2015年12月24日木曜日

クリスマスコンサートは星の競演



 12月19日には銀座でクリスマスコンサートが開かれました。昨年に続き今年も盛会で昼の部、夜の部と2回に分けて満席となりました。アットホームなクリスマス音楽会プラスお食事会とお腹も耳も満たされた一日となりました。




こ の日は特に着物で参加という決まりではなかったのですが、私の周りには着物好きな方々ばかりでしたので、12月も着物で楽しもうという装いの中、お客様同士で和気藹々でした。


 以前は12月は女性たちは家事に忙しくて、とても外で楽しむ時間なんてなかったのですがここ最近は12月の過ごし方も昔と違い、出かける機会が多くなったようです。

 お正月が来る前の初冬から真冬にかけての図柄でクリスマスらしい楽しい柄の着物や帯も増えて寒い季節を思いきり楽しもうとハッピーな気分でのお集まりです。
当日の楽しいお写真をご覧下さい。皆様、メリークリスマス!

2015年12月4日金曜日

冬晴れの師走に



 12月に入り恒例の「樅の会」始まりました。初旬の10日間開きますが、工房では今年ラストの会期となります。
 銀杏の葉がすっかり落ちて紅葉も終盤です。今年は紅葉が遅れたせいで近所の大きな古い家の紅葉と欅の紅葉が夕日に美しいです。

 割と暖かな初冬の気温なので助かりますが中旬になれば街はクリスマスのネオンに彩られて華やかになることでしょう。
 毎年、この時期に開催される「樅の会」は副題で「冬を楽しく」との考えで作品をそろえています。
 お正月に向けて新春の華やかさも含めて年末からの行事にも楽しめる着物や帯を染めています。
 慌ただしい季節ではありますが、また人と人との交流が多い頃でもあります。この時期のシーンに溶け込むような帯や着物はむしろ「冬を遊んでしまおう」という気持ちで作品創りをしています。他のシーズンとは少し違ったうきうき感も帯や着物に盛り込みたいと思っています。

 そして今年はこれらの作品に加えて工房でかつて創ったことのある手描き小紋のサンプルのコレクションを一同にご覧に入れようと用意をしております。
 あらた工房が過去創り上げた着物は数知れませんが、特に手間と時間をかけた記録のサンプルを多く残していますので,この機会にぜひお見せできればと展示しています。
 50年あまりの間にこれほどの数の染めをしたというサンプルを見れば私自身も気が遠くなるのですが、これから先の50年はもうないのですから貴重な記録となります。
 どうぞ「樅の会」にお越し頂いてこの半世紀の間に染められた見本をご覧下さい。初公開です。

2015年11月5日木曜日

柿の映える11月の空。ラジオで語る


 11月は今年は暖かな月になると天気予報で報じていました。確かに日中は秋空が青く高く見えて柿の木が青空に良くあっています。
 すっかり葉を落とした柿の木は都会でも広いお庭がある家には見られます。あの木は甘柿かしら,渋柿かしらとつい考えてしまいます。

 秋晴れの日にあらた工房にてラジオの収録が行われました。着物についてのあれこれを述べています。


 2016年1月4日〜1月7日まで月曜から木曜までの4日間、午前11時53分〜59分、局名はベイエフエム、番組タイトルはラブアワベイにて bayfm(78,0MHz)"Love Our Bay"、番組DJ西本淑子さんとの インタビュー形式でお話しております。


 4日間少しの放送ですが、ラジオをお聞きになられる方がいらしゃったら気に留めてお聴き下さるとうれしいです。なお、ネットやスマートホンのアプリでも視聴が可能とのことです。

 もうこの歳になればさほど、恥ずかしいこともなくなりまして、それよりも次世代に着物文化を伝えてゆく事が、着物への恩返しとも思い私の仕事の一端だとも思っています。

 色々な機会があれば何でもお話して、一人でも多くの方に着物の事を分かってもらいたいので頑張っている次第です。
 

11月は都会の深まる秋を満喫しようと思っています。歌舞伎、美術館、映画行きと楽しむ予定です。

2015年10月6日火曜日

林檎に想う



10月の天気も穏やかに始まり、ぐんぐん急速に秋めいているようです。

9月の終わりには新米もどさっと届きサンマの大売り出し、葡萄はもちろん柿や林檎が店頭に山積みにされています。

 私も早速林檎を買って食べましたが、林檎を食べるともう初冬のような気分にもなります。林檎は秋から冬にかけて店頭に並ぶので目に付くのですが、私は林檎の形は大好きで色も香りも良いのですが林檎だけは加工してある方がもっと好きです。

