2015年3月29日日曜日

弥生は人も花盛り



 3月も終わりを告げようとしています。今年は桜の開花も2、3日早めだそうで月末はお花見で各地が賑わっています。桜が咲くと人々は浮かれ気分となり親しい仲間とお花見に繰り出そうかと誘い合い春を迎えた喜びに誰もが心躍る思いです。
 

工房隣の公園の桜の古木は2本あり、100坪ほどの敷地ですから花が咲くと空いっぱいに広がり空は隙間からしか見えないほどです。

加えて工房の源平咲きの花桃も開花して可憐な赤やピンク、絞りと、ピンクから赤にかけてのグラデーションが作り物のようで、塀を見上げる人は同じ1本の木からですか?と必ず聞きます。
 家にいてもお花見が出来るのでこの時期はどこにも行かず2階から眺めたり玄関を出たり入ったりともっぱら近間で楽しんでいます。


 少し前になりますが、3月18日には、原宿にある浮世絵専門の美術館である太田記念美術館に蜻蛉倶楽部の呼びかけで集まりました。
 「江戸っ娘 kawaiiの系譜」という企画展で、江戸時代の女性たちはどの様にお洒落を楽しんでいたのか、浮世絵に表されている絵姿から学芸員さんの説明を受けました。


 江戸時代の着物は2枚重ねどころか3枚重ねで着ていたと見られる様です。
浮世絵にあるのは芸者さんや遊女、町娘がほとんどですが、髪型もたくさんあり化粧法も色々で、中には、お歯黒を唇に塗りその上から紅を落とすという独特な口紅の付け方もあったようで、興味深く当時のお化粧方などの説明を交えての話はうなずけるものばかりでした。
江戸っ娘の着物の柄や小物やお化粧も、当時の流行がふんだんに取り入れられており、季節感も大切にしながらも工夫したり個性や遊び心も発揮する粋な装いの数々は細かく説明を受けることで、小一時間のトークショー後の鑑賞も全く印象の違うものになりました。
お洒落をするには我慢もかかせないなど、今に通じることも沢山。
 浮世絵に登場する振り袖を着ている女性は10代半ばと知りました。とても貫禄も色気もあるように思います。


 当時は足袋をはく習慣はなかったのでしょうか、かなり着込んだ着物姿でも足下は素足に下駄という姿が多く足袋は贅沢だったのでしょうか。そして襟の具合が今とは違うので実際はどのように着ていたのかもっとよく知りたく思いました。
 原宿を闊歩する現代のギャルたちも昔の少女たちも本質はそう変わっていないのでしょう。
 よく最近言われる「カワイイ」の意味と言葉は今や世界にも通用しているようですが、江戸時代にタイスリップしても浮世絵に見られる十代の少女たちの美意識は現代と何らかわりはないという企画の浮世絵展でした。
 今まで何となく見ていた少女たちは、実はけっこううら若き乙女たちだったということにも気づかされたのでした。

 春爛漫の日々が当分続きそうです。花より団子、または桜餅や草餅など用意して桜を見上げて今年の春を謳歌致しましょう。

2015年3月4日水曜日

桜を待ちわびる



 弥生、3月ともなれば、三寒四温も始まります。雛の祭りも終えて沢山の種類の花々も咲き始めて次から次へと花の題材には事欠かないのでうれしいのですが、数ある中でもなんと言っても桜が主役でしょうか、すでに河津桜は見頃で少し暖かい地方では満開と思いますがソメイヨシノはこれからです。

 毎年桜が咲くとその年ごとに桜を眺める自分の想いと景色は微妙に違ってきます。桜は同じでも想いは色々で心も揺れ動きます。今年の桜は誰と見ようかしら、何年か前にはあの人と眺めたなーと思い出は人に連れてそれぞれです。
 でも、桜が日本を縦断して行くのにつれてあちこちで桜を追いかければ存分に楽しむことが出来ます。だいたい、各地に赴けば5月いっぱいまでは色々な桜が楽しめます。

 桜のイメージもまた数多く浮かび着物や帯には描かれている情景は尽きないほどあります。私は時間に連れて見方が変わる桜の情景をとらえようと思い、同じ一日の中での夜明けから夜までの桜をそれぞれに描いたりします。
 そして開花から散りゆく姿までもまた時間の経過と共に桜木に想いを馳せたりもします。開花の前には桜の黒い幹がどくどくと大地からの水を吸っている気がして幹に耳を当てたりしてしまいます。
 咲き始めから散るまでを追い目で確かめて葉桜になるまで見つめてしまいます。桜は特別に日本人の心の中に根付いている木だと想います。誰もが桜への想いを個々に心の中に持っている気がします。
私も生きている限り毎年桜を見続けて行くだろうと考えます。根方に立つとかつて一緒に桜を愛でた人々の姿が思い出と共に浮かんできます。

「桜は見ていると悲しくなるの」と言った亡き母は何を思いだしていたのか、わかりませんがそんな母をベンチに座らせて一緒に夜桜を見た事がありました。
 
また桜吹雪の中、桜の下で遊び回る子犬の濡れた黒い鼻に舞い散る花びらがぴったりくっついて大笑いしたのもまた懐かしく思い出します。その母も愛犬も遠いところにすでに逝ってしまいましたが今年は誰とお花見行脚をしましょうか。つきあって同行して下さる花見友達がまだまだいるのはありがたいことです。