2014年5月8日木曜日

モダンガール,モダンボーイ



 過日、TBS系、朝の情報番組『はやチャン!』にて、昔のヘアースタイルの変遷を説明する場面で、あらた工房のホームページ内でのコンテンツ「ムカシアルバム」のヘアースタイルの写真が紹介されました。


 パーマネントが美容界に導入されて一般に流行ったのはいつ頃か戦後すぐだったと子供心に記憶していますが戦前にはどうだったのでしょうか。

 今回番組に提供した写真は母とその姉が写真館で写した物ですが、二人のヘアースタイルはパーマではなくコテでウエーブをつけてセットされたスタイルです。
 おそらく戦前のまだ戦争の影もない時代で昭和の初期だと思われます。洋服や着物姿でも髪型もこのようなスタイルで当時は流行の先端を行っていたのでしょうか、

 何時だったか年配の美容師さんに今でもこんなヘアースタイルができるのか聞いた事がありますが、無理でしょうと言われました。今の人はコテを使えないからだそうです。
 このころの洋画では有名なグレタ・ガルボという女優さんのブロマイドでは素敵な帽子と母達がしていたヘアースタイルの写真が多く見られます。
 人気のあった女優さんですから当時はまねした女性がいっぱいいたことでしょう。
髪型も服も靴も直輸入のスタイルの母の友人の姿もこの「ムカシアルバム」に残されています。



 仕事を持つ女性は職業婦人と呼ばれていた時代ですが、何時の世にも時代の先端を取り入れようとする若者がいるのは昔も今も変わりません。
 また、この頃若かった父は独身時代には朝食は度々ミルクホールでドーナッツとコーヒーやミルクで済ませたという話を聞いたこともありました。こちらはモダンボーイでしょうか。
 今のように外食産業がない頃ですからミルクホールでこんな朝食なんて言うのもお洒落で江戸っ子で新し物好き、ハイカラな父のスタイルだったのでしょう。若い時の父を想像すると微笑ましくさえ思えます。

 情報もなにもない時代、せいいっぱいに洋風なスタイルを取り込み青春を謳歌していた両親も戦争が始まった頃の結婚式のなりは国民服に坊主頭となり、戦地に赴き10年余りもお国のために兵役につくし、母はもんぺ姿で銃後の守りとなるわけですから戦争になればお洒落も何もないわけです。戦争は本当に個々の自由を奪い嫌だと思います。
 
 今回の写真を提供した母とその姉の写真を見るにつけ、母の姉つまり私の伯母は東京の空襲で家に爆弾を落とされて爆死するのですが、平和な世の中にあって、ひとたび有事があればファッションなんて脆い物だと思わざるを得ません。

今,南シナ海で石油採掘を巡り中国やベトナム、フィリピンがもめていますが、戦争にならなければいいと願ってしまいます。

 大正初期に生まれた両親はいま生きていても不思議ではありませんが、父は先の戦争で相当に体を傷め、幾度となく生死をさまよったせいかその後48才で早世しました。
 大正生まれのモガ、モボもお洒落を楽しんだのもつかの間の青春で戦争に翻弄された世代だったと気の毒に思うのです。

 爽やかな五月の風を身に受けていると平和っていいなと思いますが、こんな時にも一触即発ですぐに戦いが起きそうな気配が世界のあちこちで起きているのも事実でしょう。

 振袖の製作に没頭している毎日ですが、こんな風に穏やかな日々がずっと続きますようにと祈るような気持になります。暗いニュースや争い毎の絶えない事件が世界のあちこちで勃発している様子を聞くとつくづく戦争は嫌だと思うのに、人間は、愚かにも懲りず救いようもない過ちを何度も繰り返しているとしか思えません。

何はともあれ、この美しい五月の空の下のびのびとお洒落を楽しみましょう。お洒落が楽しめると言う事は生きているという証であり生きる力の源であることだと信じています。かつてのモガ、モボのように。