 特にアップルパイが好物なのであちらこちらのアップルパイを食べています。林檎の種類もたくさんあってそれぞれ違いますし色も黄緑から濃い赤まで品種によって様ざまです。
 以前に北海道から送られてきた林檎はこれ以上ないと言うくらいの濃い赤で、黒に近いくらいで驚いたことがありました。
 その色は作り物のようで白雪姫に出てくる毒りんごは絵にするとこんな感じかと思わせました。もちろん美味しくて皮の中側の白い実の方までうっすらと紅く染まっているほどでした。あれ以来あの林檎は手に入りません。つまり林檎は私にとって少しだけメルヘンで絵にしたくなる果物です。

日本で売られている林檎は形も良くてぴかぴかですが今から40年くらい前にまだロシアがソビエト連邦と呼ばれていた頃にモスクワに行ったのですが、そこで見た林檎の街路樹が印象的でした。
 そして一流レストランでテーブルに積み上げられていた林檎は全く不揃いで虫も食っていたみたいでしたのが印象的でした。
 でもモスクワの林檎の街路樹は素敵でした。今でもそのままかしらと思い出します。
 
 林檎を題材にした着物や帯は古典とは違いポップな感じですが甘酸っぱい思い出と香りを思って描きます。
 そして私の大好きな林檎を題材にした有名な短歌があります。
 それは北原白秋の「君かえる朝の鋪石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」という歌は林檎の香のさわやかさを雪にも被せて「君かえる」という、事実を浄化させている巧みな歌で私の好きな歌の一首でもあります。

 そんなこんなの私の林檎に対する思いを着物に描いた作品を、今週、きものサローネのイベント「きもの100体スタイリズム」に出品します。10月8日、9日、10日の3日間です。
東京メトロ三越前の地下コンコース、江戸桜通り地下歩道(日本橋案内所前)で見ることが出来ます。(東京メトロ三越前駅に直結し、コレド室町1・2・3を結ぶ地下通路です)通りかかったら見て下さい。

2015年8月21日金曜日

蝉時雨の頃



 8月も3分の2が過ぎてしまいました。学生時代だった頃はこの時期、残り少なくなった夏休みを指折り数えて、宿題に費やす持ち時間は後何日あるだろうかと焦り始める頃ですが、この年齢になれば、それもないのだけは嬉しいような、ちょっとさびしいような複雑な気持ちになります。

 夏休みの残り時間より人生の残り時間を考えるような年齢にいつのまにかなってしまった事実に愕然とする時があります。時間は永遠に続くと思っていた若い頃が懐かしいものです。
 蝉が一斉に大きな欅の上の方で鳴いています。耳をつんざくような大合掌でつかの間の生を鳴いている様子をずっと聞いていると、まるでお経の様な響きにも思えます。
 足下にはひっくりかえった蝉もいて触るとジジジーっと最後の声を振り絞って鳴くのも哀れです。

 甲子園の優勝校が決まり蝉の声が激しくなる頃、秋の気配が空の雲にも漂い始めて来ます。木槿が咲き夾竹桃が咲き晩夏に色を添えます。

 夏の終わりは寂しいと思う人もいると思いますが、私は案外この時期が好きです。海岸も夏のざわめきを彼方に追いやり、人の少なくなった波打ち際に残された貝殻や打ち上げられた海草を見ながら、波に洗われたひんやりした砂浜を歩くのも好きです。

 山には山の良さ海には海の良さがあり、長い海岸線に縁取られたこの列島と、緑深い山々の起伏に富んだ陸地の変化に癒されて暮らしてゆく私たちは自然と共存しながら、時に牙をむくような自然界にも驚きつつ、また癒される時もあり、この風土に暮らしが成り立っているのだと思われるのです。

