2012年12月12日水曜日

八つ手の実


12月も間もなく半月が過ぎようとしています。今年最後の展示会である「樅の会」も終盤を迎えようとしています。
 暮れの忙しいこの時期に訪れて下さる皆様には感謝です。いよいよコートの季節なので道行や道中着にも関心があるようです。
 北国では毎日雪が降り続いている様子が放映されていますが、東京も朝と夜はかなりの冷え込みで着物を着ていますと足下の暖かみがじんわりと伝わり冬らしくなった事を感じさせます。
  もうクリスマスツリーを飾る事もなくなりましたが大昔は家族が喜ぶので毎年夢中になってツリーの飾り付けをしました。
 キャンディを一個づつ色の付いたセロファンに包みレイを長くして幾重にも樅の木にかけて子供らを楽しませた事等を思い出しますす。今となってはクリスマスの絵本の一ページのように記憶の中にあります。どれも楽しい思い出に満ちています。

 毎年「樅の会」では私もちょっぴり童心に返って少し浮き浮きした気分に浸ります。庭のヤツデの花が裂きました。白い実を付けた花が放射状に咲きます。それはまるで雪の結晶のようでもあり今年はしみじみと見ました。この白いヤツデの実は幼い頃に冬の日だまりで遊んだおままごとの遊び相手でした。
 お茶碗に入れてご飯と称して弟妹にふるまっていた自分を思い出しました。冬の事であり花も葉も散り何もなくなったころだったので格好の遊び相手となったのでしょう。何十年振りかでそんな事を思い出してしまいました。この歳になってから、はじめて雪の結晶のようだと感じました。

 今年のクリスマスは東京でも雪のホワイトクリスマスになるかもしれないとの事ですが本当でしょうか、嬉しいような困るような気分がします。大人になるとつまらないものです。でも、やはりホワイトクリスマスなら素敵ですね。

2012年11月26日月曜日

紅化粧大根


 山のアトリエもすっかり冬支度を済ませて,来年の4月の中頃までは冬の眠りにつくようにと色々片づけたり屋根に積もった落葉松の落ち葉を落としたりと、大忙しの連休でした。
 今年最後だからと犬たちも初冬の山の散歩に連れて行きましたが、犬の飲む水は朝には氷が張っていたり犬小屋の敷物は床に張り付いてぱりぱりと音を立てるほどの冷え込みでした。
 外飼いに慣れている犬たちもさすがに寒そうでした。水抜きや建物の周りの点検をすればこの夏にキツツキの開けた穴も何個か見つかり修理を頼んだり水道の元栓のバブルの劣化に気がついたりと、やる事が多くあります。

 当分来られないと村の温泉に心ゆくまで浸かり行く秋と来る冬の到来にあれこれと思いを巡らし、今年、心に引っかかった出来事は全部温泉のお湯に流して来ました。私にしては長湯でしたがおかげでぐっすりと眠る事が出来ました。

帰り道に野菜を求めて来ましたがその中に見事な色の大根がありました。紫色や,赤いラデッシュの色をした大根は見かけるのですが今回は朱色の大根にお目にかかりました。思わずその色の奇麗さに求めて帰りましたがさてどうやって調理しようか、サラダにするか、なますにして和風にするか、煮ては勿体ないと考え中です。
 緋色の大根なんて元気が出そうでなにやらうれしい気がします。自分の身につける色には赤は滅多に使いませんが身の周りに赤い色を置くのは大好きです。食器や小物、机など赤い色にこだわります。元気が出る気がします。
 緋色の大根は見ているだけで楽しいし縁起が良さそうです。名前は紅化粧大根と書かれていました。この元気そうな大根にあやかって残る11月を乗り切ろうと思っています。

 また昨晩には、お相撲で白鳳関が優勝して夜のテレビに出演していましたが、よく見るとなかなかのお洒落さんです。大島と見受けられる茶色系のアンサンブルに茶色の袴姿です。その袴は珍しく横段に柄が織られているのが眼を引きました。
 大抵は無地か仙台平のように袴は縦の縞ですから「おやっ」と思い白鳳はお洒落だな,誰かがコーデ考えてくれるのかしらと思いました。
 襦袢の衿も茶色で全部が統一されていました。お相撲さんの羽織の紐も特別長い別誂えなのでしょう。白い紐も印象的です。廻し姿ばかり毎日ながめているから私服である着物姿が新鮮で素敵でした。
 4場所ぶりの優勝とのことですから、おめでとうございます。
折からのフィギャアスケートの衣装も昨晩は楽しく見て、スポーツと衣装も切り離せないものと、つくづく思った夜でした。

2012年11月11日日曜日

錦秋競演


 いよいよ晩秋の山行きです。すでに山の標高の高い所では赤く色ずいた木々は終わりかけていて今は黄色く紅葉した木々が全山を黄金色に染めています。

青く青く何処までも澄み切った空とくっきりとした山々の稜線が眩しく雪を頂いた南アルプスが遠くに眺められます。

 秋の最後の日と思い八ヶ岳の周辺をドライブしてみました。すでに風も冷たくて、気温も10度を下回ります。アトリエではストーブも一日中付けっぱなしにして部屋を温めなくてはなりません。
 あと半月ほどで今年の山のアトリエも戸閉めしなくてはなりませんから、半年間の整理もあって来春にまた気持ちよく来れるようにとせっせとあちこち片付けます。お天気が良かったのでこの夏に犬たちが使ったタオルや敷物を洗って干したり短い秋の日と競争で大忙しです。冷蔵庫の整理も恒例です。

 10月に友人とどっさりと収穫したハナイグチは冷凍庫に沢山入れて保存しましたから秋の山の味覚を楽しもうと取り出してキノコ汁を作りました。冬眠する熊の気分です。
 若い頃は冬の山の美しさに惹かれてお正月も来ていましたが、やはり雪に閉じ込められると一歩も外に行けないのと車が出しにくい事もあり最近では無理はせずやはり冬は暖かい所に行こうかと思うようになりました。
 ダンコウバイの大きな黄色い葉が音も立てずに散り行く様はベランダから眺めていると刻の過ぎ行くのが遅く考えられます。落葉松の葉が一面に重なり地表は落ち葉の布団を敷いた様です。歩けばかしゃかしゃと落ち葉を踏みしだく自分の足音だけが静寂な山に響きます。
 またこの冬も鹿が山から下りて庭先の木々の樹皮を食べに来るでしょうか、餌を求める動物の厳しさを思うときなぜか少しだけ胸が締め付けられるような思いになります。先月の終わりに散歩中に私の目の前を大変な早さで横切り、森に消えた鹿がいましたが、今頃はどこに行っているのでしょう。鹿たちは厳しい冬の間どのように身を守り暮らすのだろうかとあれこれと考えてしまいました。
 ぬくぬくと暖かい家の中で温かなキノコ汁等を楽しんでテレビでスケートを見て、のうのうとしている私はやはり人間だと当たり前な事を考えてしまうのです。
 山で暮らす動物たちの強さには及びもしませんが強靭な逞しさにはほんのちょっぴりあやかりたいとも思います。こうしている間にも山の秋は刻々と初冬に向かって行くのでした。

2012年11月4日日曜日

「瑠璃の会」はハープとチェロの調べに乗せて


 11月3日は、おだやかな晩秋の都心で文化の日には久しぶりに着物で遊ぶ「瑠璃の会」が菊池寛実記念智美術館にて開催されました。2年ぶりの開催となりました。

今回はハープとチェロによる二重奏を中心に、前後に演奏をはさみフレンチのお食事会を楽しんだ後、美術館で色鍋島の鑑賞を含めて文化の日には相応しい日となりました。
 総勢で42人の着物姿で集まり優雅な秋の半日を過ごしました。
 珍しいチェロとハープによる演奏の企画は、かねてからの希望でしたから実現出来てうれしい思いです。
 今までハープの演奏をこんなに近くで聴く事もなかったので楽器にも興味津々でした。
 奏でられた二重唱の調べには癒されてガラス越しに秋の日差しが移ろう時間もまた穏やかで美しいものでした。

 ホテルオークラの側にある菊池寛実記念智美術館は都心とは思えない静かなたたずまいで現代陶器を紹介する美術館であり、館内にあるフレンチレストランの「ヴォワ・ラクテ」はとても落ち着いたレストランでガラス張りの店内からは緑の美しい庭園が見えて明るく素敵です。
 美術館の館内も、すばらしい展示方法と洗練されたデザインの美術館で私には訪れる度に螺旋階段の手作りのガラスの手すりに心惹かれます。

 折からの展示は近代の色鍋島十三代と十四代の今泉今右衛門の粋を集めての会でした。学芸員さんの説明を受けながら色鍋島の粋を堪能しました。
 全員が着物姿で集う事が会のコンセプトでありましたから、また我々の会も日本の文化を継承して行くものだと自負しており、なかなか企画が難しい事もありますが今後も会の方針をぶれずに行こうと思いを強くしました。ご参加の皆様には本当に感謝しています。

 「瑠璃の会」も昭和が終わろうとしていた頃よりスタートした会でしたから、かれこれ30年近くは続いているのです。
 着物を着る方が減らないように、着物を着て楽しめる大人の社交の場が少なくなりませんようにと願いつつ、また来年も皆様に喜ばれるような会にしようと今からすでに準備に入っています。

2012年10月24日水曜日

ホトトギス咲く頃


 玄関の掃除をしていたら玄関脇の木戸の側にホトトギスの花がいくつか咲き始めているのを見ました。


ホトトギスもまた今年は遅れての開花で、全てが10日ほど秋の花が咲く時期がずれていると思いました。
  ホトトギスはお茶花に相応しく、地味ながらも複雑な形と色合いをしています。花弁の模様が鳥のホトトギスに似ているからとそのように呼ばれていると聞きました。
  工房のホトトギスは、ごくありふれた色合いですが昔、長野の駒ヶ根の山間には黄色のホトトギスが群生していたのを覚えています。花弁には複雑な模様はなくさっぱりとただ、黄色かったのが印象的でした。最近はめっきり少なくなったそうです。
 ホトトギスの花は風情があり、渋くていかにも日本的でこの花は絵になりそうですから、いつかいつかと思っていますが今の所は帯の柄にもなっていないので、初秋から秋にかけて暑苦しくもなくて、さりげない花ですから秋口の題材としては打ってつけでしょう。
 地風は何がいいだろう、やはりあまりざっくりとしないしなやかな紬がいいかしらと繊細な花弁を見ながら考えてしまいます。こんな風にひっそりと忘れた頃に咲く野草は周りの空気感を伴っていますからその感じを表す事も大切で、自然の中の存在感を引き出すのが最も難しい事だと思っています。
  ホトトギスの羽に似ているらしいのですが鳥のホトトギスは鳴き声を聞くばかりでそんなに近くで姿を見たことはありません、草木と鳥たちは切っても切れない縁でつながっているのですからどちらも良く観察が必要です。
  山の秋も深まる中で今年は残り一ヶ月あまりしか山のアトリエに通えません。冬が足早に来る前に行く秋を見届けなくてはなりません。
 11月には小雪も散らつく日もあるので山に行く日は秋晴れでありますようにと勝手なお願いを唱えております。

