2011年12月27日火曜日

クリスマス忘年会


 25日は親しい方々とそれは楽しい集いが持てました。
毎年クリスマスの頃は横浜で食事を楽しみ音楽を聴いて過ごすのが習わしのようになっています。美味しいお料理、気の合う人たちとの会話もまた、美味しいお料理の一部のように楽しく、ああ、今年も終わって行くのだなと実感します。クリスマスプラス忘年会という集いです。年毎に殿方の参加が増えるのは何よりです。

今年は本当に色々と出来事があった年ですが、私の周囲にも私自身にも様ざまな事件が次々と襲いかかるようにあり、激動の年になりましたが、新しいお友達も増えていることがなによりの財産と思います。
 生前、母が80歳を越える頃に私にこう言いました。「年々に遊ぶお友達が減ってしまうのよ、お友達は沢山増やさないと歳を取ってから寂しいわよ。貴女も80歳になれば分かるわ」と嘆くように言っていたのは今となっては遺言のようになっています。
 私は同じ年齢の人ばかりではなく様々な年齢、そして職種も違う人たち、異性も含めて広くお付き合いするようにしています。
自分の知らない世界の話や知識は若い人たちからも沢山もらいます。私が興味があるのは自分以外の人がどんなことに興味を持ったり感激を覚えるのかと言うことで私自身が刺激を受ける事なのです。
自分の知り得た事なんていくら長く生きていても、たかが知れています。
知恵も経験も自分なりにはたくさんあると思ってもきっとわずかな物なのでしょう。
多くの方々と今年も知り合い刺激を受けてまた来年への糧にと思うのは年末だからです。
 急に毎日寒さが厳しくなり冷気が足下を這うようになりました。犬の散歩の途中に公園に立ち寄ると枯れた芝生がかしゃかしゃと足下で音を立てています。今朝には霜が降りたようで凍っていたのでしょう。
クリスマスが過ぎたとたんにお正月の門松が立ち、おせちの広告が最後の追い込みです。
 私は改築中の為に、暮れからひと月ほど近くに仮住まいとなります。
そんなお正月も最初で最後と思うので三が日ぐらいは静かに過ごし来年への力を溜めていようと考えています。現在の私はまるで冬眠中の動物のような物と自覚しています。冬の間に今年授かった沢山の知恵と友達のありがたさを身に染みこませながら春になったら目覚めましょうか。来年は閏年で私の誕生日も4年ぶりに訪れます。

2011年12月21日水曜日

サンタさんはどこに


 いよいよクリスマスが近くなって街のイルミネーションもピカピカ光りお店もクリスマスセールで賑わっています。
子供の時に感じたワクワクどきどきのクリスマスプレゼントは今はもう遠い思い出の中です。
3人兄弟の長女であった私の記憶ではこの頃になると忙しかったあの時代に父母がなんとか時間を作って子供たちにクリスマスプレゼントを買いに走り、狭い家の中でどこかに隠してイブの夜は子供たちの枕元に寝入るのを待ってそっとプレゼントを置いたのでした。

 私はうすうすサンタクロースは父母だろうと分かっていましたから一生懸命に目を凝らしてその夜は両親の動向を観察していたのですがついに眠気には勝てず寝てしまい朝になると他の兄弟より早く目覚めて皆を起こして大騒ぎでプレゼントの箱を開けるのでした。

 当時両親は30代だったと思いますが昭和30年前後で寝る間もなく働いていたように思います。父はいつも徹夜で暮れの仕事をこなして赤い目をしていて母は暮れのお掃除を始めてそれは忙しく立ち働いていた気がします。
けっして裕福だったわけではないけれど、私たち兄弟は両親の愛にすっぽりとくるまれて幸せな子供時代だったのです。クリスマスイブにサンタさんになってプレゼントを置いた父母は今頃どこに行ったのだろうと、ふと思うときがあります。

 自分も親になって両親と同じようなことを子供たちにしましたが、子供の時に感じたわくわく感は立場が違えばすでになくて、二度と戻らぬ子供時代を恋しく思いました。
しかし子供たちもいい大人なってしまうと今さら純粋でささやかななクリスマスプレゼントを上げる機会も失われてサンタを信じるわけもないですからつまらないものです。

 今は街のイルミネーションは昔よりずっと洗練されていて美しいのですが昭和30年前後のあの泥臭いクリスマスの喧噪は全くありません。
昨日新宿の街を歩きながらしきりと子供時代のクリスマスを思い出し、私のサンタさんは今頃どこにいるのだろうかと夜空を見上げたのでした。ささやかでもあれほど胸がときめいたプレゼントって子供だったからそう感じたのか、とするともう二度とわくわくしながらプレゼントの箱を開けることはないのだろうなーと思い大人になるってつまらないことなのだと考えました。

2011年12月11日日曜日

クリスマスに装う


 もう12月は三分の一終わってしまいクリスマスを待つまでになりました。この時期は例年は出かける事も多くていつも何を着ようかしらと考えます。最後の紅葉も都心では銀杏並木でしょうか。銀杏の帯も出番がないと可哀相なので1回は締めます。それから忘年会や12月の観劇もありは特に年末にはコンサートも多くあるしクリスマスの頃には食事会も増えます。

