2012年1月31日火曜日

寒冬

記録的な降雪の冬だそうです。連日積雪の記録が更新されているニュースが流れます。
豪雪地帯では雪下ろしのために何十人もの方が犠牲になっていると伝えます。
平成18年以来の積雪が北国の人たちを苦しめている映像を目にすると、私みたいに寒がりやの人間はとても北国には住めそうもありません。
映像を眺める度に雪と闘っている人たちに感心してしまうのです。
高齢者には死活問題で医者にも行けず家から一歩も出られずにいる姿には、雪のない東京の生活からは想像も出来ない苦労があるので、早くこの寒波が去って春の兆しが訪れることを祈りたい気持ちになります。
節分を過ぎれば例年並みの気温になるらしいのですが、まだまだ厳しい寒さが続くそうです。

 そうした中にも夜明けは毎朝ほんの少しづつですが早くなって来るのが分かるようになりましたし、日没も遅くなってきたのはわかります。春夏秋冬がはっきりしているこの国だからこそ
様々な文化も生まれて来たのだと、季節の変わり目には特に実感するのです。

まず、梅の咲くのが待ち遠しいのですが青梅の吉野梅林は今、深刻だと聞いています。ウイルスに冒されて、何百本もの梅の木をこの春が終わると切り倒さなければいけない事態になっているそうです。どうしてそのようになったのか、詳しい事はわかりませんが、これ以上に伐採が続くと吉野梅林も景観が保てなくなると関係者や地元では困っていると聞きました。
 人間だけではなくウイルスは植物にも伝染して行くことに驚きます。

昨日学校帰りの子供たちがお母さんに「学級閉鎖になったの」と言いながらの下校風景に遭いましたがインフルエンザも流行っているのは空気が乾燥しているせいなのか、私も気を付けなければと身を固くする思いで、通りすがりに半ばうれしそうな子供たちの声を聴いたのでした。

 今年は特に寒さが厳しいせいか、暖冬といわれる言葉の反対にあたる寒冬という言い方さえ発生しているとのこと、聞き慣れない言葉ですが、暖冬という語彙があるなら確かに寒冬という言葉もあって良いと納得します。
暖かいスープや食事がやたらと食したくなる毎日です。実だくさんの豚汁でも沢山作ってみようかと、身も心もポカポカと暖めてこの寒冬といわれる季節を乗り越えて。もうしばらく風邪を引かないように気を張って過ごそうと自分に言い聞かせるのでした。

2012年1月26日木曜日

新春初歌舞伎を観る



 寒さが厳しい日が続いていますが、例年のようにとにかく新春に歌舞伎を観ないと新年が来た感じがしないので演舞場まで先日出掛けて参りました。
夜の部では、[めぐみの喧嘩を]久しぶりに観て勢いの良い舞台に、江戸言葉の飛び交う賑やかな雰囲気に寒くて縮こまっていた私の気分も吹き飛び元気をもらえました。

 そしてお正月らしい連獅子は吉右衛門の親獅子に鷹之資君の子獅子には感じ入りました。富十郎の長男である鷹之資を引き立てるように踊る吉右衛門の姿には、遺児となった鷹之資を盛り立てていこうという歌舞伎界の強い思いが伝わってきました。きっと立派な役者に成長することでしょう。将来が楽しみでした。
伝統芸能である歌舞伎を守っていく人たちや若い世代がいる限り役者たちの血脈に受け継がれて行くと思うと心強く感じられます。
何回観ても連獅子は華やかでよいものです。すっかりお正月らしい気分にさせてくれます。

 先日の雪がまだ横道の陽のあたらないところに残っています。天気予報によれば、まだまだ寒さが厳しくて2月3月も平均気温が低くてなかなか春にはなりそうもないとのことです。日本海側や北陸、東北も例年にない大雪で一晩に1メートルも積もる等は、東京では考えられないことで、一寸の雪でも滑ったり転んだりしているのは雪国からみたらおかしいに違いありません。

隣の公園では水道が凍っていたのに気が付き、ずいぶんと久しぶりに水道が凍るのに驚きましたが、我々の子供の頃にはそんなことは良くあった記憶があります。当時はアスファルトも少なかったので学校の行きには霜柱をざくざくと踏みながら学校に出掛け、帰りには溶けた霜柱がぬかるんで長靴がどろどろになってしまったのでした。