2012年10月17日水曜日

10月の女神


 今年の10月は例年より2週間も遅れて金木犀が忘れたころに咲きました。ある日どこからともなく金木犀の香りが玄関を開けて表に出ようとした時に香って来て「あっ、咲き始めたのね」と突然に感じるのです。

何時も想うのはその瞬間に「10月の女神の到来だ」と思わせます。下ばかり向いていると金木犀の小さな花は目に入らないので、香って来てから思わず頭上を見上げて咲いていることを確認するのが常です。
 地味で小さな花ですが蜜柑色した花は茂る葉の間から沢山見えています。

 私流に考えれば10月の女神がやって来るとき金色の杖のような物の先を振りながら金木犀の香りを放ち、秋の風に乗って来る姿をイメージしてしまうのです。それはまるで名画の一コマのようであり美しい秋の女神を勝手に想像してしまうのは少し乙女チックな感じですが子供の時からずっと思っているイメージなので、今さらそのイメージを消し去る事は出来ません。

 毎年金木犀の香りがすると、慌てて夏の衣服や着物を片付け始めます。私に取っては季節の変わり目を知らせ、秋から初秋にかけての扉が開かれたことを実感するという花であります。
 裏の家の銀モクセイは北向きなので今年も一足遅れて咲くことでしょう。穏やかな秋の陽差しが満ちて10月を最も幸せに想う日々です。

2012年10月2日火曜日

60年の眠りから覚めて



 10月になり、台風が次々とやってきますが、過ぎ去る毎に秋が色濃くなるのを感じます。この夏より工房の催事のご案内の封筒を全く新しくデザインしてリニューアルすることになりました。すでに案内状をご希望のお客様には秋の展示会のご案内として新封筒が届いている方もいると思います。デザインは某大手化粧品会社で広告のアートディレクションを長く手がけてられるデザイナーさんにお願いしました。



 ずいぶんと久しぶりに封筒も模様替えしまして、今年の工房のリニューアルに因みインビテーション用の封筒も生まれ変わったのです。
 デザインを決めるに当たり改装中に古い昔の資料が沢山出て来て、長いこと見なかった、かつての図案や原案も多く見る機会があり父の手による彩色された図案を再び目にすることになりました。

 戦後すぐに染色の仕事に復帰した頃の父の描いた図案は若々しい力に溢れている物ばかりで伸びやかな筆致は当時30代だった父の勢いを感じさせる図案ばかりです。
 封筒のリニューアルに協力をお願いしたデザイナーさんの提案もあり先代の描いた図柄をどこかにあしらってみたら意義があるのではとの考えに、私も同意して数ある昔の図案から選んでみました。
 丁度、夏の事で黒々と力強く墨で描かれた撫子の柄を見つけ、勇気をもらったような図柄に心惹かれてこの絵の一部を封筒の片隅に金箔のレリーフとしてあしらうことしました。
  
 そんなわけでこれから当分の間、お客様へのご案内はこの新封筒が出番となります。おそらく昭和20年代後半に描かれた原案と思われますので、はや半世紀も前の柄を甦らせたことに父の力をもらい、背中を押してくれる気がして私も初心に戻り、まだまだ頑張らねばとの思いを強くする平成24年の秋となりました。

 台風が次々と来る度に被害が必ずあるのは切ないことですが、実りの秋を迎えて大分体も楽になり、着物を着るチャンスもこれから多くなりますので、新しい柄の創作に励んで行こうと思い10月に突入したという思いに満たされています。

2012年9月20日木曜日

素粒子の調べ



 この1週間は変化に富んだ日々でした。17日の葉山での甲斐犬オフ会に続き翌19日は乃木会館でのピアノコンサート、そして19日は韓国の英国聖公会の司祭様たちとの会食会と絶え間無く用事があり充実した日々でした。

 私には未経験だったのは18日のピアノコンサートでした。ピアノコンサートも良かったのですが、興味深かったのはお弾きになられた橋ひさきさんの存在でした。
何でもピアニストでありウイーン大学の哲学科の教授でいらして、ピアノの演奏の後が「不思議な素粒子の話ー私たちは何から出来ているか」というテーマでお話があり素粒子の話をなされたことでした。
 日頃の私には全く難しいテーマに思えましたが原子、分子、素粒子とひもとかれての話は分かりやすくその場では理解出来たような気がしましたが、人にはうまく伝えることは全く出来ません。
 もともと音楽家であるのでご自身の作曲による「素粒子の戯れ」という曲も演奏されましたが、曲調はそんなに難しくなく聴く事が出来ました。ピアノに対しても素人の知識しかないのに哲学の話や自然科学の話、まして素粒子の事など聞くチャンスすらも日頃ありませんからかえって新鮮でした。

 芸術の秋ですから何でも臆せずに見たり聞いたりしようと思うのですが頭をフレキシブルにして砂地に浸透するように何でも取り入れて行きたいと考えています。

 19日は韓国の方とのお話の中で竹島の話題が出たのですが、韓国の方はこの問題は我々は歴史という観点から考えるが、日本は領土問題と考えているところに双方のずれがあるのではと言われましたが、新聞やテレビで報道される位の知識しか持たない私はこれも勉強不足で色々と話し合えない自分に歯がゆくも思えました。

 国の内外に大きな問題を抱えているこの時代に自国のことをもっと深く知る必要があると思い知らされる週でもありました。
 韓国の司祭様には教会で着る法衣の上に首から提げるストールを頼まれて、かつて作ったご縁からのお付き合いです。とても喜ばれていて何時も感謝されます。
 ずっと昔にはレセプションでご婦人の着るチマチョゴリを染めたこともありました。こんな事ぐらいしか民間での外交は出来ませんが、私なりにと思っています。国は違っても個人個人のお付き合いが大事です。

 昨夕は長いこと使っていた愛用の自転車をとうとう新しいのに買い換えました。あちこちとガタが来ていたので危険だからと家族に言われていやも応もなく取り替えたのです。
 古いのを捨てるのに一抹の寂しさがありましたが新しいのはぴかぴかのパープルというか茄子紺色です。
 
そして今朝は隣の公園で殺虫剤の散布があるというチラシが入っていたのを思い出し大急ぎで公園と家との境のフェンスに成っているゴーヤを収穫しました。今の私には自転車や可愛いゴーヤちゃんの方が身近な問題で自分にあっています。
 午後には何時もお世話になっている中国人のお医者様の所に行く日ですがあえて政治の話には触れないようにと思っています。
 同じアジア人で韓国も中国も最も日本人と似た顔立ちですがその思考は全く別だとつくずく国民性の違いを感じるこの頃です。

2012年9月9日日曜日

尾花なびいて


 先週末から山のアトリエ行きです。村の田んぼはすっかり黄色く色づいてもうあと少しで稲刈りが始まりそうです。コスモスも背を高くして風に揺らいでいます。夕方には戸を締めないと肌寒くていられません。
 風が吹く度に大きくなびく尾花も銀色から白く代わり、その丈も私位に大きくなって小道を塞ぐように覆い被さり道幅を余計狭くしています。


 昨年植えた花が名前を忘れましたが宿根草だったらしくこの秋も再び咲いて可愛らしいローズ色の花を咲かせてくれました。
 何という名だったのかどうしても思い出せず何かに書き留めておくべきだったと悔やまれます。
 このように忘れたころにぽっと咲くのはとてもうれしい事です。
 夏に咲く槿の花も今頃になって山では咲いています。槿は色々な色があって白い花弁に中心が牡丹色のは日本の日の丸に似ていると何時も思います。
 気候の変化のせいか毎年同じ花が同じ場所に咲くとは限りません。自然の不思議をいつも感じます。
 すでに20年以上もこの山のアトリエに通っていても景色は何時も違います。その微妙な変化を感じ取る気持が衰えないようにと自分自身にも言い聞かせます。

 これといった師匠を持たぬまま何十年も試行錯誤して仕事をして来た私にとっては自然界の移ろいは偉大なる師匠であります。最近めっきり少なくなったアキアカネがコスモスに留まっていました。絵に描いたような日本の秋の景色です。まだ小さな蜻蛉でしたが秋空いっぱいに飛び交うのをみたいです。
 空が日毎に高くなって行き白い雲はこれ以上ないくらいに真っ白に美しく映えています。東京に戻ると町は秋祭りの最後の日です。今夜は家族と縁日にでも行き小さな子たちの金魚すくいでも眺めに行きましょうか。
 秋祭りが終わればいよいよ今年の夏ともさようならになるでしょう。神社の側の家に咲く大きな白い夕顔はこの秋祭りには大きく沢山咲いてお祭りの夜に色を添えて盛り上げますが今年も同じように咲いているでしょうか。楽しみです。

