2011年2月28日月曜日

歳を重ねて


 今日は2月最後の日です。何年経っても2月28日は好きではないのです。いつも寒い月末で落ち着かない日であるからです。
そして、この日が自分の誕生日と決められてもいるからです。本当は29日の深夜12時過ぎに誕生したのが事実らしいのですが、母が亡くなってしまった今は確かめようもありません。
29日では困るので28日にしておこうと医者に言われたとか聞いた事はあるけれど、月末の誕生日は忙しくて結局、翌月の3月3日におひな祭りと一緒に祝ってもらい、友だちを呼んだりちらし寿司を作ってもらったり、私の誕生日はいつもおひな祭りと一緒でした。
 
ですから自分の誕生日は戸籍の届け日と私の本当の生まれた日といつも祝ってくれた3月3日と3回もあるような感じとなっています。
おひな様は永遠に歳を取らないし、私もあやかりたいと思っています。

きのうまでの暖かさはどこへやら、今日はまた気温が10度も下がって寒さがぶり返して朝から氷雨のような冷たい雨が降っています。月末の用事を抱えているのですが、外出も辛いなと躊躇したくなるような日となってしまいました。

 折から入学試験真っ盛りのシーズンで、インターネット上に試験の内容と回答が流れてしまい大変な事になっているようです。もうすでに試験と呼ばれるような経験もとんと無い私ですが、試験とは言えませんが今月は免許の更新がありました。 また5年間の資格が伸びたのですが、ペーパードライバーの私もいよいよ正念場で最後のチャンスだと迷うのですが、周りのほとんど99パーセントの人たちは私に運転は無理と言います。

たいていのことは何とかやり遂げて来たのに、このことだけは挫折したことに悔いが残ります。歳を重ねるほど本当は必要だったのにと思うと残念です。

 後は全く関係ないことなのですが、沢山の犬を飼っていた中でシェパードを飼うチャンスが無かったことも未だに残念です。若いときに一度飼ってみたかったと先日テレビで見たドラマの中でのシェパードの映像に見入ってしまいました。
といって今は2匹の日本犬を可愛がることには大満足はしていますが、人の欲も限りがないもので困ったものです。
 昨日買って来た桃の枝を切り揃え桃の節句に備えています。妹から借りた手作りの吊し雛がひな祭りらしく花を添えています。
この雨が止めば一気に春に近づく事でしょう。

2011年2月22日火曜日

町起こし


 週末から日曜にかけて私の工房がある隣の駅周辺では町起こしという目的で染めの町をアピールしてイベ ントが催されていました。川に何反かの反物を張り近くのお店屋さんにのれんを掛けたり工夫をしていました。この町を宣伝して東京の染めに携わる町であるこ とをアピールして多くの人にわかってもらおうという試みで染色関係に従事する人や商店街の協力で関係者は頑張っていられるようです。

 元々は妙正地寺川の周りに昔は染めの工場が多くあり東京の染め物が盛んだった地域なのです。新宿区の地場産業として最近よく取り上げられています。
私の工房がある中野区は新宿区に隣接しているので、新宿と中野区がこの川を中心にして栄えていた事は私の子供時代からでした。もっと上流の神田川に続く川ですから高田馬場あたりにも染色の仕事をする人が多かったのです。 

 最近の着物業界の落ち込みと高齢化による廃業、後継者不足もあり年々に難しい業種となってしまいましたが少しでもこのようなイベントで盛り上がればと思っています。
何 年か前のバブル最盛期にはそのあおりを受けてずいぶんと廃業が続きました。高齢化と後継者なしにくわえて比較的広い工場を持っていた染め屋などは折からの 地価の高騰と新宿副都心のそばでマンションが次々と建ち始めていた渦に巻き込まれてしまったのでした。あのバブルの時は本当に良くなかったです。ずいぶん と失われた物が多かったのでした。工場がつぎつぎとマンションに代わり、仕事を辞めた人たちは多くて辛い時期でもありました。都心ですが仕事場を失った人 たちは二度と復帰は出来ないでしょう。
 伝統を守る仕事は歯を食いしばっても続けていないとなりません。維持するのは大変なことでも何とか生き残って行かないとなりません。
あと50年後はどうなっているでしょうか。着物が今より廃れない事を願うばかりです。 
 折から我が工房は春の作品を製作中です。明るい希望を抱いて前向きに良い作品を産み出したいとの思いを強く思う日々が続いています。

2011年2月14日月曜日

桃の節句を前に


 もう中旬となった二月ですがはや、三寒四温が始ったと思うのは早いでしょうか。
今が最も寒い時でゆるゆると春に向かうのなら例年通りですがそろそろ桜の木を見上げる頃になりました。
でもその前には桃の節句があります。まだまだ桃の花も花屋さんで見られません。

 毎年せっかちな私は早く桃の花が手に入れたくて何回も花屋さんに出向いては「まだですか。」と聞くのが恒です。そのうちにムロで育てられた桃が花屋さんに入ってくる事でしょう.そうなると本当に春が来たと思うのです。
 昨年の春に植木屋さんが手入れに入っていた時,小さな庭に紅白の咲き分ける枝垂れ桃が欲しいので探してと頼んだ事を植木屋さんは覚えていてくれるでしょうか。
気にかかっています。唯一今,手に入れたい植木です。