 先日桜島の近くに住む友人に噴火の様子を聞きましたが、もう慣れているのか、「大丈夫よ」とのんびりした声が伝わって来ました。

 さて、そろそろ夏の着物も手入れをしてしまう頃ともなり、単衣を出す準備もしなくてはなりません。
 この間までのあの猛暑はなんだったのだろうと思いながら、夏の着物の始末もしております。確実に進む季節に暮らしにもめりはりがつくのはいいものです。
 着物の手入れも大切ですが体のメンテナンスも大事なので、8月の最後の1週間はその時間に充てて涼やかな、そして凛とした気持ちで夏の疲れをぬぐい9月を迎えるように心がけるように致しましょう。



2015年8月2日日曜日

灼熱の太陽の下で



 いよいよ8月に入りました。今月初旬は着物を着る事はなさそうですが月末には着る日もあるのでので、そのころになれば少しは気温も落ち着いているでしょうか。


さすがに36度を超えると体温以上になるので、着物で出かけるのも少々辛くなりますがクーラーのない時代には今ほど夏の気温も高くなかった気がします。
熱帯夜という言葉もなく打ち水をすれば涼風が来たようでした。



夏場に最も気楽なのは浴衣でしょう。今年は浴衣の若者が増えた気がしますがこのまま秋冬にも興味を持って着物を着てくれればありがたいと思うのですがどんなものでしょうか。

 そして8月になったとたんに報道や新聞の紙面などには終戦の記事や先の戦争についての様々な関連記事でいっぱいですが、今日も大きな日本地図に日本中で空襲を受けた地域と戦災で亡くなられた方の人数が記されているのを見ました。何てことだったのだろうとため息が出ました。

 戦後70年も過ぎ敗戦から復興に至るまでの戦後の歩みが色々言われますが、その年月はまさに私がこの世に生を受けたときからの記録と同じです。
 赤ん坊だった私は記憶には何もないのですが東京への爆撃が多くなった終戦のころには防空壕に抱えられたままでリレーで入れられたことは母に何度も聞かされました。

 父は長いこと戦争に行き帰ってきた時は、全身に戦争でできた傷跡を受けていました。

両足は機関銃が貫通した弾痕があり、小さかった私は戦後冬になると父の足のうずく傷をマッサージしている母を見て、なにやら見てはならない物を見ている気がして襖の陰からじっと眺めていた記憶がありました。
 
 今にして思うと父に聞きたかった事が山ほどあるのですが父は外地での戦争の話は大きくなった私には一言も話してくれませんでした。
 青春を謳歌して自分のことばかりしか考えていなかった学生時代の自分に残念でたまりません。もっともっと父と話をしたかったです。
 40代後半で逝った父は写真を見ると年月を経るごとに若々しいのです。私との年齢の距離はどんどんと離れて行くのです。

 どこの家庭でも戦争で犠牲になった家族は日本中にいると思われます。まだまだ戦後なんて終わってはいないことを70年も過ぎた今でも痛感します。
 断片的な映像ではありますが戦後の景色は、いくつもいくつもまるで紙芝居のように少女だった私の脳裏に今でも蘇りそれらは私の少女時代の東京の原風景となっています。

 その後、私が着物の世界に携わってから50年以上も経つのですが、めまぐるしく変わってきた世相につれて変化し続けて来た着物の世界は私の生きてきた記録そのものと思う8月です。
 ただ確実に日本は年ごとに熱帯化しているのは事実ではありますから、夏の着物の在り方もすこしづう変わって行くのでしょう。
8月に入ると否が上にも戦争を思い出し,戦後の我々の在り方を思い,見返りたくなるのは毎年の事となっています。

2015年7月15日水曜日

再びの青いケシを見に



 7月の初旬、満を持しての花紀行として長野の山奥の大鹿村のずっと先にある青いケシの花を見に出かけました。
 2年前は遅すぎて見られず、昨年は栃木の水性植物園で終わりかけの青いケシを見たものの期待の60パーセントぐらいの満足度に終わり、今年こそはと、仲の良いお友達の企画で行きました。
まさに天空の農園といえるような高地に青いケシを栽培しているお仲間の元へ四駆でたどり着きました。