2012年8月29日水曜日

一人芝居


 まだまだ残暑が続くそうですが、この夏最後の週に新宿の紀伊國屋サザンシアターで公演中の「芭蕉通夜舟」を観に行きました。板東三津五郎さんの珍しい一人芝居です。
 何時もの華やかな歌舞伎の舞台とは違い、地味ではありますが井上ひさしさん作で小松座の公演です。膨大な台詞で全く一人で演じる舞台に引き込まれました。
 あれだけの台詞をどうやって覚えるのだろうかと凡人の私は感心するばかりでした。かつて新国劇出身の島田正吾さんが90歳を過ぎても毎年一人芝居を演舞場で演じるのを欠かさず観に行っていた時期がありました。
 一人芝居は代わりがいない中での公演ですからどれほどのエネルギーと集中力が必要なのでしょうか。計り知れない物があると思います。島田正吾さんは100歳までも続けたいと舞台上の挨拶でおっしゃっていたのに観客は大いに元気づけられましたが、その島田正吾さんもお亡くなりになってもうかなり経ちますが、あの舞台は毎年印象的で並みいるスターたちが何時も前の席に並んでいてあの新国劇出身の緒形拳さんはいつも舞台が終わると楽屋に飛んで行くようでした。
 その緒形拳さんも亡くなってしまいましてから、私も久しく一人芝居は観ていなかったので今回の三津五郎さんの舞台は新鮮に感じました。一人芝居の緊迫したような役者の魂を垣間見て当時をを思い起こさせたのでした。
 でも考えて見ますと私たちの人生も一人芝居のような物で演じるのは自分しかいないのですから同じなのかも知れません。観客は自分を取り巻く人々や世間というものでしょうか。
 7月の三津五郎さんの50周年の会が行われた折に挨拶の中で、この一人芝居の公演の説明をしておられて「出演は自分一人なので切符を売るのも一人です。皆様是非いらして下さい。」 と話していたのが、あれほどの役者さんでも率直で飾り気のない様子で好感を覚えたものです。私が観に出掛けた日はウイークデーでしたが当日券完売との張り紙があり良かったなと思いました。
  一人芝居はひとりで演じること、誰でも皆人生の一人芝居を演じているのだと改めて思った日でした。

翌28日に展示会の準備で忙しくしている私に綺麗な秋の花籠が届きました。うだる暑さの中では一服の清涼剤のようでとても心が癒されました。お粗末で何時ももがいているような私の一人芝居にも応援して下さる方があるのは本当に有り難いことです。
 8月もラストの週です。暑いとは行っても日の落ちるのは急速に早くなり夜には涼しい風が吹くようにもなりました。初秋に向かって盛夏の着物の始末もしなくてはと考える日々です。

2012年8月23日木曜日

江戸ゆかりの家の芸



 長かったお盆休みを終えてもまだまだ酷暑が続く中、国立劇場へ板東三津五郎さんの「江戸ゆかりの家の芸」を観に行きました。
 さすがに板東流の家元の会となれば。お名取さんも大勢でいかにも先生と見受けられる方々はほとんどが着物姿で圧倒的に紗が多かったです。そして年配の方ばかりでした。

 舞台は踊りがほとんどではなやかでしたが中でも「喜撰」は楽しい舞台で思わず一緒に踊りたくなる演目です。完売の一日だけの公演で誠に盛況でした。
 35度ほどもあろうかと思われるこんな日なのにかなりのご高齢の方が何人か杖を持ち腰もかがめて、それでもきちんと着物をお召しになっていられたのには頭が下がりました。
 残暑が最も厳しい日々があとどのくらいあるのでしょう。家の近所の旧家のある敷地の広大な庭では蝉時雨が昼間は絶え間無く聞こえて参ります。いったいどれほどの数の蝉が鳴いているのでしょう。
 私の耳にはもう夏も終わりだ終わりだと鳴いているように聞こえてきました。道には青い柿がころんとどこからか落ちていました。
 青い柿と蝉時雨は晩夏の景色そのものです。江戸歌舞伎に継承されている歌舞伎舞踊を大いに味わった日でした。

 

2012年8月6日月曜日

ブルーベリー狩り


さんさんと照りつける真夏の空の下で、八ヶ岳アトリエに近いブルーベリーの農園に出掛けました。
摘み取りして食べ放題で、摘んでおみやげを持ち帰る分は買うという、よくあるフルーツ狩りのパターンですが、やはり摘み立てはとても美味しくていくらでも食べられます。強い陽差しは容赦なく背中をじりじりとさせて暑くてたまりません。
 
果樹園の方が、どんなに朝早くても来て良いから来て下さいとの話でしたが、やはり朝の摘みたてが最も美味しいのだそうです。次回はものすごく早く来てみようかという気になりました。完熟は甘くてとても美味しいブルーベリーでした。

 前日にはアトリエの前にある木イチゴを見つけて口にしたらとても甘かったのでした。いつも木の実を摘んで口にすると自分が鳥になったような気がします。
とても愉快な気分になるのはフルーツ狩りの醍醐味です。鳥の気持がよく分かります。でもどの果樹園でも見上げると網が張られていて鳥の被害に遇わないようになっています。
一年掛けて育てて売り物にするとなれば一粒たりとも鳥に食べられないようにするのは当たり前で色々とご苦労があるようでした。
でも収穫は本当に楽しい作業です。人間が動物として持っている本能をくすぐり嬉しい気持にさせるものです。もうすこし経てば葡萄狩りです。
以前にはサクランボ狩りをしたことがありますが、今度の秋は葡萄狩りでしょうか。鳥になれるチャンスがまた巡って来ます。
農産物の市場でいろいろな果実のジャムがあり手に取るのも楽しみです。美味しいパンとジャムを手に入れるとわくわくして童心に還ります。やはり相当根が食いしん坊な私なのです。

2012年7月24日火曜日

猿之助さんの襲名披露公演


7月に入りまた猿之助さんの襲名披露公演に出向きました。6月に続き2回目で今回は団十郎,海老蔵も参加で賑やかに盛り上げていました。
夜の公演での「黒塚」を猿之助がどのように演じるかが楽しみでした。安達ヶ原の鬼女の舞台は幽玄に満ちた舞台で見事に演じていましたが、中腰のままで踊り続けるのはかなりハードではないかと思われます。
  出演の海老蔵はやや貫禄が出て来たようにも感じました。楼門五三の桐での石川五右衛門は華やかでこれぞ歌舞伎という世界です。

盛夏のためか着物姿は少なかったのですが中には綺麗に着こなしていられる方も見受けられました。着物姿には、粋筋の方が多いなと思われました。当夜の私は母の形見の着物です。しっかりした紗に古代紫地に秋草が一面に描かれていて,この着物は母が40代の頃、長唄のおさらい会などに着て良く出掛けたのを思い出します。
その頃家では大きなコリーを飼っていて母が面倒を見ていましたがこの着物といっしょにコリーと写っていた写真があります。
  まさに母にとっての所帯盛りの頃だったのでしょう。その着物は何十年経っても何ともならず未だに私は盛夏になると思い出して着ることにして母を忍びます。 着物に柄があるので帯が難しく自分が若いときから良く締める白の紗献上にしてなるべく暑苦しくならないようにすっきりとさせます。年を取れば取るほどに夏は着物がいいかと思います夏は体の線が良くみえてしまうので服だと余計年齢を感じさせてしまう気がすると思うのは私だけでしょうか。
  少なくても背筋が引っ張られて気持のうえでもしゃっきりします。あと1回7月晦日には落語に行くので着物を着ます。その日も晴れますように。

2012年7月12日木曜日

三津五郎さんを囲む会


爽やかそうな日が続くともう梅雨が明けるのかしらと思ったりもしますが、また南から大雨のニュースが入り今までに記録したこともない雨量だと報じているのを聞いたり,今にも氾濫しそうな川が映されているとなんて恐ろしいことだと身震いしてしまいます。
そんな中、パンダの赤ちゃんが亡くなったというニュースや小沢さんが新党を立ち上げたとか何とも忙しいニュースが続いています。

私は先日10日には三津五郎さんの芸歴50年を祝う会に行って参りました。幸い雨にも降られず着物が着られて会場では久しぶりにお会いした方を交えて楽しく歓談出来ました。さすがに着物姿が多くて夏の着物が沢山見られました。
 私もこの日はなかなか袖を通すチャンスがなく長いこと出番を待っていた絽の訪問着を着用しました。この着物は私が製作したのではなく、かなり昔に作られた着物を訳あって私が自分の寸法に仕立て直した物です。大変に珍しい柄で私自身が他の制作者の作品を着る事も滅多にないのですが、どうしても面白い絵柄だったので着てみる気になったのでした。

 帆掛け船が裾にあり、海の景色ですが上部は紫色の地に黒い線でまるで通り雨のように描かれています。その組み合わせ方が面白くやや粋な感じもして気になる絵柄だったのと、どんな意図で制作されたかに興味もあり、こんな大昔に作られた着物を自分が着ることでしかも役者さんの晴れの日に合わせて着たら着物が喜ぶだろうと思い切って着て見ることにしました。

私には仕事柄でしょうか、不思議ないわれのある着物が手元に集まることがあるのです。持ち主はとっくにあちらに行かれた方ですが、着物には想いが残ります。そんな私に託された着物が何点かあって自分用に仕立て直して、しつけがかかったままです。
そのような着物を観劇やお芝居に連れて行くつもりでこれから先も機会があれば着て行こうと思っています。そうすれば着物も楽しんでくれるのではと考えるのです。
お盆のせいでしょうか,着物の供養とかつての持ち主の方への供養と考えたりもするのが私がそんなことを考えても良い年齢に達してきたせいでしょうか。それともうひとつ会った事もない昔の制作者にはどんな想いで着物を染めたのであろうかと敬意を持つからです。
何時の時代にも着物の創り手と着手がいてこそ成り立っていると言うことを忘れないようにしていたいからでもあります。 着物の持つ普遍性を感じていたいし、信じていたい自分がいるからでもあります。
夏の夜の「三津五郎さんを囲む会」は賑やかで盛会でした。三津五郎さんは入院をしたことが一度もないとおっしゃっていましたが、これからも素晴らしい伝統の世界で活躍を続けて行けることを期待しています。

2012年7月2日月曜日

七夕に願いを寄せて


 水無月の終わりに水無月のお菓子を頂き、新しい月を迎えた7月1日は、工房で蜻蛉倶楽部(FACEBOOK)主催の「七夕の会〜お香にふれる〜」に参加し、それは楽しく充実した7月を迎える事が出来ました。