 昨年の暮れにはミモザの苗木を鉢で買ってきて大事に育てています。ミモザは3回目の挑戦です。どうもタイミング悪くて水を切らしたりして失敗していますから今年こそと密かに願っています。
うまく地植えにさえ出来れば大きく育ち可愛い黄色の花がたわわに花をつけてくれるのではと夢見ています。大きく育ったミモザを工房のシンボルフラワーにしたいのです。マザーツリーとも言うのでしょうか。何年かかるか分かりませんが大きいミモザが風に揺れているのを想像しただけでも嬉しくなります。

 山のアトリエの方はフラミンゴという木をシンボルツリーにしていますので、こちらも遅い春からきれいな新芽が吹いてくるのが楽しみです。今は葉の一枚も無く寒い山の中できっと耐えている事でしょう。
ひな祭りを眼前に桃の花が春を告げてすぐに桜が追いそれから一気に花々が咲き本格的に春満開というのが順当で,水仙や梅は春の前触れを告げる花たちに思えます。そして一旦厳しい冬に戻ってから一気に春になるのでしょう。
  寒い厳しい冬があるからこそ、春を迎える楽しみがあるのです。花も実も無い季節なので椎の木に餌箱を下げてリンゴを置いていたら鳥たちがやって来てつつき ます。鳥の為にと付けた餌台の側はガレージで糞を落とす為に車が汚れてしまうのです。この事はかなり被害がひどく家の者にひんしゅくを買っています。
 確 かにドアのあたりや窓が酷く汚れてしまうのはまずいので餌台の場所を変えなくてはと思います。花が咲くまでは小鳥も雀もカラスにも優しくするのは大変です。人と自然との共存,住み分けはこんな事もあるし、うまく折り合いをつけて行くのは難しいことです。人間は欲張りなものです。お雛さまたちも笑っている 事でしょう。

2011年2月7日月曜日

春の歌


 やや春めいてきた土曜日の夕方、私鉄沿線の、とある場所でサロンコンサートが開かれて私は聴きに行きました。昼下がりに外に出ると風の匂いや空気の中に春が来たのだと体が実感しました。
 毎年春の予感は大気から感じるのです。最初に、感じたこの感覚を自分にとっての春と思っています。春の息吹は空を渡る大気なのか、風のかすかな動きなのかわかりませんが肌で感じます。まさしく春の匂いも鼻腔に感じるのです。
  
 サロンコンサートは40人ほどの集まりでした。様々な歌が歌われる中で日本の歌もありました。季節柄でしょうか、「早春賦」が歌われたときは思わず涙がじ わっとあふれそうでした。その歌は母の愛唱歌でこの季節になるといつも母が台所に立ちながら歌っていました。小さいときから聞き慣れていましたので早春賦 の歌は母そのものの思い出がいっぱいなのです。
たぶんご機嫌が良いときに口ずさんでいたのでしょう。そんな様子を見ている子供だった私までうれし くなって来るのでした。そして季節も春めいているのですから少し浮き浮きする気分までしてきて家の中いっぱいに幸せが満ちてくる思いになったのです。台所 ではコトコトと母の創る料理や匂いがが立ちこめていて暖かくて楽しかった子供時代の感覚が甦ります。
「早春賦」の歌一つでこんなにも思い出が膨らんで来るなんて歌の持つ力は大きいと感じます。

そのあとは「浜辺の歌」が歌われましたがこの歌も母の大好きな愛唱歌でした。
でもこの歌を歌う母は娘時代や女学生時代の思い出をたどるかのようでしたから私も少し距離を置いて聴いていました。遠い昔を思い出すかのような風情でしたからきっと母自身の思い出が詰まっていた歌だったのでしょう。少しもの悲しい調べは心に響きます。
 母が病に倒れて病院で意識ももうろうとしている中で、どうしてやることも出来ない私は母の枕元で小さな声で母の好きだったこの2曲を繰り返し歌い続けた思い出があります。母もかすかに目を閉じたまま唇を動かしていた気がします。

 そんなわけでこの歌を聴くといまでも眼がじわっとしてくるのは仕方のない現象でしょう。
大正時代には様々な日本の名曲が数多く生まれてきたと、サロンコンサートの主催者が話していました。
大正時代から昭和の初期までに生まれた素晴らしい曲のなかに母の青春時代もあったのでしょう。美しい調べと文学的な格調高い歌詞に浸って過ごした娘時代は、日本の良い時代だったとも思います。
いつまでも胸に残る名曲ばかりです。

 この夜は私にとり、たっぷりと母を思い出す夜ともなりました。もうすぐ私も誕生日を迎え、また歳を重ねる事になります。母に感謝しなくてはなりません。
風邪を引いて鼻がぐずぐずするのですが「早春賦」の歌を聴いたので余計にぐずぐずとしてしまいました。春は本当にそこまで来ていると思える夜でした。