 大人になると雪はちっともうれしくなくなるのは悲しい事で、都会では良い事は一つもなく、雪が降り出すと明くる日のことをついつい考えて気が滅入るのは大人になってしまったと言う証なのでしょう。
しかしながら雪が降るのは美しい光景です。暮らしと関係なければ良いのですが残念ながらそうは行かないのが現実です。
春になるまでにまだ1回ぐらいは雪に見舞われそうですが我慢の冬があって春が待ち遠しいと言うことなのでしょう。

 改装も進み2月中旬には工房も竣工と成りそうでが、新装となった和室におひな様を飾れるかと思うと心の中がぽっと灯がともったような思いになります。早く菜の花や桃を飾りたいと待ち遠しいです。
その前に節分があるので今年は年男にがんばってもらい福の神を呼び込めるように豆まきをやることにしましょう。

2012年1月16日月曜日

浅草歌舞伎から


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5日はただの日曜日だったのに昔からの習慣でつい成人式イコール15日と思う癖が何年経っても抜けなくて困ります。
この日は今年初めての歌舞伎見物でまずは浅草歌舞伎からです。朝だったにもかかわらず浅草は大変な人出でした。まだお正月気分が少し残っているようです。
面白くも荒唐無稽な演目である南総里見八犬伝と廓文章の両演目を楽しみました。
前にも思ったのですが浅草公会堂は大分古びて来た気がします。足下がすーすーと冷えますしトイレも古いのでこれから先もう少し改善したらいいのにと今回も思いました。
お正月らしい若手の公演で理屈抜きに楽しませてくれます。曲亭馬琴も面白い芝居を書いたものです。

 お目当ての亀治郎も八犬伝ではまったく違った役柄の二役を演じて好演です.今回が襲名前の浅草での最後となる舞台だそうですから、六月の猿之助襲名も又楽しみです。
廓文章では人気の愛之助さんもじっくりと見せてもらいました。
かつての玉三郎と仁左衛門とのコンビの廓文章もはっきりと脳裏に焼き付いています。
色々な役者さんの舞台も思い出しながらお正月らしい演目に浸ることが出来ました。

帰路は浅草仲店をぶらぶらしながら人混みを縫いまだ明るい内に帰って来られました。
場内で買った人形焼きと熱いお茶をすすりながら、ゆっくりと1月半ばの夜を過ごしました。すでに今年は半月も経ちましたが早く暖かくならないかと今年は特に思いました。
また18日は演舞場で歌舞伎です。
 そして今朝は勘九郎の襲名公演の2月のチケットがどさっと届きました。
2月は梅の帯を締めようかなと考えてその頃には改築も終わり箪笥が自由に引き出せるだろうと予定していますから着物は何にしようかと何となく考えました。
春めいてお目出度い着物はと、あれこれ思いを巡らしました。
まだまだ朝夕の冷えは厳しくて辛いですが春の女神はどの辺りで足踏みをしているのでしょうか。来週には梅のつぼみがどうなっているか近くの梅の公園に出掛けてみましょう。

2012年1月9日月曜日

早春の兆し


 年が明けて比較的穏やかな天気が続いてはいますが、まだまだ厳しい寒さの2月を控えていますからじっとこの寒さを乗り切って行かなくてはなりません。
 日中の陽の当たる短い時間帯の間になるべく用事を片付けて出歩こうと思いますので急ぎ足で歩きます。今は花の咲かない季節なので、家々の塀にも玄関先にも綺麗な花は見られませんが冬を彩るピラカンサの木の実がびっしりと実をつけています。
これでもかこれでもかというように溢れるほどの朱色の実はたわわに木の幹さえ覆うようにみえます。
 あまり餌がない頃なのか何羽もの鳩が群がって赤い実を啄んでいます。
私の足音に驚きバタバタと飛び立つと地面には啄んだピラカンサの実が沢山に散っています。
どんな味なのだろう、甘くて美味しいのかしら、きっとご馳走なのだろうと思えます。赤い実は遠くからでもよく目立つので鳩も群がっているのでしょうし、ピラカンサもその存在を思い切り鳥たちに知らせているようです。
街中でも住宅街でも冬に唯一目立つ木です。花の代わりにこの季節に彩りを添えています。