 電車でもバスでも行く事の出来ない、山また、山を車で上り、まだまだ先へと期待に胸を膨らませての道中は運転して下さった方へ感謝感謝の思いでした。
歩いても行けないこんな山奥に青いケシを栽培していられる農園があるなんて驚きでした。


そして期待通りの青いケシの畑を見たときは感激でした。
一面にケシ畑でその色の濃さは素晴らしく、咲く前は紫がかった蕾でも咲くと濃い青で想像していたスカイブルーでした。


夢中で写真を撮りましたが、これほど沢山の青いケシを見れて大満足でした。
 霧雨のなか、ケシの畑を歩き回り、他にも咲いている高山植物にも目を奪われ至福のひとときを山奥の中で味わいました。やはり海抜1500メートル以上でないとこの花は咲かないようです。

 かつて岩手の早池峰山でみた早池峰ウスユキソウと同じで、この時もこのエーデルワイス見たさに登山した時に感じた「高嶺の花」というのはこういうことを言うのだと実感したことを今回の青いケシでも感じました。
 簡単に見ることの出来ない高嶺の花は、あのときのハヤチネウスユキソウと青いケシで私の中では双璧の高嶺の花として君臨しています。

 簡単に見ることもできないし、お花屋さんでも買うことが出来ない花の気高さは言うに言われない存在感で心の奥に残ります。
 このたびはやっと間に合ったのですが、もしまた来る事が出来たら6月の終わり頃のがもっと良いそうです。一人で来ることは絶対に出来ません。
 本当に皆様の助けを借りて高嶺の花を見ることが出来て幸せでした。ハヤチネウスユキソウも青いケシも7月に見た花だったのでいつか、胸に暖めて時期が来たら胸の中から取りだして描いてみたいなと思うのですが、いつになるか、、、分かりませんが実際に見た経験は私にとっては貴重です。
 いくらでも写真や映像で見ることは出来る時代ですが向かい合わないと風に揺らぐ花たちと語ることは出来ません。


梅雨の最中でしたが素晴らしい夏の始まりでした。同行して下さった心優しいお友達たちに感謝感謝の花紀行でもありました。

2015年6月9日火曜日

梅雨を迎えて




5月末の1週間は浴衣展の毎日で、予想以上のお客様が見えられて毎晩遅くまで賑わい盛況の内に終えました。
その直後には恒例の「夏のあらた会」と「今昔の会」が昨日まであったので全ての夏前の会を終了したら、とたんに東京は梅雨入りになりました。
会期中はずっとお天気に恵まれていましたのがありがたかったです。

夏の着物は最近では呉服屋さんも、あまり熱心ではないのが現状なのですが、私たちは工房ですから四季折々には新作を作る使命が有ります。
毎年その年にあわせて創る作品はその年によってもテーマも少しづつ代わり作りたい生地もモチーフもまた微妙に変化し続けて一年間の季節の節目を越えつつもまた新しく創作に取り組めるのは嬉しいことです。

何年経っても、何回も同じ季節を迎えようと、その都度感じる気持ちは同じではないのが不思議ですがそれだから、やって行けるのだと思っています。
梅雨に入り雨に濡れる草や木は生き生きと緑が冴え、きれいですから6月は雨に濡れた木々や紫陽花をを楽しむ月です。
先日、大きな鉢を動かしたら、その下から大きなガマガエルが遅い冬眠から冷めたようにのそのそと這い出てきました。

「あら、起こしちゃってごめんね」と思わず言いましたが、じょうろの水をシャワーのようにかけて長い眠りから冷めた土を落としてやりましたが、迷惑だったかもしれません。そのうちどこかに行ってしまいましたが、紫陽花の下にでも潜ったかもしれません。
こんな都会でも気をつけて目を凝らせば季節の移ろいが感じられるものです。梅雨の間は少しのんびりと出来るかもしれませんので、これから夏に向かう季節の自然を楽しみ今年の秋への創作に向けて山のアトリエで充電したいと思っています。山紫陽花や、小紫陽花も山では咲き始めていることでしょう。

