2011年4月25日月曜日

芽吹きの日のコンサート


 気持ちよく晴れた27日の日曜日は、小平市でのコンサートを聴きに出かけました。都心から離れて緑が多い小平では、欅が新芽を吹いていて、さやさやと若葉が揺れて気持ちの良い日でした。
 震災後二回目の音楽会です。一回目は三月半ばでしたから、すこし緊張感もあり、大げさですが決死の覚悟でコンサートに行き、それはそれで意義もあり、とても良かったです。その後はあちらこちらで音楽会の公演も中止になりましたが、やっとこのごろは自粛ムードはどうかという議論もあった上、また再開の方向になってきました。このまま復興へと進んでくれたら、地震も治まってくれたら、と思います。

 この日のコンサートは演目も分かり易く、軽快なモーツアルトから始まり、新緑に相応しい演奏曲が多く、大いに楽しめました。やはり音楽は心を癒してくれます。東京コダイラシティ管弦楽団の第一回記念演奏会という事で、楽団員も若い方が多く素晴らしい演奏でした。特に良かったのは「アルルの女」より第2組曲のなかでのフルートの演奏が印象的でした、私はフルートの響きが大好きで、時にその牧歌的な音色に心地よさを感じるので、聴いていて素敵な気分になりました。

 一緒に行った何人かの親しいお仲間のなかで、私の創った帯を締めて来て下さったWさんの帯を写真に撮らせて頂きました。図柄は桜の幹を表したものですが、すでに散ってしまった桜の時期にはよく合っていて嬉しく思いました。花の盛りの頃は花を愛でますが、散り始める時は何時も私は桜の幹に感謝してごくろうさんでしたと思うのです。あの逞しい幹があってこそ見事な桜を楽しめるのですから、咲く前も後も私は幹を撫でたり幹に耳を寄せたりする事があります。
 花の終わった頃の感謝の気持ちを幹に表し、散る花びらを添えて春の終わりを告げる帯です。空を見上げれば高い欅の木々に若葉が見え、近づく新緑の5月に思いが飛んで行くような美しい日の音楽会でした。

2011年4月17日日曜日

地震鎮まれ


 未だに続く余震に悩まされています。被災地は勿論、余震の度に不安におびえる被災地の子供の様子を見ると、気の毒になります。東京の私達だってその度にぎくっとしますし、思わずテレビで地震速報が流れると見入ってしまいます。やはりこの間の本震のトラウマがあって、またあんなに揺れたらどうしようと思ってしまうのです。心臓にもよくありません。三半規管の不調で、何時も船酔いの気分のようになってしまい、病院を受診する人たちもいるとの話ですが、頷けます。
 地震の終息だけは神のみぞ知るという風で、なかなか誰にも分からないのが現状ですから、困ったものです。我々は地震におびえながらも、おそるおそる毎日の暮らしを何時ものようにこなして行くしかありません。

 季節はもう桜も散り、新緑へと向かっていますが、人々の記憶には3月11日の地震の恐さが脳裏に焼き付き、心から笑い楽しむ事に少し躊躇する日々です。我が家のミニ庭園も、咲き分けの枝垂れ桃の傍らで、淡いピンク色の石楠花が盛りとなりました。部屋の窓からお花見しながら春の陽光を浴びている時は幸せで、これで地震がなければ平和なのにと思いを巡らします。出入りの業者たちも、一様に困った困ったと言います。この先の事は心配ではありますが、解決法もないのですから、やはり自分がしっかりと覚悟を決めてかからないといけないと思います。地に足の着いた毎日の普通の暮らしが、これほど難しいと感じた事もありません。何気ない日常がいかに大切な事だったのかも思い知った気が致します。

 街を歩くと、アカネの垣根に生気を感じ、その芽には眩しいくらいの美しさを見ました。一年で最も美しい五月がもうすぐやって来ます。新緑の緑の眩しいシャワーを浴びたら、地震疲れも、原発の恐怖におびえる我々も、もっと元気になるでしょうか。
 地震の神様、どうぞ鎮まるようにとお願いしたいです。もうアナタに敵うものは何処にもいません。ちっぽけな人間の営みと幸せを奪わないでと何処に向かってお願いしたら良いのでしょう。