  時々、細く降る雨音を聞きながらお香に親しんだり、お煎茶を味わい美しいお菓子を愛でたりとゆっくりと過ごせた一日でした。
  設えには来年はもう少し工夫を加えたいと想ったり、7月の着物や帯のモチーフにはあれもある、これもあると新しいヒントが沸き上がって来たりもして来年への宿題も出来ました。
何でも新しい事に挑戦すると、また違ったアイデアが生まれてくるし、疑問も出て来るし、そうすればもっと何でも深く知りたいと調べ物もするから気持を停滞させるのが最もいけないとつくずく感じます。
  いくつになっても「何で?どうして?」と自分に問いかけて行く姿勢がポジティブな思考へと繋がるのは、これもまたアンチエイジングの方法のひとつなのだと勝手に解釈しています。
  一年の半分が丁度終わり月末には「水無月」のお菓子も頂いたから、きっとまたこれからの半年も元気に過ごせるに違いないと自分に暗示を掛けて7月が始まりました。
東京は今月がお盆です。この半年の忙しさで少しおろそかになっていたお寺さん行ききちんとしなくてはと、真夏に向かう前にこの辺で心を引き締めましょう。
  昨日、袖を通した私の明石の着物も、娘の小千谷縮も今日はしとりを取るため干していますが梅雨の晴れ間に時折吹く風を受けて揺らいでおります。着物の虫干し風景もまた日常の風物詩といえるでしょうか。

2012年6月25日月曜日

襲名とミュージカルを観る


夏の会が終わり今週は出ずっぱりです。20日は演舞場で猿之助の襲名披露公演を台風一過の日に出掛けました。風はまだ吹いていましたが青空が見えて晴れ晴れとした気分でした。
台座に乗せられた猿翁は少し痛々しい気がしましたが亀治郎の新猿之助と話題になった香川照之の中車襲名、そして息子が團子を襲名という重ね重ねのおめでたい興行です。
口上では小さな團子のはきはきとした口上と色々な想いがあって中車を襲名したであろう香川照之の気持を考えるとこれから大変だろうなと想像しますが、何はともあれ注目すべき興行です。先代の猿之助がついこの間團子を名乗っていた若い頃を思い出して時の流れの速さには驚いてしまうばかりです。新猿之助も芸達者ですし、若いのでこれからますます楽しみとなります。
香川照之はNHKで放映していた「坂の上の雲」のドラマで正岡子規を演じていたのが印象的で演技の上手い役者さんですからこれからも多方面で活躍するのでしょう。新團子は立派な口上振りから観て、きっと素晴らしい歌舞伎役者に育つことでしょう。
  私も何時まで観客としてつきあえるか分かりませんが応援して行きたいものです。7月も行く予定にしていますからこの夏は例年に無く何度か歌舞伎が楽しめそうです。

それから24日にはがらっと趣向を変えてミュージカル「本能寺が燃える」を観ました。
  セルリアンタワーにある能楽堂で舞台を使っての面白い趣向でした。この題材は本当にドラマチックですから舞台にするには格好のドラマでしょう。私たちは総勢14人のお席だったので料亭「金田中」で昼食を取り公演時間になれ、ばさっと障子が開け放たれ、その場所から能舞台が見れるという何とも贅沢な形で舞台を観られる趣向が珍しく、とても良い気持で舞台を楽しめました。
 2回続いた外出も雨にも濡れず着物で行けたのは幸いです。演舞場には柔らか物の藤系の着物に鉄線の花の紫の染め帯で、能楽堂には黒地に格子柄の夏大島に藤色の矢車草の帯で出掛け、梅雨の晴れ間に出掛けたので行く度に着たまま虫干しさせているようです。これで今月はもう単衣はお終いです。
  九月になったらまた着ますがその時はもう塩瀬の帯が出番です。塀沿いのゴーヤの蔓がまたぐーんと伸びてきました。青紫蘇も今年は沢山出来ました。冷や奴に薬味として役に立つので嬉しいです。あとミョウガが出来たらいいと思いますがこれがなかなか出来ないのです。どうも増えません。難しいのでしょうか。
 今年はミョウガにも挑戦しようと考えております。食いしん坊のせいか食することの出来る野菜にも大いに癒されています。

2012年6月18日月曜日

再びの紫陽花そして撫子


昨日で「夏のあらた会」+「今昔の会」が無事終了しました。いらして下さった方々、本当にありがとうございました。今回も色々な出会いがあり嬉しかったです。 会のはじめから飾っていた珍しい紫陽花の鉢も、とうとう花が終わり昨日からはこれもまた珍しい色合いの紫陽花の鉢を手に入れて変えました。
会期は終わりましたがまだ来られなかった方もいらして今週も余韻を残しており、2,3の来客を夏の着物たちが待っています。

 半月以上も出掛けなかった分、今週からは外出予定が怒濤のように押し寄せそうです。
  まず20日の襲名歌舞伎に行くのを始め観劇、音楽会と目白押しです。単衣を着られるのも残り10日余りとなりました。
台風が発生しているらしいですが外出日は梅雨の晴れ間であって欲しいと勝手なお願いをしてしまいます。あまり着るチャンスのない紗の雨ゴートもいよいよ出番かなと、今日は単衣から薄物の着物をすぐ着られるように箪笥の中身を入れ替えたりする日に当てようと思っています。

さあ、本格的な夏が来ると思うと真夏の着物をあれこれ考えるのにも気合いが入ります。暑さには弱い私ですが出来るだけぐったりしないようにするのはお洒落して出掛ける所を作ることと、自分に言い聞かせております。
五月終わりに植えた短い背丈の撫子は花が一通り終わってしまったので今度は丈のある花びらに繊細に切り込みのある白とピンクの撫子に植え替えてみました。か弱げな花びらは涼やかです。 またまたナデシコジャパン頑張れとの思いです。先日植えたゴーヤもぐんぐんと伸びています。いつの間にか青紫蘇が増えてきて友達のようなバジルと共存していますから、食事はパスタにするか、おそうめんにするか少し迷ってしまいます。今度はミニトマトも植えてみようかと、夏の太陽を仰ぎながらしばしの休日の日を楽しんでいます。

2012年6月11日月曜日

夏の着物に想う



 夏の会も中盤になり残り1週間となりました。会期中に東京も梅雨入りとなり、降るかと思えば晴れたりまた朝夕に気温の差もあり定まらない天候に一寸外へ行くにも空を見上げてしまいます。
 それでも会期中に訪れて下さる方々との出会いに楽しい時を度々持てることに喜びを感じています。雨の中、着物でいらして下さる方にはお礼を言いたくなってしまいます。


 夏の着物の素敵さは着た人でなければ分からないでしょう。得も言われぬ贅沢感と満足感を自分自身に感じるものなのです。
 夏の着物の素材感は豊富です。先人が高温多湿である日本の夏をどのように凌いで来たのか、その素材の種類を思えば各地にあっていかに様々な反物の織り方に創意工夫があったかと感心するのです。繊細で複雑な美意識を持っていた昔の人たちには驚くばかりです。

また夏の着物にはモチーフとなる題材もより夏のおしゃれ感を色濃く感じさせます。日本人の持つ美意識があるのです。日本の夏の夏の魅力を着物から感じ取る人が一人でも増えてくれれば良いのにと六月に入ってから毎日思う日々が続いております。

2012年6月4日月曜日

梅雨の来ぬ前に


六月に入り「このところの暑い日が続いたおかげでサクランボが早く出来ました」との電話が入りました。懇意にしている山梨の果樹園からです。
今は工房が会期中で東京を離れられないのでサクランボ狩りには行けず残念ですが送ってもらうことにしました。楽しみです。

これから梅雨が来るのでしょうから色々と用事を早めにかたづけようかしらと考えています。雨は必要だから嫌とは言っていられませんが出来れば寝ている間だけ降ってくれればいいなと勝手なことを思ってしまいます。
今年こそ素敵な長靴を買おうかなと考えています。最近はなかなかお洒落な長靴があるようなので求めれば雨の日も気にならなく活動的になるのではと買う機会を狙っています。

先日、妹の所から紫陽花をいっぱい切ってもらって来ました。本当に紫陽花の種類の多いことには驚きです。
 最近求めた紫陽花は白くて花びら の縁だけなんともクラシカルな紫色をしていてその紫の色に惹かれて鉢を求めました。
6、7、8月の夏の前 半を彩るのはやはり紫陽花でしょう。真っ白な紫陽花ももらって来ましたが白も捨てがたく、白磁のような白い一輪挿しに挿すと清楚でなかなかいいと一人満足 しています。今週は紫陽花と楽しむ週になりそうです。と言うのも水揚げが難しいので否が応でも朝夕に切り花にした紫陽花は切りもどしたりして、手入れをし なくてはなりません。
今まで見たことのない色合いで不思議と和風な雰囲気がして新種だそうですがこの鉢もいつか山のアトリエに移植しようと思っています。

現在、山のアトリエの北側に紫陽花の木を20株ほど植えてあるのですが誠に成長が遅くて元気なのですがなかなか花も咲いてくれません。園芸種が多いので山には向かないのかなと思いますが、山紫陽花は咲いているのにその違いはよく分かりませんので早く大きな株になって力が付き綺麗な花をひたすら待つしかありません。
花と見えるのは萼と言われるところとは重々わかってはいますがどうしても花にしか思えませんのでこれからも紫陽花の花と言い続けてしまうことでしょう。
合間にサクランボでも摘みながら梅雨のまだ来ない内に六月の初旬を味わいましょうか。

2012年5月28日月曜日

工房リニューアル記念演奏会


五月晴れも最後の日曜日に親しい友人たちを招いて賑やかに楽しく工房リニューアルの記念演奏会を内々で催しました。



 あまり聴く事のない邦楽のなかでも端唄、俗曲、小唄、民謡が楽しく唄われて大いに盛り上がりました。友人からの差し入れも沢山届きありがたい限りでした。
工房リニューアルでまた着物の制作意欲も湧いていますが、何よりも元気な方々に囲まれて幸せな限りでした。
美味しい食事と音楽を楽しめる事は元気な証拠。そして仕事に意欲を持てることはどんなに自分だけて頑張っても出来る事ではなく、周りの方の支えで、どれほどお世話になっているかを思った日でもありました。

今回、協力して頂いた記念演奏は学生時代より親交のある邦楽の師匠である豊藤嘉さんとそのお弟子さんの豊藤嘉見さんです。NHKや「題名のない音楽会」など民放各局、プレスクラブなどでも活躍されている演奏家さんです。
木遣りくづしに始まり、どどいつの飛び入りもあり、また福島復興を願っての新相馬節、山梨のアトリエに因んで武田節が朗々と唄われ、最後にラテンのリズムでコーヒールンバで、やんやの喝采のなかで演奏は終わりました。持つべきは友人で有り難かったです。