2015年4月28日火曜日

暮春に集う「瑠璃の会」


 4月も残り少なくなった25日、5ヶ月ぶりに着物で遊ぶ「瑠璃の会」が開催されました。
 お天気も落ち着いて春の終わりを告げる花々に迎えられ目白日立クラブで62名が集いました。

 昭和初期の面影を残すレトロな洋館で暮れゆく夕方の光が窓から差し込む中、まず、穏やかなクラリネットと、ピアノ、歌が流れて静かに宴が始まってゆきました。



 クラリネットの調べに乗せてソプラノというのは珍しいそうですがシューベルトの「岩上の羊飼い」の歌から始まり歌劇「清教徒」続いてショパンの「英雄ポロネーズ」と静かに厳粛に満ちた演奏が古い洋館に響き渡りました。

 第一部の演奏の後はお食事がスタートして待ちかねたように皆様の楽しいお喋りが弾けて和気藹々、久しぶりの再会に、またお洒落談義などなど、お食事も進むうち、デザートタイムとなりました。
 第二部となれば、ぐっとくだけた曲が次々と演奏されて歌、クラリネット、素敵なピアノも奏でられる中、最後にはテノールのハプニングまであり、素敵な時間はあっという間に過ぎて行きました。



 「瑠璃の会」は、毎回場所選びに心血を注ぐのですが、回を重ねるたびに会場と内容のハードルが高くなり、どうしたら皆様に喜んで頂けるかと考えていますが、参加して下さる方々の協力があってこそ成り立っていますので、事務局は素人ながらも昭和50年代から続いてきた瑠璃の会を、何とか力のある限り頑張っていこうといつも開催するたびに思いを新たにしています。

そして、そして何よりも私が嬉しく思うのはかつての工房の作品が見られることです。
50年あまりも着物を創り続けているので、長いおつきあいの方たちが「瑠璃の会」の度に昔に創った着物や帯を身に着けて出席して下さる事です。 再会したとたんに当時の制作した時の気持ちがすぐに思い出されて、まるでお嫁に行った娘に久しぶりに逢えた気分です。


着物を楽しみ、愛する方々が着物を着ましょう。というコンセプトの元だけにこれだけの方々が集まるのは他にはそうないのではと思っています。
 
次回また、機が熟したときに皆様にお誘いをかけようと思います。
 このような作り手と着手の場を作り出す時間と出会いを大切に考えて、昔の着物がタンスの中にひっそりとしまわれて泣いていることがないように大いにきものでお出かけの場を増やして下さい。

 おおげさかもしれませんが着物には日本人の精神が宿っているのですから、、、着物、音楽、美味しいお食事、楽しいお仲間と欲張りな一夜でした。着物バンザーイです。


2015年3月29日日曜日

弥生は人も花盛り



 3月も終わりを告げようとしています。今年は桜の開花も2、3日早めだそうで月末はお花見で各地が賑わっています。桜が咲くと人々は浮かれ気分となり親しい仲間とお花見に繰り出そうかと誘い合い春を迎えた喜びに誰もが心躍る思いです。
 

工房隣の公園の桜の古木は2本あり、100坪ほどの敷地ですから花が咲くと空いっぱいに広がり空は隙間からしか見えないほどです。

加えて工房の源平咲きの花桃も開花して可憐な赤やピンク、絞りと、ピンクから赤にかけてのグラデーションが作り物のようで、塀を見上げる人は同じ1本の木からですか?と必ず聞きます。
 家にいてもお花見が出来るのでこの時期はどこにも行かず2階から眺めたり玄関を出たり入ったりともっぱら近間で楽しんでいます。


 少し前になりますが、3月18日には、原宿にある浮世絵専門の美術館である太田記念美術館に蜻蛉倶楽部の呼びかけで集まりました。
 「江戸っ娘 kawaiiの系譜」という企画展で、江戸時代の女性たちはどの様にお洒落を楽しんでいたのか、浮世絵に表されている絵姿から学芸員さんの説明を受けました。


