2013年3月21日木曜日

桜、花桃、椿の競演






弥生も残り10日ほどですが、春の花が出そろい、桜も花桃も八分咲きで最も綺麗な季節です。 ぼちぼち藪椿も咲き、隣の公園ではもう桜がほとんど満開に近く、隣にはハナミズキの白い花も見え花々の競演にはしばし見とれてしまいます。 命の輝く春は何にも代え難く、プリマベーラ万歳と叫びたい気持に駆られます。
 



 先週は横浜近くの古民家コンサートに出掛けました。ドレスコードが着物という素晴らしい会でした。3月に入り音楽も舞台も次々と目白押しに予定が入り、加えて新歌舞伎座のチケットも届き始めてくるとうれしさが倍増して「さぁ頑張りましょう」という気分がいやがおうにも高まって来ます。

  厳しい冬があったからこそと思うと東北や北国ではどんなに桜が咲くのが待ち遠しい事だろうと思われます。 静かな春の日々はいつまで続くか分かりませんが当分は桜が散るまで楽しもうと思うのです。



 折から春の「あらた会」が開催中ですから、いらして下さる方とゆっくりお話する時も、出窓から春の陽を受けて咲く枝垂れ桃が目に入り、その可愛らしいことと言ったらありません。まるで少女がそこにはにかんで立っているようです。紅白の咲き分けが少女の頬を思わせるのです。
 日中はなかなかゆっくりと外出が出来ませんが夜桜見物には行こうと風の無い夜を待っています。そうこうするうちに花粉症も治まってくることでしょう。
 春はまた再会の季節でもあります。先日久しぶりに小学校の同窓会を開こうかという打診がありました。半世紀以上も経て未だに小学校の友達は全く子供の時の印象のままです。生きているって素晴らしいなと感謝したくなる日々が続いております。

2013年3月11日月曜日

「ヴィリアの歌」の思い出



 風のあった土曜日9日には品川のホテルでのコンサートに出掛けました。
オペレッタの「メリーウィドゥ」でした。おなじみの演目ですが何回聴いても良いのでまた聴きにいった次第です。
 しかし演奏中に、「ヴィリアの歌」をハンナが歌い始めたとたんに私の中でパブロフの犬の条件反射のようにウルウルと自然に涙が湧いて来るのでした。
 場面はウイーンの夜会の華やかな所ですが、全く関係なく私の脳裏には台所でお勝手をしながらこの歌を口ずさむ母の後ろ姿が思い起こされてしまうのです。
 それは大抵ご機嫌の良い気分が上々の時だったようで少女だった私には、なにやら心地よいメロディに思われてその曲が私の中にすり込まれていったのでした。 多分母は30代だったと思います。後年になってあの時の歌がオペレッタのメリーウィドゥの中でハンナが歌う「ヴィリアの歌」だったのだと知るのですが、この歌を聴く度にご機嫌な母の弾む様な声が胸に響き、つましい暮らしだった台所の光景がいつも瞼に甦り母の背中が浮かぶのです。
 どうしてあの歌を知っていたのかは分かりませんが、多分昔は宝塚や浅草で盛んにオペレッタが日本人向きに上演されていて、皆が口ずさんでいたと父に聞いた事があるのでそんな風にして皆覚えてしまったのでしょうか。
 良き昭和の時代を彷彿と思い起こさせるのです。生前に聞いておけば良かったと思います。 ですから「ヴィリアの歌」を聴くと、いきなりいつも母の背中が浮かび当時の自分の家庭がどんなに小さな幸せに満ちて両親の愛情に包まれていたのかと一服の絵のように甦るのです。音楽の持つ力は偉大だと思います。
 花粉症で鼻がぐずぐずしていたのに加えて不覚にも涙もその歌のせいで滲み出て何だか鼻をかんでばかりのオペレッタ鑑賞の日となりました。
 この日はローズ色の塩瀬に白く描かれた薔薇の帯を地味な江戸小紋に締めて出掛けました。帯の色が少し派手になったかなと思いつつこれが最後と締めました。
 20代から締めていたのですから帯は本当に組み合わせ次第で長く締められるものです。次の世代に締めてもらうことにします。
 昨日の風が少し収まり花の蕾も固いながら少しづつ見えて来ました。 今年の春はとても遅いです。ジンチョウゲもやっと香り初めて来たくらいです。
 12年前の2月の半ばに逝った母の忌にはすでにジンチョウゲは香り初めていて悲しかった夜だったことを思い出します。 あの世でも父に「ヴイリアの歌」を聴かせているかしらと、ふと思ったりします。