演奏後は無礼講で大いに吞んで食べて五月の夕暮れまで工房は賑やかでした。この月末が終わればいよいよ衣替えの六月ですから夏の着物も素敵にこの場所に飾らなくてはなりません。

この頃は夏特有の着物や帯を中心に展示して展開する所も少なくなりました。浴衣は単にゆかたであってそれ以外の物ではないので私はあくまでもよそゆきとしての夏の着物に力を注ごうと思っています。
昨日の景気付けの歌や三味線に押されてこのままこの夏をサーフィンに乗るかのように進んで行こうと思っています。波間に落ちて沈まないように頑張ります。この夏も皆様の応援をよろしくお願いします。


2012年5月21日月曜日

源氏香之記そして金環日食



 穏やかな5月の陽光が降り注ぐ20日、誘われてお香の会に行きました。
恥ずかしながらこの年齢になるまで香道に触れる機会がなかったので娘と同世代のF子さんに誘われると、これは良い機会と参加してみることになりました。


 今まで源氏香の図柄は何度もそのデザインからヒントを得て柄として創ってきましたが大本である源氏香が香道の中でどのように扱われるのかあやふやの知識だったのが今回参加させて頂いて大体分かりました。
香道は何とも雅で精神性が高い遊びであることも理解出来ました。5種類のお香が順に回ってきて香りを感じて同じ香りをその中で当てるわけですが時間を置きながらその都度記奥に留めるのはとても難しい体験に思えました。一定の時間内でそれぞれの香りを覚えるのはどんな感覚を手がかりにしたら良いのかと迷いましたが、何とか無事に終了致しました。
 お茶を頂きながら香道の成り立ちや歴史を教えて頂き奥の深い事だと知りました。感覚を研ぎ澄まさないと全く分からなくなるのではないかと感じました。


 たった1回の経験では何とも言えませんが誠に渋く味わいのある道だと思います。お茶の世界にも和歌の世界にも通じるものがあり、まだまだ人生の修行が必要で昔の貴族の遊びとは言え、かなり高度な精神性も求められるし香道もずいぶんとクリエイトな遊びなのだと感じ入りました。まだまだ勉強しなくてははならない世界が私にはどっさりとありそうです。
  この日は何度も美味しいお茶をご接待頂いたせいか五感をフル稼働させたせいか、なかなか寝付けずに気がついたら金環日食の朝を迎えてしまい、またまた珍しい日食の様子を眼にして天体の不思議も垣間見ました。そして昼にはうつらうつらとしてしまうのでした。私には盛りだくさんな24時間でありました。

2012年5月14日月曜日

薔薇が咲いた


五月も後半に入ろうとしています。五月晴れが続き風も爽やかで気持ち良い日々です。玄関脇にあるミニバラが真っ赤な花をいくつも咲かせてくれています。

冬の間枯れたような細い枝でしたが春の終わり頃からはぐんぐんと葉が出て来て茂り、蕾をいくつも付け始めて先週から次々と咲いています。大輪ではないのですが真紅のバラは少女のように可愛い感じです。
ずっと昔、母の晩年にカーネーションの代わりに好きな赤い鉢植えのミニバラをプレゼントしたのですが母亡き後は地植えにしていたのがちゃんと根付き、未だに5月に花を見せてくれます。すでに10年以上も経っているのには驚きで、たいした手入れもしないのに強い物だと感心します。昨日は母の日だったせいで花屋さんには多くのカーネーションの鉢が並んでいましたので母を懐かしく想い出しました。

そろそろ夏の会の準備をはじめなくてはなりません.自分の箪笥の整理をすると思いの他単衣や夏物の着物が多いので収納に頭を悩ませます。単衣を着るのは年々に早くなっていきます。それだけ夏の気温が続く日が多くなっていることなのでしょう。なるべく前倒しに単衣や薄物は着て行っても良いのではと考えます。
洋服もクールビズとかで年毎に早めに着るようになっているようです。折からの節電が叫ばれている昨今ですから、余計に涼しさを求める気持が強くなるのは当然な事でしょう。

涼しげにそしてきりっとお洒落に見える着物創りに励まなくてはなりません。
描きたい素材やモチーフはまだまだあります。この夏にはまた色々な題材に出会えるようにあちらこちらと出掛けて行こうと思っています。夏の間に見たい花がいっぱいあります。

赤い薔薇に水やりをすると花の間に母の笑顔が浮かんで見えたのは気のせいでしょうか、赤い花が大好きな人でした。

2012年5月7日月曜日

早蕨摘み


 今年のゴールデンウイークはしっかりと休暇を取りゆっくりと過ごすことが出来ました。
春の来るのが全国的に遅かったせいもあり今年になり始めて行くことの出来た八ヶ岳のアトリエの周辺はまだまだやっと春という景色が広がっていました。
山椒の新芽はわずかに緑が見える程度でしたが水仙は盛りでした。
丁度富士桜が満開で、可憐な花が下向き加減に楚々と咲いているのが可愛らしく山の桜は今がたけなわでした。
村の方に下ると春の陽光を浴びた芝桜が溢れるように咲き庭先の鯉のぼりが悠々と泳ぎ田畑にはもう水が張られて田植えを待つばかりでした。

 友人たちが遊びに訪れて楽しく過ごし、久しぶりの犬たちとの散歩では、一回り大きくなり力も強くなった雄の犬に引っ張られて連日のアップダウンの山道の散歩にふくらはぎも痛くなるという冬の間の運動不足を思い知らされるのでした。

 落葉松の新芽が出始めて毎年その清らかな緑に心が弾みます。
そして今年ほど蕨を採った年もありませんでした。まだ出始めですから早蕨は柔らかく採ってすぐにアクを抜けばその春の恵みに感謝するばかりです。毎食のように蕨が食卓に上り、大いに山の春を味わいました。
 長者蕗と言うらしいですが、太くて大きな蕗も美味しく、またタケノコも味わい五月の食卓は何て楽しいことでしょうか。山の幸の恵みとはこういうことを指すのでしょう。
藤ピンクのミツバツツジ、やっと出て来た蒲公英の黄色、赤い新芽のモミジや楓、何もかもが春と初夏を同時に謳歌しています。

 早蕨というのは襲の色では表が紫で裏が青という色を指します。
沸騰したお湯に重曹を入れて蕨のアクを抜くと濃い青がかった緑色になります。
この様子から襲の色が決まり春の色となったのでしょう。自然が生み出した色彩は季節感を表し配色をも教えてくれます。
散歩の途中には山の菫が目について少し鉢に入れて東京に持ち帰りました。しばらくの間眺めていようと思います。

2012年4月30日月曜日

紫のサイネリア


 GWの間は何とかお天気が持ちそうな気配です。長く留守をするので草花にはたっぷりとお水を上げなくてはなりません、花がらを取ったりして手入れをすると花も応えてくれて次々に美しい花を咲かせてくれます。

 三月に求めた大きな鉢のサイネリアは未だに良く咲いてくれます。
手に入れたのは鮮やかな青紫色で中心は白いのでなおさら紫が鮮やかにみえます。
このサイネリアは園芸品種でも新しい花だそうですが。庭先にある縁側のスペースに置くとサッシ越しにもよく見えて、その前を通る度に癒されます。
鉢ごと瀬戸の大きな瓶に入れてありますがこの瓶は母がお嫁入りに来る時に実家から漬け物用にと持たされた物でかなり古く間違いなく百年以上は時代を経ているに違いありません。青磁色でなんの花にも合いますのでとても気に入っています。
 こんな何気ない物でも百年も経てば自ずと味が出て来るから不思議です。
家の中を見回すとそんなものがちらほらとあります。骨董的な価値はないかも知れませんが空気のような存在である花瓶や飾りものや額などは語らずとも密かに息づいて私たちの生活の中に溶け込んであります。

 今日で四月もおわりです。でももう風は五月のそよぎを感じます。
サイネリアの紫色は考えると助六の鉢巻きの色に似ています。江戸紫に近い色で日本人によく似合う色です。紫には様々な色があり奥深い色です。紫色の卒業式の袴もきりっとして良い感じです。紫の鉢巻きは病を表すのだとも聞いています。
それにしても自然界が創る色は何て素晴らしいのでしょうか。いつも教えられます。
 色の配合をする女神でもいて、楽しげに花の色を作り出しているのでしょうか。そう思うと嬉しい気分になります。初夏の爽やかな風が渡ると楽しい空想がいっそう膨らみます。

2012年4月25日水曜日

ムカシアルバム



 すっかり初夏らしい陽気となりました。

 日ごとに新芽が伸びて欅もモミジもカナメモチの垣根もぐんぐんと若葉を広げています。
春の会も無事に終わり少し一息を着いた頃、四国の方からムカシアルバムに使えそうな写真が手元にあるからどうですかとのメールを頂きました。今まで口コミで集めていたりしていましたが今回のようにお目にかかった事のない方からのご連絡はありがたいです。
大正5年11月頃 家族の肖像
 早速に送られて来た古い写真はムカシアルバムの中に取り込みましてまたページが増えました。地味な活動ですが保存活動を続けて古い写真が捨てられないことを願っております。ご協力ありがとうございました。



 四月の陽光を浴びて3月に門扉の植え込みに植えた勿忘草が生き生きと目一杯花を咲かせてくれています。大好きな青い花です。山では種がこぼれて翌年も咲くことがありますが東京ではなかなか増えてはくれません。
いつも4月の碧い空を映すかのように可憐に咲く花です。
ずっとずっと昔、私の若い頃に勿忘草というドイツ映画がありました。
いつもこの花を見る度にその映画の甘く切ないストーリーを思い出します。
そして主題歌として歌われていた「勿忘草」のメロディも素敵で、ますます好きになりすっかり私の愛唱歌となりました。 

 それ故に勿忘草は青春時代のちょっと甘酸っぱい思い出の花として心に残り毎年春には咲かせて楽しむようになりました。
ずいぶん前にどうしても勿忘草の花の帯を創って欲しいと言われて、四月の空の色を背景にしてお太鼓いっぱいに勿忘草を描いたことがありますが、思いのたけを込めて描いたのでもう2度と同じには描けないでしょう。