 しかし秋も終わり冬には確実に入っているので秋の模様も引きずりたくないし、そうかと言って新春らしい装いも出来ません。
冬の楽しみは何だろうと思い冬らしい遊びや、この時期には冴え渡る冬の夜空に思いを馳せて星々や天体の美しさ、降りしきる雪模様、クリスマスの心躍るプレゼント、子供の頃に雪が降るとやたらに嬉しかった思い出、雪合戦や雪だるまを作って夢中に遊んだ頃の気持ちに回帰したくなります。
 大人たちは雪が降ると後が嫌だとぶつぶつ言うのを不思議に感じて、お盆の上に雪兎を作ってみたりしてはしゃいでいた頃を、あの時の気持ちを再現して童心に戻りたいと私は冬の作品にこだわります。
 着物の業界では秋物が終わるといきなり新春モードの制作に取りかかるのが常でした。追っかけてすぐに春物です。寒くて冷たい冬のムードなんかには余り目もくれません。
 私はその狭間にある冬の景色をモチーフにした作品に力を注ぐのが好きです。
西欧的な楽しいロマンチックな題材もありますが、最も日本的な雪の朝を歌った切なくも悩ましい大人の歌である北原白秋が詠んだ以下の1首が大好きです。
五感に訴える素晴らしい相聞歌で雪が降ると私は今でも小さくつぶやいてみます。
これだけは子供の頃には知らなかった世界です。林檎柄の着物を創ったのはこんなイメージが心にあるからです。今月のトップページにアップしてあります。

 「君かえす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」 北原白秋

 そう、不倫の歌です。この後、姦通罪で白秋は訴えられますがこの時代のことを思うと隔世の感があります。今が良い時代なのか悪い時代なのかよく分からなくなります。林檎柄の着物を創る人なんて私くらいでしょうか。

2011年12月6日火曜日

手向山の赤枝垂れ


 12月に入り夜にはクリスマスの電飾がこのあたりの住宅街でも最近は飾り立てられ、それが年毎にどこのお宅もバージョンアップして確実に派手になって行くのをみると微笑ましくなります。
平和な庶民の楽しみと思えば寒い冬空も暖かくなってきます。チカチカキラキラと光る輝きは、宗教に関係なく癒しの効果もあると思います。

 そして12月には紅葉を終えた木の葉がどっさりと小さい葉から大きな葉まで全部落ちて家のガレージの中では落ち葉が見る見るガレージや庭を埋め尽くし、庭掃きが一仕事となります。
ふと見上げると塀の上から枝垂れた紅葉が赤く色付いています。紅葉はまだ散っておらず今が最も綺麗です。都会のモミジは12月の初旬が結構見頃で、東京も京都も今頃が良い季節でしょう。いつか行った京都での12月の初旬の紅葉狩りは素晴らしかった記憶があります。

 私は工房にある赤枝垂れ、別名を手向山というこの品種の紅葉が好きで1年中楽しんでいます。この紅葉はヤマモミジ科で葉の形が細く切り込みが入っていて複雑で優雅な形です。枝垂れた姿は春には新芽が赤くなり見事ですし、夏には緑、そして段々紫っぽくなり初冬には赤く色付くので一年を通して楽しめます。
百人1首にも詠まれていますから古代から日本にあった日本のモミジなのでしょう。
菅原朝臣が詠んだ有名な歌で誰もが1度は声に出して詠んだ事がありましょう。
 「この度は幣もとりあえず手向山紅葉の錦神のまにまに」と歌われたこの歌はリズムも良くすぐに覚える事が出来て私も大好きでした。
 子供の時に一生懸命に百人一首大会の為に覚えた歌はいくつになっても思い出せるものです。特に紅葉の錦神のまにまにと詠まれた結句が好きでしたが大人になってからここの意味が分かったのです。
 この歌から真っ赤に燃えた山の紅葉がイメージして来るからでしょうか。手向山がどんな意味を持った山だったのか分かれば「神のまにまに」と終わることが理解出来ます。
 その事から山紅葉を手向山とも呼んだことことになったのは後世の人のネーミングと推察されますがどうでしょう。
 手向山とは奈良にあり、作者は吉野の山を見て詠まれたのでしょうか。手向山には道路と坂を守る神が奉られているので、それ故、色々な地方に手向山があるようです。
優雅な日本の晩秋から初冬にかけての景色は今も昔も変わらず続いているようです。
山のアトリエに植えたイロハ楓と東京の工房の塀に枝垂れる手向山という名を持つ優雅な紅葉とは対照的でどちらもそれぞれに楽しんでいてどちらも私にとっては工房のシンボルになっていて季節の移り変わりを教えてくれる大事な樹木であります。

 この赤枝垂れがちりちりに乾いて葉が全部落ちてしまうと、いよいよ冬将軍がやって来るのです。全ての落葉樹は裸木となります。
昼間には手向山と呼ばれる紅葉を眺め、夜には電飾、と楽しませてもらっている12月の初旬を楽しんでいる日々であります。