 今日、庭先のバジルを摘んでパスタに添えました。バジルの香りに幸せを感じ、山椒の木の小さな新芽に触れ、その香りにも4月の喜びを感じました。

2011年4月11日月曜日

静かにお花見


10日はお花見日和でした。時折、はらはらと花びらが舞い散
る中で、三々五々と私の呼びかけに応じていらして下さった方々と、昼から夕刻まで静かにお花見をして過ごしました。
 穏やかな春のひと時、先日の地震の時は何処で遭われたのか、その時はどうであったか等と、各人がそれぞれの体験を述べたりと、話題はやはり地震のことばかりでした。
 日常の生活の中での突然起きた地震、原発のこと等、話はつきませんでした。早く日常に戻らないと、復興も経済生活も進まないという意見も多く、我々は今、自分に出来ることを一生懸命にするしかないとも思ったのです。お花見の会費はささやかでも義援金に充てることぐらいしか出来ませんが、復興のお祈りを込めて日本赤十字社に持って行くことにしました。


 地震以来久しぶりに着物を着て、少し心も落ち着きました。お花見には、二人ほど着物を着て見えたので嬉しく思いました。
この日は、工房の展示室の出窓の下にある小さな庭が、植木屋
んの手に依ってやっと完成したのも兼ねて、ささやかなお祝いの日にもなりました。公園の桜の開花と同じく、この庭に植えた源平咲き分け枝垂れ桃が次々と咲き始め可愛らしくて、桜と桃と同時に楽しめることになりました。
 この場所に長いこと住んでいた愛犬のモモちゃんの供養にもなりました。人は思い出の中に半分は生かされて暮らしているのだとつくづく感じた日でもありました。

 私の思う春も、今はクライマックスでしょうか。今日からは、満開だった桜が散ってゆくその木の下で,じっくりと今年の春の過ぎ行く様を静かに眺めて過ごします。足下の地に這うような蒲公英を見つけました。
 その花の色も、元気が出そうな澄んだ黄色をしています。椿もたぽたと足もに散、はこべの緑色に映えています。ユキヤナギの白、紫色のモクレンの莟、今にも咲きそうな躑躅のピンクの莟、青い忘れな草等,ぐるりと周りを振り返るだけで春が見近で満ち満ちていて、まさしく春爛漫とはこういうことを言うのでしょうか。季節のもたらす幸せに感謝しています。

2011年4月4日月曜日

桜が咲いた。


 日本中が打ちひしがれていた3月が終わり、ようやく4月になりました。桜が東京でも咲き始め、世の中が少し落ち着いて来た気もしています。地震も原発も少しも解決した訳ではないけれど、いつまでも落ち込んだ気分でいたら、結局被災地以外でも元気が出ないで復興の歩みにも影響してくるでしょう。

 自粛や中止については、公共の施設や場所での心配があるという建前は分かりますが、私的な集まりなら静かにお花見を楽しんでも良いのではと思います。三月の末までは私も色々考えてかなり落ち込んでいましたが、そんな時にお客様から桜の帯を締めてお出かけした時の写真が送られて来ました。その写真を見て私はとても嬉しくなり、一寸いじけていた気分が晴れやかになりましたし、勇気もわいて来ました。Hさんありがとうございました。
 こんな時期ですが、私は私なりに、自分の仕事を粛々とするしかないと思っています。テレビばかり見て自分まで元気をなくしては良くないと考えます。

 季節は巡り、今年の春も私にとっては一度きりですから、しっかりと目に焼き付けて、行く春の移ろいを見守ろうと思います。
 あと一週間ぐらいは桜を楽しめるでしょうか。やがて日本全国で次々と咲くことでしょう。各地で人々を癒してくれることと思います。日本人は桜が大好きなのですから。