 マザーツリーという言葉があるならば勿忘草は私にとってはマザーフラワーと言うところでしょうか。ちなみに私のマザーツリーは山法師とフラミンゴの木です。これらの木々も今頃山のアトリエで芽吹き始めている事でしょう。

2012年4月17日火曜日

八重桜満開


 すっかり葉桜になり黄緑色の小さな葉が枝の間に見え始めている桜木は今、花がらを沢山落としています。
ソメイヨシノが散りだした今は八重桜が満開です。枝垂れ桜もまだ見られます。近所にある
ピンク色の濃い八重桜は花がいっぱい付いていて枝先で重そうに揺れています。
 ニュースでは大阪造幣局の桜の通り抜けが始まったと伝えていて、毎年このニュースを見ると私も一度は見に行きたいと思うのですがどうしても実現出来ないでいます。
画面で見ると全て八重桜でやはり何種類もあるようです。中には手鞠のように丸く沢山の花が付いているのもあり、八重桜は同じ桜といっても可愛く愛くるしい少女のような風情がします。
そして暮春の暖かさのなか咲き誇っています。緑の芽吹きのその前に行く春をたっぷりと楽しませてくれています。
 折から塀の上の枝垂れモミジがこの2,3日芽吹き始め小さな葉を赤く染めています。最近この枝垂れモミジを別名「手向け山」と言われることを知ったので今年はこのモミジが赤く枝垂れる様がとても楽しみです。なんて優雅な名前でしょうか、


 展示会中は着物姿も多くてやはり良い季節の中、着て歩くと浮き浮きするような気分の日々です。私も久しぶりに着物を着る日が多くなっています。春はやっぱり特別です。ぽったりぽったりと咲く八重桜が散る頃には新緑が眩しくなりゴールデンウイークに間もなく突入します。
まだ朝夕の寒暖の差が結構あるのでうっかりすると風邪を引きそうになりますので気をつけなければならないと身を引き締めています。

 春の会も終盤に近づいてきました。終わるまではいらして下さる方々と着物の話に花咲く日々を楽しみたいと思っています。
三月の末に植えた玄関先の勿忘草もすっかり伸びて水色の小さな花を精一杯咲かせてくれているのが健気です。どんな花々も私を嬉しい気持にさせてくれます。

2012年4月8日日曜日

花に浮かれて


 風が吹くと静かに散るぐらいの桜で、まだそれほど散るでもなく満開に近い状態で咲き誇る桜木はこの2、3日が最も見頃です。近所の方々がお花見をして賑やかに花に浮かれて楽しんでいる声が隣の公園から聞こえて来ました。

 工房のある二階の窓から見ていると必ず道行く人が公園の前で足を止めて桜を仰ぎ見ています。いつもは気にも留めないであろう公園もこの時ばかりは注目のまとになっているのが良く分かります。
 そして見上げる人は二言三言なにかしらつぶやいている様子です。綺麗だわと言っているのか、こんな所に桜の木があったんだと言っているのかわかりませんが何かしらつぶやいています。こんな様子を二階から見ているのは楽しいです。

 折から春の会の真っ最中で連日のお客様で賑わう工房です。かつて創った桜の帯や着物を身につけて訪れる方がいらっしゃると本当に嬉しいです。まるで里帰りしてして来た娘を迎えるような母親の気持ちになります。

 色々な表情を見せてくれる桜の様子を時に誇らしく描き、時にはかなく思ったり、または妖しい美しさに惹かれたりとその時々の自分の気持ちを投影させて、いくつもの桜の着物や帯を染めてきたものと思わずにいられませんが、まだまだ描きたい桜の景色は心の中にあります。これからも追い続けて行くつもりです。

 日曜日には毎年東京の桜を見に札幌から4月に上京する友人を交えてお花見の宴となりました。久しぶりの再会に喜び楽しいひとときを持てました。
皆が元気で桜を愛でる事が出来るのはなんて幸せなことだろうとつくづく思います。歳を経るごとにその思いはありがたいものと感じています。

ふっと垂れ桜もいいなと思い植えてみたいと家人に言うと大きくなったらどうするのと反対されました。なんて欲張りな私でしょう。大きな桜の木を工房の背景にしていながら、まだ桜が欲しいなんてと自分でも思いましたが今は枝垂れる木に凝っています。
 枝垂れる桃の花、枝垂れるモミジと並んでいるのにその隣に枝垂れ桜を植えるスペースはないかなと性懲りもなく探す自分がいます。
 うららかな春の満開の桜にいささかのお酒が入りきっと酔ったに違いありません。


2012年4月5日木曜日

桜満開のお知らせ


工房スタッフ そめとらです。

今年は、遅い桜の開花となりましたが、工房隣の桜がついに見頃を迎えました。



春の嵐がやや心配でしたが、蕾も落ちず無事に咲いてくれました。



空いっぱいの桜。年を重ねるごとに心に響きます。



工房では引き続き新作展示会「春のあらた会」を開催中です。





工房の垣根に、しだれ桃、椿も咲き始めました。しばらくは楽しめそうです。

お花見がてらぜひお気軽にお立ち寄り下さい。









2012年4月2日月曜日

蕾はピンクに


 うららかな春です。工房の隣の公園の桜は全ての蕾がピンク色に染まり時間を追う毎に蕾が膨らんで
すでに枝先ではいくつかは開花を始めていて、待ちに待った本当の春が訪れたと思わせる良い季節となりました。

 小鳥のさえずりも絶え間無く聞こえ、花の蜜を探しているようです。花が咲くととてもうれしくて、華やかな気持になる反面なぜか悲しいこともふっと想い出すのは桜を眺めて愛でる心の裏側にいつも潜んでいる気持だと思うのです。いつか一緒に桜を愛でた人々のことが、、、共に見上げて交わした会話などが想い出されて来るからでしょう。
 もう二度と会うことが叶わない家族や友人たちが桜の時期にはしきりとまぶたの裏に浮かび上がります。
私の場合はいっしょに散歩した犬まで思い出すのです。はらはらと散る花吹雪の下で見上げている犬の濡れた黒い鼻にも花びらがぴったりと張り付いて可笑しかったこともありました。

 桜は華やかででうれしくて悲しい不思議な花です。来年にこの花を見る自分はどうなっているのだろうかと考えてしまいます。
 まぁ無事に今年の春を迎えられたからいいとしようかと、来年の事まであれこれと考えるのは止めにしようと、今この瞬間を一生懸命に生きれば良いとしなくてはと、先ほども地震があったのだし、先の事は予測して生きては行けない、なにがあってもおかしくない時代なんだからとこの一年でつくずく思わせられたのです。
 自然から学習させられた気もしました。わずか何十年かの自分の経験なんて、なんの役にも立たないことも多い時代になっているなと思う事も最近ではしばしばあります。

 春の展示会にいらして下さったHさんにお庭の椿の枝を頂きました。黒詫び助という名の黒臙脂色の椿が珍しくて、始めて見たので感激しました。
椿は挿し木でも根が付くかも知れないと言われたので花が終わったら試してみようかと楽しみが出来ました。
 花が咲きそろう今、春の展示会も花の咲くのに連れてだんだんと進んで参ります。久しぶりの方々にもお目にかかれます。やっと落ち着いて仕事に取り組む日々が訪れて来た樣であります。
今日はあまり小鳥が囀るので椎の木に掛けた餌に林檎を切って載せようか思ったりしている春爛漫の暖かな午後です。


2012年3月21日水曜日

彼岸も過ぎて


 春の飛び石連休も終わりました。昨日は八ヶ岳のアトリエに置いてある作品を引き上げに日帰りで行きました。
八ヶ岳の山々はまだ山頂から中腹まで雪が見えましたが、道中はすでに雪もなく、まだ山の木々は裸木のままで、勿論芽吹きはまだ見られませんが、どことなく山にも春の空気を感じられる気がしました。
 ゴールデンウイークの直前には再び山にやって来るのだからと、40分そこそこの滞在時間でしたが4ヶ月余り来られない間に降ったであろう雪も溶けていて、長い留守を見守ってくれていた庭にあるモモちゃんのお墓に手を合わせ「またすぐに来るからね」と叫んでトンボ帰りして来ました。
24日からのリニューアルオープンに間に合わせようと二日間植木屋さんが入り気になっていた椎の木の枝おろしが終わりさっぱりとして隣の公園の桜にも陽当たりが良くなりましたからこれで開花も少しは早まるでしょう。
 椿はまだ固いですが蕾をいっぱいに付けていましたが植木屋さんが枝をすかせたのでつぼみの付いた小枝が沢山落ちてしまいました。
私は残らず拾いましたが植木屋さんは「まだ固いから咲かないでしょうね。」と言いましたが何だか可哀相なので固い蕾を集めて暖かい部屋に置くことにしました。
咲いたらいいのにと思いますがどうでしょうか。

 愛犬モモを忍んで植えた源平咲き分け枝垂れ桃の木が枝を広げて来ました。植木屋さんは「この木がずっと塀まで枝垂れてくるといいですよね」と言いながら小さな小さなモモメモリアル庭園を手入れしてくれましたが桃の咲くのも楽しみです。かつてこの出窓の下に桃の小屋があったのですから、この木を見る度に桃のことを想い出すでしょう。

 長い冬から解放されて本当の春がこの庭にも私にも訪れてくれればと願うのです。
24日からの春のあらた会に桜の咲くに連れて皆さんが三々五々と私の工房に遊びに来て下さるようにと、今日は春の花々の鉢を求めて玄関先の小さな植え込みにいっぱい植えてみようかと思います。暑さ寒さも彼岸までを実感した昨日でした。

2012年2月29日水曜日

雪の誕生日


 2月最後の29日、私はまたひとつ歳を重ねました。唯一私が自慢できる閏年29日の誕生日は4年に一度なので、なかなか歳を取らないと言う事です。まだ十代と思えば高校生みたいでなんだか元気になります。4年に1回味わえる貴重な気分です。
朝から天気予報の通りに雪に見舞われて真っ白な世界が2階の工房から眺められて清心な気分になり、折しも明日からの工房再開を思い身が引き締まる気がします。
今まで以上に体に気を付けなくてはと心に念じました。