 江戸時代の着物は2枚重ねどころか3枚重ねで着ていたと見られる様です。
浮世絵にあるのは芸者さんや遊女、町娘がほとんどですが、髪型もたくさんあり化粧法も色々で、中には、お歯黒を唇に塗りその上から紅を落とすという独特な口紅の付け方もあったようで、興味深く当時のお化粧方などの説明を交えての話はうなずけるものばかりでした。
江戸っ娘の着物の柄や小物やお化粧も、当時の流行がふんだんに取り入れられており、季節感も大切にしながらも工夫したり個性や遊び心も発揮する粋な装いの数々は細かく説明を受けることで、小一時間のトークショー後の鑑賞も全く印象の違うものになりました。
お洒落をするには我慢もかかせないなど、今に通じることも沢山。
 浮世絵に登場する振り袖を着ている女性は10代半ばと知りました。とても貫禄も色気もあるように思います。


 当時は足袋をはく習慣はなかったのでしょうか、かなり着込んだ着物姿でも足下は素足に下駄という姿が多く足袋は贅沢だったのでしょうか。そして襟の具合が今とは違うので実際はどのように着ていたのかもっとよく知りたく思いました。
 原宿を闊歩する現代のギャルたちも昔の少女たちも本質はそう変わっていないのでしょう。
 よく最近言われる「カワイイ」の意味と言葉は今や世界にも通用しているようですが、江戸時代にタイスリップしても浮世絵に見られる十代の少女たちの美意識は現代と何らかわりはないという企画の浮世絵展でした。
 今まで何となく見ていた少女たちは、実はけっこううら若き乙女たちだったということにも気づかされたのでした。

 春爛漫の日々が当分続きそうです。花より団子、または桜餅や草餅など用意して桜を見上げて今年の春を謳歌致しましょう。

2015年3月4日水曜日

桜を待ちわびる



 弥生、3月ともなれば、三寒四温も始まります。雛の祭りも終えて沢山の種類の花々も咲き始めて次から次へと花の題材には事欠かないのでうれしいのですが、数ある中でもなんと言っても桜が主役でしょうか、すでに河津桜は見頃で少し暖かい地方では満開と思いますがソメイヨシノはこれからです。

 毎年桜が咲くとその年ごとに桜を眺める自分の想いと景色は微妙に違ってきます。桜は同じでも想いは色々で心も揺れ動きます。今年の桜は誰と見ようかしら、何年か前にはあの人と眺めたなーと思い出は人に連れてそれぞれです。
 でも、桜が日本を縦断して行くのにつれてあちこちで桜を追いかければ存分に楽しむことが出来ます。だいたい、各地に赴けば5月いっぱいまでは色々な桜が楽しめます。

 桜のイメージもまた数多く浮かび着物や帯には描かれている情景は尽きないほどあります。私は時間に連れて見方が変わる桜の情景をとらえようと思い、同じ一日の中での夜明けから夜までの桜をそれぞれに描いたりします。
 そして開花から散りゆく姿までもまた時間の経過と共に桜木に想いを馳せたりもします。開花の前には桜の黒い幹がどくどくと大地からの水を吸っている気がして幹に耳を当てたりしてしまいます。
 咲き始めから散るまでを追い目で確かめて葉桜になるまで見つめてしまいます。桜は特別に日本人の心の中に根付いている木だと想います。誰もが桜への想いを個々に心の中に持っている気がします。
私も生きている限り毎年桜を見続けて行くだろうと考えます。根方に立つとかつて一緒に桜を愛でた人々の姿が思い出と共に浮かんできます。

「桜は見ていると悲しくなるの」と言った亡き母は何を思いだしていたのか、わかりませんがそんな母をベンチに座らせて一緒に夜桜を見た事がありました。
 
また桜吹雪の中、桜の下で遊び回る子犬の濡れた黒い鼻に舞い散る花びらがぴったりくっついて大笑いしたのもまた懐かしく思い出します。その母も愛犬も遠いところにすでに逝ってしまいましたが今年は誰とお花見行脚をしましょうか。つきあって同行して下さる花見友達がまだまだいるのはありがたいことです。