 ふっと沈丁花の垣根に目をやるとまだ小さいですがすでに固い臙脂色の蕾が見えたので少し嬉しくなりました。
沈丁花は2月の花というイメージが私にはあるので、もう春がやって来るのだなという予感が急にして来ました。
すこしづつ春がやって来るにつれて固い蕾が大きくなり、やがて2月の暖かな日にすこしづつ開き始めて2月の終わり頃にはかすかに香りが立ち春の到来を告げる花です。
低木で地味な花ではありますが春の使いとして最も早く咲く沈丁花は大好きな花です。
今朝は沈丁花の蕾を発見したことで寒さも気にならなくなり浮き浮きした気分にもなったのです。
 何年か前に木戸の側に植えられていた沈丁花がある年に枯れてしまってがっかりしましたが、植木屋さんに聞くと沈丁花には寿命があると言うことでした。
 平成11年に亡くなった母の通夜に丁度2月半ばでしたが、夜の闇の中で香りが立ち、その香りが悲しくてたまらなかったことを思い出します。ですから悲しさと春を告げる香りがない交ぜになって今でも複雑な気持ちになるのです。その後何年か経って木は枯れたのです。
現在は改築中なので出来上がったらまた沈丁花の木をどこかに植栽しようと考えます。
春の兆しを教えてくれるこの木はまた、希望に満ちた春の先達であり、私にとりましても力漲る春への道先案内の木でもあるのですから。

2012年1月2日月曜日

辰年に願う


皆様新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
年も明けて平成24年になってしまいました。ついこの間平成の時代が訪れたような気がしますが、早くも24年目に入ったのか思うと、いったい平成の時代は何があったのだろうと思わずにはいられません。余りにもめまぐるしくて、どう頭を整理してよいかと思うほどです。
 今年は辰年ですから気運が上昇して行くような気分にもさせてくれますが、昇り龍のように天に向かい気運が高まり世の中も自分も龍にあやかり上昇気流に乗りたく思います。
我が家には辰年の母がかつて居て、辰年の家族も加えて2匹の龍がいましたから、母が「仕事をするにはとても良い干支なのよ」と私を励ましてくれたことを覚えています。
辰年の母は天にすでに昇ってしまいましたが、今でも空から我々を見守っていてくれるかなと期待しています。

今年はまた元旦から大きく揺れた地震が発生して再び驚きましたが、まだまだ地震は収まらないぞと言う警告にも思えて身が引き締まりました。
どんな1年になるか想定外のこともありうると考えると、かつてない不安感もぬぐい去ることは出来ませんがこんな気持ちで新年を迎えた事は、今までありませんでした。

 今、自分に出来る事は何なのか、今年はどのように暮らして行けば良いかと思うに、いくら考えても良い答えは生まれません。詰まるところ、一生懸命今まで以上に自分の仕事に誠心誠意取り組むと言うことしか思い浮かばないのです。平凡ですが自分と家族の健康を願い、穏やかに平和に生活して行くこと、多くの友人たちとの交流を今年も深めて楽しい思い出をいっぱい作ること等々、これぐらいしか答えは出ませんが、これらの願いが私には 最も大事な事なのでしょう。

 今年のお正月は仮住まいのため、お雑煮を食べるぐらいしか祝えなかったのですが、私に取っての本当の春は2月になるのでしょうか。リニューアルした我が家の完成を見てからでしょう。
そして桜のつぼみがほころび始める頃には落ち着いた暮らしが取りもどせることを期待して今しばらく冬眠中にしています。
そして今月中頃からはあちこちの芝居に行くことを計画していますから松が明けてからそろそろ冬眠から目覚めようと思っています。
そしてお年賀状を沢山頂きました。これほどお付き合いがあるのは嬉しいです。
今年はオリンピックイヤーだそうですが五つの輪どころか、チェーンのようにいくつもいくつも輪が繋がって、今年になって増えた輪もあり私にとりましては財産と思えます。
 寝正月のような今年ですが、年賀状を読んでは今年の自分の在り方を鼓舞しております。
東京のお正月は静かです。山茶花もそろそろ散り始めて門や玄関先に植えられた葉牡丹が目立っています。
それぞれの家の門松を眺めながら来年こそはちゃんと飾らなければと心に誓いました。