音を立ててやってくるみたいで新都知事の動きを報道で見るに付けて先の東京オリンピックの時がつい昨日のように思い出されます。

 この50年あまりの東京の変わりようには、今更ながらよく自分も時代の波をくぐりながらも仕事を続けられたものだと思わずにはいられません。

 あの頃オリンピック景気に沸いた頃、私はすでに某デパートの仕事をしていてネコもしゃくしもオリンピックと熱に浮かされるように東京中いや日本中が草木がなびくようでありましたから、今思い出すとおかしくなる事なども多々有りました。

 先日、当時の仕事の図案の中に聖火台の小さな柄の小紋用の図案とか五輪の輪の帯の柄が見つかり懐かしくもあり、またなんだか可笑しくもなり思わず笑ってしまいました。

 あの頃誰も彼もがオリンピックに向けて商魂たくましくて、また様々な業界もオリンピック景気に乗ろうとした物でその騒ぎに乗って、テレビはカラーテレビが開会式のアンツーカーの美しさを声高に実況しました。
 カラーテレビはまだ普及していなかったので、テレビを観た人がつまり知り合いが興奮して私の母にしゃべっていたのが思い出されます。目をつむるとあの時代のざわめきが私の耳に蘇ってきます。
 国を挙げてのお祭り騒ぎに誰も疑わず、人々は前進あるのみで熱に浮かされたような勢いで、それすら不思議とは思わず、今とは全く違いました。




思えば誰も疑問も持たず、突き進んで来た昭和の時代は単純ではありますが、幸せに思った人が大半だったのでしょう。

昭和から平成にかけては私も家庭づくり、子育て、仕事に夢中になり過ごす日々でしたがそんな時代ももうすぐ終わろうとしているので感慨深く思えて新元号になったら自分にとっては最期の元号と思いますから実り大きい日々でありたいと願うばかりです。そして着物の仕事はまだまだ続けるつもりでおります。

 自然との関わりをもっともっと深めながら毎日を大事にそして上質な時間を過ごせたら
いいと新しい元号を迎え受け入れて行こうと考える日々です。