2015年2月13日金曜日

白鳥に逢う



 偶然新聞で見つけた記事に白鳥が千羽以上も観られる水田が千葉にあり、今月の末には飛び立ってしまうという記事を見たのでそれっ見に行こうと、娘の家族を巻き込み急に出かけることにしました。
 たまたま、近々に孫が幼稚園の学芸会で『みにくいアヒルの子」を演じることを聞いていたのでまずは百聞は一見にしかずと、親ばか、ばばバカ、総勢5人で成田のホテルにお泊まりして翌朝早くに現地を訪れたのでした。

 最もそれが正当な理由ではありますが千羽もいる白鳥を観ることに大いに興味があったので、とても私一人では行けるはずもなく孫をダシにしてまさに一石二鳥と白鳥見学の旅は決行となり、おまけににイチゴ狩りまでしてきて短い旅でしたが充実した時が持てました。

 しかし白鳥、スワンという呼び名の方が素敵ですが、あの首のあたりのシルエットの優雅さは特別です。

 水田には薄く氷が張っていましたが寒くないのかと、最近やたらと厚い靴下をはく私は娘と白鳥に生まれなくて、良かったなんて俗っぽい話をしながらの見物でした。
 そして何故また北に向かうのだろうと、北帰行する鳥たちのことをアカデミックに語れずにいる勉強不足の件は、後日友人の鳥博士に聞くことにして、千羽もいる白鳥たちの絵になる景色と、時折、飛行訓練をしているのか4羽ほどの白鳥が我々の頭上を旋回してるのを眺めたり、いったいどれほどの距離を飛び続けるのか、途中休まないか等々考えれば不思議なことばかり、そして最後は渡り鳥に生まれなくてよかった。なんていう、つまらぬ結論につきるのでした。

 出水市のアネハ鶴、釧路のタンチョウ鶴みんな見てみたいものばかりです。アフリカのフラミンゴも見てみたいけれど動物園で我慢です。
 しかしコウモリは動物園で近くに見て結構満足して認識をあらたにしました。沢山の白鳥たちにリーダーはいるのでしょうか。一斉に飛びたつ時、出発だ、行くぞなんて言わなくても皆がわかるのでしょうか、想像を巡らせばわからない、不思議なことばかりでした。

 眺めている間中、耳には『白鳥の湖」の音楽が流れてあの有名なバレエシーンも目に浮かぶのでした。寒かったけれど、まず見られて満足の旅でした。動物も鳥も興味は尽きません。

2015年1月14日水曜日

成人式そして歌会初め


 新年になり半月があっという間に経ちました。12日は成人式で昨秋に工房で誂えて下さった新成人のお嬢様方がお天気に恵まれるようにと願っておりましたが、晴天でほっとしました。ご家族やご本人からのうれしいお声をいただきました。

 また14日の宮中での歌会初めの儀では私の歌の師である春日真紀子先生が今年は召人になられまして、当日のお召し物は私が手がけることとなり、この日のテレビ中継ではどのように映るかしらと心配しつつ見入っておりました。


 最前列に座られていても両陛下に向かい合っていますから正面からのカメラはありませんでしたが、存在感のある着物の地色ははっきりとわかりました。


 画面ではやや派手に見えますが実際の地色はもう少し渋くてこのたびは日本菫からイメージした新色で菫色と私は名付けています。
 裾には遠山に吉野の桜を描き下の方には花びらを散らして春らしい風情としました。
真横からカメラに写されると思っていましたのであえて下前の柄を高くしたのが見えてよかったと思いました。


 成人式と、この歌会初め儀の終わるまでは、100パーセントお正月気分にはなれなかったのですが大事な着物の行事が二つ終わり、心底ほっとしています。

 また、同日工房のスタッフの新年の食事会も終わりましてまた明日から心新たに春の新作の着物創りに励みたいと思っています。

 まだまだ創りたいテーマは次々と浮かびますので、どのように制作につなげていくか、今年も時間との競争でぼんやりしている暇はなさそうです。皆様今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 玄関に生けてあるお正月の水仙はまだまだ気高く香りを放っています。厳しい寒さにも負けない睦月の中で凛としている姿にあやかりたいものです。