 半年間も昼間は繋がれっぱなしだった2匹の犬もあと1週間の辛抱で新犬舎に解き放たれる日がきます。人間にとっても半年は長いのに犬の年齢から行けばきっともっと時間が長く経過したのではないかとずいぶんと心配もしましたが、私に取っても犬にとっても長く厳しい冬があと少しで明けそうでほっとしています。
仕事にこんなに長く従事出来ず制作も出来なかったことは始めてで、それはそれで貴重な体験をいっぱいしました。特に人と人とのつながりや縁というものに感じることが多かった気がしています。
 これからは、ずっとこのまま多分、力が尽きるまで淡々と仕事を続けて行くことでしょう。
世の中の流れも価値観も大きく変わりましたが私は私の信念を貫いて行くしかありません。
 雪化粧された東京の景色はあらたにリセットされた私の人生を示唆しているように感じます。

 日曜日に行われた東京マラソンでは藤原新さんが2位でゴールして私は一生懸命に応援しました。新さんは、あらたさんと読むのに とても親近感を覚えました。と言うのも亡き父は新一という名で、私は自分の工房の名前を父の新という一字から取り、ひらがなであらたと決めた経緯があるのでなんだかひとごととは思えなかったからです。
 私はいつも「日々これあらたなり」を心がけてモットーにし創作の根源に考えているので今回の東京マラソンでの藤原新さんの活躍には心から嬉しく思えました。
 報道によれば彼はどこにも所属せず一人でマラソン一筋にがんばっているとか、共感を覚えました。ちょっと自分に引きつけ過ぎて勝手に色々と思いましたが、今の私にはどんな些細なことでも自分の力にしたく今まで以上に好奇心も感受性もこの半年間の休養で更に増してきたようです。

 明日からは弥生三月、この言葉だけからでも春の息吹を期待しわくわくして来ます。明日は気温も高くなるそうで正真正銘雪解けの春が訪れ、長かった冬が終わりを告げることになるのでしょう。明日の太陽の陽差しが楽しみです。
今は森羅万象、大げさですが、全てに期待したい気分になっています。

2012年2月19日日曜日

工房リニューアルに向けて



 2月も残り1週間となりました。閏年なので例年よりほんの少しだけお得な気がする2月ではありますし、29日がバースデーという私にとりましても4年に1度の日を迎える今年ですから何か特別な年にも思えます。
 そして間もなく、春に向けての工房のリニューアルオープンも迫っていて、引っ越し作業やら古い物の片付けに追われる日々が続いています。
昭和38年から父亡きあとに引き継いだ様々な道具も含め、その後の資料は多くてこの有様を他人が見たならなんて古くて汚い物がいっぱいあるのかと、こんな物をまだ取り置く必要があるかと思うかも知れませんが、私に取ってはそれぞれが大事なものばかりです。
 それでも思い切って捨てたものも多く、この際だからと目をつぶり処分した物もありましたが、あれほど捨てたのにまだこんなに多くの捨てられない資料があるのかと、積み上げられた箱を眺める日々でもあります。

 これから先どのくらい創作活動ができるかわかりませんが、私はこの度のリニューアルに向けて環境も変え、心機一転と身を引き締める思いがさざ波のようにひたひたと、体を満たして水が染みいるように日ごとにわずかづつ創作への思いが深まる気がいたしております。

 昨年の震災は私には直接的な被害は及ぼさなかったのですが、少なからず考えさせられる事の多い出来事でした。自分の生き方やそれぞれの人の価値観や、普遍的なもの、守らなくてはいけないこと、次世代に伝えなくてはならないことなど、それはそれは多く考えさせられたのです。
 まず住まいの環境を堅固にし、自分の健康を真剣に思い、これらの上にしっかりした考えを持って立ち向かわなければ良い仕事も出来ないのだということを毎日のように思った半年でありました。
 古い本や写真を整理しつつも原点に戻り、全てを見直ししなくてはならない良い機会だったと思わねばなりません。
これから春がやって来るように、出来る事ならこの私の体にも春に向かい木の芽が吹くほどの熱い血潮を漲らせたいと願うばかりです。
4年に1度しか歳を取らないのですから、せめて精神年齢だけでも若くありたいと考えています。

 そして今年の秋は、この仕事を遺して早世した父の50回忌にも当たるので私の節目にもなります。それまでに新生あらた工房が、順調に滑り出している日々であるように頑張らなくてはなりません。
 今年の寒さで桜も2週間ほど遅れていると聞いています。何だか私の歩調に合わせてくれているようです。すっかり茂って手入れを怠っていた椎の老木たちはうっそうとして隣の桜の木への日当たりを妨げてしまっていますので、そろそろ植木屋さんに声をかけなくてはならないと考えています。あっという間に終わりそうな2月です。

 リニューアルされたキッチンでIHで初めての調理の日々でもあります。私には革命的な台所です。慣れた作業だった調理の手順も、すっかり様子が変わりました。いくつになっても覚えなくてはならないことがあります。新し物好きな私ですから早くIHに慣れてこれから好きな牡蠣フライに挑戦しようと張り切っています。とびきり美味しい新鮮で大きい牡蠣をどこに頼もうかなと思っている自分に少々うれしさすら覚えています。食欲は創作欲と通じる物があります。


2012年2月8日水曜日

2月の雨は春の予感


 この2,3日空が少しぐずつき気味で雨が時々降っています。
雪にはならず、ほっとしているが季節は節分を過ぎて春に確実に向かっている気がします。
雨もさほど冷たくないので、一雨毎に春めいて来るのでしょうか。今まで余りにも乾燥がひどかったのでこれで大地も木や草も湿り気を含んで着々と春の準備をするのでしょう。
まだ黒い桜の幹は春の雨を吸い上げながらきっと開花に向けていると思うと嬉しくなります。
今年のお花見はどうしようかなと最近は考えるようになりました。

 今回の改装でキッチンの屋根を四角く開けて天窓を作ったら隣の桜の細い枝が見えていました。
桜が咲いて、散ったら天井を見上げてお花見がキッチンにいながらにして出来るかしらとワクワクしてきました。同様にピアノ室の天窓も枝が見えているのでこれは楽しいなと10日の竣工を控えて心が久しぶりに晴れやかになりました。
今日を皮切りに今年も私の桜観察日記が始まりそうです。

 昨夜は久しぶりのコンサートでした。耳に馴染んだ歌や始めて聴く歌などもあって、しばしの間は雑多な日常を忘れさせてくれました。
どの歌も素敵でしたが少々疲れ気味の私にはオペレッタの曲がすんなりと体に入ってきました。
 レハールの作った「メリーウィドウ」のおなじみの曲、「微笑みの国から」のアリア、君こそ我が心の全てなど甘くて心をときめかせる好きな歌が思いがけずに聴けてうれしく思ったのです。どうしてウイーンの歌はこんなに綺麗な旋律なのでしょう。
ちっとも難しくなく、聴けばなぜか懐かしささえ覚えて来ていつも不思議だと思うのです。
この懐かしさは何なのでしょう。解明できないのですが心地よい旋律の法則があるのでしょうか。感じるのは私だけではないのかもしれません。
もっと不思議なのは必ずウィーン歌曲を聴くと両親を想い出すのです。というより子供時代の自分が見えて来る事です。
 強いて理由があるとするなら私が物心ついて始めて買ってもらったレコードがウィンナーワルツばかりが満載のレコードだったからかもと思います。
どれほどそのレコードを聴いたかわかりません。きっとすり切れるほど聴いたにちがいありません。今はそのレコードのジャケットが残されていて山荘のアトリエに額縁に入って飾られています。私の少女時代の宝物で半世紀以上も経っているのに今でも大事にしています。

そんなウィーンのワルツにどっぷりと浸かった子供時代があったからかも知れません。

雨上がりの夜でしたがそれほど寒くなくて、甘い音楽を聴いた後はもうすぐ訪れる春の予感を感じたのでした。

2012年1月31日火曜日

寒冬

記録的な降雪の冬だそうです。連日積雪の記録が更新されているニュースが流れます。
豪雪地帯では雪下ろしのために何十人もの方が犠牲になっていると伝えます。
平成18年以来の積雪が北国の人たちを苦しめている映像を目にすると、私みたいに寒がりやの人間はとても北国には住めそうもありません。
映像を眺める度に雪と闘っている人たちに感心してしまうのです。
高齢者には死活問題で医者にも行けず家から一歩も出られずにいる姿には、雪のない東京の生活からは想像も出来ない苦労があるので、早くこの寒波が去って春の兆しが訪れることを祈りたい気持ちになります。
節分を過ぎれば例年並みの気温になるらしいのですが、まだまだ厳しい寒さが続くそうです。

 そうした中にも夜明けは毎朝ほんの少しづつですが早くなって来るのが分かるようになりましたし、日没も遅くなってきたのはわかります。春夏秋冬がはっきりしているこの国だからこそ
様々な文化も生まれて来たのだと、季節の変わり目には特に実感するのです。

まず、梅の咲くのが待ち遠しいのですが青梅の吉野梅林は今、深刻だと聞いています。ウイルスに冒されて、何百本もの梅の木をこの春が終わると切り倒さなければいけない事態になっているそうです。どうしてそのようになったのか、詳しい事はわかりませんが、これ以上に伐採が続くと吉野梅林も景観が保てなくなると関係者や地元では困っていると聞きました。
 人間だけではなくウイルスは植物にも伝染して行くことに驚きます。

昨日学校帰りの子供たちがお母さんに「学級閉鎖になったの」と言いながらの下校風景に遭いましたがインフルエンザも流行っているのは空気が乾燥しているせいなのか、私も気を付けなければと身を固くする思いで、通りすがりに半ばうれしそうな子供たちの声を聴いたのでした。

 今年は特に寒さが厳しいせいか、暖冬といわれる言葉の反対にあたる寒冬という言い方さえ発生しているとのこと、聞き慣れない言葉ですが、暖冬という語彙があるなら確かに寒冬という言葉もあって良いと納得します。
暖かいスープや食事がやたらと食したくなる毎日です。実だくさんの豚汁でも沢山作ってみようかと、身も心もポカポカと暖めてこの寒冬といわれる季節を乗り越えて。もうしばらく風邪を引かないように気を張って過ごそうと自分に言い聞かせるのでした。

2012年1月26日木曜日

新春初歌舞伎を観る



 寒さが厳しい日が続いていますが、例年のようにとにかく新春に歌舞伎を観ないと新年が来た感じがしないので演舞場まで先日出掛けて参りました。
夜の部では、[めぐみの喧嘩を]久しぶりに観て勢いの良い舞台に、江戸言葉の飛び交う賑やかな雰囲気に寒くて縮こまっていた私の気分も吹き飛び元気をもらえました。

 そしてお正月らしい連獅子は吉右衛門の親獅子に鷹之資君の子獅子には感じ入りました。富十郎の長男である鷹之資を引き立てるように踊る吉右衛門の姿には、遺児となった鷹之資を盛り立てていこうという歌舞伎界の強い思いが伝わってきました。きっと立派な役者に成長することでしょう。将来が楽しみでした。
伝統芸能である歌舞伎を守っていく人たちや若い世代がいる限り役者たちの血脈に受け継がれて行くと思うと心強く感じられます。
何回観ても連獅子は華やかでよいものです。すっかりお正月らしい気分にさせてくれます。

 先日の雪がまだ横道の陽のあたらないところに残っています。天気予報によれば、まだまだ寒さが厳しくて2月3月も平均気温が低くてなかなか春にはなりそうもないとのことです。日本海側や北陸、東北も例年にない大雪で一晩に1メートルも積もる等は、東京では考えられないことで、一寸の雪でも滑ったり転んだりしているのは雪国からみたらおかしいに違いありません。

隣の公園では水道が凍っていたのに気が付き、ずいぶんと久しぶりに水道が凍るのに驚きましたが、我々の子供の頃にはそんなことは良くあった記憶があります。当時はアスファルトも少なかったので学校の行きには霜柱をざくざくと踏みながら学校に出掛け、帰りには溶けた霜柱がぬかるんで長靴がどろどろになってしまったのでした。

 大人になると雪はちっともうれしくなくなるのは悲しい事で、都会では良い事は一つもなく、雪が降り出すと明くる日のことをついつい考えて気が滅入るのは大人になってしまったと言う証なのでしょう。
しかしながら雪が降るのは美しい光景です。暮らしと関係なければ良いのですが残念ながらそうは行かないのが現実です。
春になるまでにまだ1回ぐらいは雪に見舞われそうですが我慢の冬があって春が待ち遠しいと言うことなのでしょう。

 改装も進み2月中旬には工房も竣工と成りそうでが、新装となった和室におひな様を飾れるかと思うと心の中がぽっと灯がともったような思いになります。早く菜の花や桃を飾りたいと待ち遠しいです。
その前に節分があるので今年は年男にがんばってもらい福の神を呼び込めるように豆まきをやることにしましょう。

2012年1月16日月曜日

浅草歌舞伎から


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5日はただの日曜日だったのに昔からの習慣でつい成人式イコール15日と思う癖が何年経っても抜けなくて困ります。
この日は今年初めての歌舞伎見物でまずは浅草歌舞伎からです。朝だったにもかかわらず浅草は大変な人出でした。まだお正月気分が少し残っているようです。
面白くも荒唐無稽な演目である南総里見八犬伝と廓文章の両演目を楽しみました。
前にも思ったのですが浅草公会堂は大分古びて来た気がします。足下がすーすーと冷えますしトイレも古いのでこれから先もう少し改善したらいいのにと今回も思いました。
お正月らしい若手の公演で理屈抜きに楽しませてくれます。曲亭馬琴も面白い芝居を書いたものです。

 お目当ての亀治郎も八犬伝ではまったく違った役柄の二役を演じて好演です.今回が襲名前の浅草での最後となる舞台だそうですから、六月の猿之助襲名も又楽しみです。
廓文章では人気の愛之助さんもじっくりと見せてもらいました。
かつての玉三郎と仁左衛門とのコンビの廓文章もはっきりと脳裏に焼き付いています。
色々な役者さんの舞台も思い出しながらお正月らしい演目に浸ることが出来ました。

帰路は浅草仲店をぶらぶらしながら人混みを縫いまだ明るい内に帰って来られました。
場内で買った人形焼きと熱いお茶をすすりながら、ゆっくりと1月半ばの夜を過ごしました。すでに今年は半月も経ちましたが早く暖かくならないかと今年は特に思いました。
また18日は演舞場で歌舞伎です。
 そして今朝は勘九郎の襲名公演の2月のチケットがどさっと届きました。
2月は梅の帯を締めようかなと考えてその頃には改築も終わり箪笥が自由に引き出せるだろうと予定していますから着物は何にしようかと何となく考えました。
春めいてお目出度い着物はと、あれこれ思いを巡らしました。
まだまだ朝夕の冷えは厳しくて辛いですが春の女神はどの辺りで足踏みをしているのでしょうか。来週には梅のつぼみがどうなっているか近くの梅の公園に出掛けてみましょう。

2012年1月9日月曜日

早春の兆し


 年が明けて比較的穏やかな天気が続いてはいますが、まだまだ厳しい寒さの2月を控えていますからじっとこの寒さを乗り切って行かなくてはなりません。
 日中の陽の当たる短い時間帯の間になるべく用事を片付けて出歩こうと思いますので急ぎ足で歩きます。今は花の咲かない季節なので、家々の塀にも玄関先にも綺麗な花は見られませんが冬を彩るピラカンサの木の実がびっしりと実をつけています。
これでもかこれでもかというように溢れるほどの朱色の実はたわわに木の幹さえ覆うようにみえます。
 あまり餌がない頃なのか何羽もの鳩が群がって赤い実を啄んでいます。
私の足音に驚きバタバタと飛び立つと地面には啄んだピラカンサの実が沢山に散っています。
どんな味なのだろう、甘くて美味しいのかしら、きっとご馳走なのだろうと思えます。赤い実は遠くからでもよく目立つので鳩も群がっているのでしょうし、ピラカンサもその存在を思い切り鳥たちに知らせているようです。
街中でも住宅街でも冬に唯一目立つ木です。花の代わりにこの季節に彩りを添えています。

 ふっと沈丁花の垣根に目をやるとまだ小さいですがすでに固い臙脂色の蕾が見えたので少し嬉しくなりました。
沈丁花は2月の花というイメージが私にはあるので、もう春がやって来るのだなという予感が急にして来ました。
すこしづつ春がやって来るにつれて固い蕾が大きくなり、やがて2月の暖かな日にすこしづつ開き始めて2月の終わり頃にはかすかに香りが立ち春の到来を告げる花です。
低木で地味な花ではありますが春の使いとして最も早く咲く沈丁花は大好きな花です。
今朝は沈丁花の蕾を発見したことで寒さも気にならなくなり浮き浮きした気分にもなったのです。
 何年か前に木戸の側に植えられていた沈丁花がある年に枯れてしまってがっかりしましたが、植木屋さんに聞くと沈丁花には寿命があると言うことでした。
 平成11年に亡くなった母の通夜に丁度2月半ばでしたが、夜の闇の中で香りが立ち、その香りが悲しくてたまらなかったことを思い出します。ですから悲しさと春を告げる香りがない交ぜになって今でも複雑な気持ちになるのです。その後何年か経って木は枯れたのです。
現在は改築中なので出来上がったらまた沈丁花の木をどこかに植栽しようと考えます。
春の兆しを教えてくれるこの木はまた、希望に満ちた春の先達であり、私にとりましても力漲る春への道先案内の木でもあるのですから。

2012年1月2日月曜日

辰年に願う


皆様新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
年も明けて平成24年になってしまいました。ついこの間平成の時代が訪れたような気がしますが、早くも24年目に入ったのか思うと、いったい平成の時代は何があったのだろうと思わずにはいられません。余りにもめまぐるしくて、どう頭を整理してよいかと思うほどです。
 今年は辰年ですから気運が上昇して行くような気分にもさせてくれますが、昇り龍のように天に向かい気運が高まり世の中も自分も龍にあやかり上昇気流に乗りたく思います。
我が家には辰年の母がかつて居て、辰年の家族も加えて2匹の龍がいましたから、母が「仕事をするにはとても良い干支なのよ」と私を励ましてくれたことを覚えています。
辰年の母は天にすでに昇ってしまいましたが、今でも空から我々を見守っていてくれるかなと期待しています。

今年はまた元旦から大きく揺れた地震が発生して再び驚きましたが、まだまだ地震は収まらないぞと言う警告にも思えて身が引き締まりました。
どんな1年になるか想定外のこともありうると考えると、かつてない不安感もぬぐい去ることは出来ませんがこんな気持ちで新年を迎えた事は、今までありませんでした。

 今、自分に出来る事は何なのか、今年はどのように暮らして行けば良いかと思うに、いくら考えても良い答えは生まれません。詰まるところ、一生懸命今まで以上に自分の仕事に誠心誠意取り組むと言うことしか思い浮かばないのです。平凡ですが自分と家族の健康を願い、穏やかに平和に生活して行くこと、多くの友人たちとの交流を今年も深めて楽しい思い出をいっぱい作ること等々、これぐらいしか答えは出ませんが、これらの願いが私には 最も大事な事なのでしょう。

 今年のお正月は仮住まいのため、お雑煮を食べるぐらいしか祝えなかったのですが、私に取っての本当の春は2月になるのでしょうか。リニューアルした我が家の完成を見てからでしょう。
そして桜のつぼみがほころび始める頃には落ち着いた暮らしが取りもどせることを期待して今しばらく冬眠中にしています。
そして今月中頃からはあちこちの芝居に行くことを計画していますから松が明けてからそろそろ冬眠から目覚めようと思っています。
そしてお年賀状を沢山頂きました。これほどお付き合いがあるのは嬉しいです。
今年はオリンピックイヤーだそうですが五つの輪どころか、チェーンのようにいくつもいくつも輪が繋がって、今年になって増えた輪もあり私にとりましては財産と思えます。
 寝正月のような今年ですが、年賀状を読んでは今年の自分の在り方を鼓舞しております。
東京のお正月は静かです。山茶花もそろそろ散り始めて門や玄関先に植えられた葉牡丹が目立っています。
それぞれの家の門松を眺めながら来年こそはちゃんと飾らなければと心に誓いました。