2011年9月26日月曜日

秋雨と彼岸花


 台風が去り一時は秋晴れの良い天気でしたが、また崩れ始めて今はしとしとと秋の雨が降り続いています。
布団の数も一枚増えて夜の外出には上着も必要になりました。
9月のはじめと終わりはお彼岸を挟むと、こうも気温が違うものかと9月の着物選びに変化があり、うれしいような気忙しいような月であります。



 工事中のため、庭をゆっくりと眺めることもなく,何となく手入れも怠っていますが,2、3日前にふっと気付くと赤い彼岸花が咲いていました。
昨年は咲かなかったので、とうとう消えてしまったかと思っていましたから、少し嬉しくなりました。

 サルスベリが終わり、何も花が咲かない時期ですから赤い花の色は目に鮮やかです。
いつも彼岸に咲くことが決まっている不思議な花、曼珠沙華は歌にも歌われていますが9月を代表する花でしょう。どこかで見た色に似ているなと考えていたら、山のアトリエの近くの別荘の庭に咲いていた赤いサルビアと全く同じ色でした。
 このサルビアの花畑もとても綺麗で秋の青空に映えていたのを思い出します。9月の赤と呼ぶのに相応しい気がします。
それは乾いた赤で緋色というのか、他の花の赤とも少し違って見えます。湿り気のない赤色という感じです。

 子供の頃は彼岸花はあまりにきれいな花なので抱えきれないほど摘んだ思い出がありますが、でもすぐにしおれてしまって泣きたくなりました。あの時代には東京も少し郊外に行けば田んぼのあぜ道にどこまでも彼岸花が連なって咲いていたのです。
 田んぼのあぜ道の向こうには美味しい鰻と川魚のひなびたお料理屋さんがあって、いつも父が連れて行ってくれましたので食欲の秋の頃の鰻と彼岸花がセットになって子供だった私の脳裏に今でも刻まれています。

 ガレージの上の少しだけ盛り土してある片隅に咲いた彼岸花に郷愁を感じる秋の始まりです。
そして赤いサルビアも亡き母の大好きな花でありました。秋雨の音が静かに聞こえて来ます。彼岸花を見ていたら今日はちょっとだけセンチな気分になりました。雨のせいでしょうか、ふっと父の祥月命日が近づいていることに気が付いたのでした。

2011年9月19日月曜日

九月の匂い


 雨が時折降ったり、風が吹いたり不安定な天気が続き、台風も次々と発生しているせいか、天気が定まらない中、今日までの連休を八ヶ岳で過ごしていました。気の置けない親友が同行してくれて、他愛のないおしゃべりや学生時代のエピソード、そしてもう二人にとってとっくの昔にあちらの世界に旅立った両親たちの思い出や,いかに幸せな少女時代を送ってきたか等々,話は尽きませんでした。
 少女時代からの親友ははお互いの家庭のことも知っているので懐かしく夜の更けるまで話し込んでいました。良い休日になりました。

 朝夕には雨が止むのを待って1時間ずつの散歩に山の中を犬たちと出掛けます。
霧雨の煙る中や突然晴れて天気雨のようになる空の下をトコトコと滑らないように歩きます。木々から垂れる滴はパラパラと音を立てて,私の顔に降りかかります。ぱっと日が差すと草むらは急に草いきれの匂いが満ちて湿り気のある草木からは匂いを放ちます。
これから実の付く前の花の匂いも立ち、香りが満ちて来ます。少し蒸されたような草木の生気があたり一面に漂います。
瞬間、あ、これが9月の山の匂いだなと感じます。本格的な秋の乾いた空気とは違い、湿った匂いのする9月の匂いだと感じるのです。
野菊、トラノオ、アキノキリンソウ、ツリブネソウがススキの間に交じり彩りを添えています。

そんな降ったり晴れたりする天気の中を、ひたすら一人と二匹は気の向くままに歩き続けます。
この間見つけた森の珈琲屋さんで一休みしてみました。美味しい珈琲を時間を掛けて煎れてくれます。
デッキのところで犬を休ませて飲む珈琲は香り高く,目の前の林にまで香りが流れて行くようです。九月の風も感じるのはこのときだけと思わず目をつむり、風の音の中に9月の木々が放つ匂いの中に身を浸します。 

 紅葉が始まる前、夏が遠ざかっていった山々の景色はまだ青々としていますが、秋を迎える準備は着々と,密やかに始まっていると思わせます。9月は夏と秋の狭間に立っていて短期間ですが、貴重な月なのです。ノイバラに実がつき始めていましたがまだ赤く色づいてはいません。ペンションの垣根に沿って咲く秋の薔薇も9月の今が盛りでした。

2011年9月14日水曜日

八ヶ岳アトリエへ仮移転のお知らせ

 工房スタッフのそめとらよりお知らせです。

 残暑厳しい9月の後半ですが、皆様にはお元気で秋を迎えられることとご推察申し上げます。

 さて、工房ブログ内でも何回かお知らせしておりますが、かねてより、あらた工房ではリニューアルの為の改装工事を進めております。

 今回は耐震工事も含め工期が大幅に遅れており、予定しておりました2011年度の秋冬の新作展示会の予定も立てられないのが現状です。





 つきましては、現在、東京のあらた工房の活動拠点を、山梨県北杜市にある八ヶ岳アトリエに一時的に移転することになりました。
 期間限定の仮移転ですが、工房の作品群を、八ヶ岳アトリエ内にてお客様にもご覧頂けるようにそろえてあります。

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八ヶ岳アトリエへの仮移転期間

日時 2011年 9月23日(日)〜12月4日(日)


住所 山梨県北杜市大泉町西井
出8240-3890


交通アクセス

●最寄り駅 JR小海線(八ヶ岳高原線)甲斐大泉駅より車にて3分
(駅までお迎えに上がります)

●中央自動車道 長坂ICより車で18分

 アクセスは車、高速バス、電車とありますが、お出かけの際には
詳しくご説明させて頂きます。東京より約2時間半ほどの距離です。






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 八ヶ岳アトリエは南アルプスを臨む位置にございます。美味しい水や空気、野鳥のさえずり。そして景色がお迎え致します。
 少々、遠方ではございますが、これからの季節、八ヶ岳山麓は美しい紅葉で秋色に輝きます。ぜひお遊びがてら八ヶ岳アトリエにもお越し下さい。
 お越しになられる日は必ずご予約下さい。しばらくの間ご不便をおかけ致しますがどうぞよろしくお願い申し上げます。

工房へのご予約はこちら
http://www.arata.jp/reservation/index.html


地図1


地図2



2011年9月12日月曜日

ススキなびく原で


 九月も半ば近くなりましたが高気圧のせいでしょうか、,昼間は結構日差しも強く一生懸命歩くと汗ばむほどです。
しかし日の落ちるのは急速に早くなってもう6時頃から散歩に出ると7時にはかなり暗くなってしまいます。
夜明けも遅くなり朝5時をかなり廻らないと朝日が昇ってきません。

細く赤みがかったススキの穂も今では穂がすっかり開いてふさふさとして秋の風になびいています。
山のアトリエの前には私の背よりずっと高く2メートルもあろうかと思うススキが生い茂り、その根本にはやはり大きく背の伸びた薊が多く咲き、またところどころに山の萩の株が垂れて濃い赤紫の花をふるわせあたりに花弁をこぼしています。

 もう少し経ち秋深くなれば色々な木の実が目に付く事でしょう。まだ紅葉までは間があるので秋の月でも眺めて待ちましょうか。

 この8月からは工事のために全てのテレビが外されて以来、全くテレビのない生活になってしまいました。
最初はなんだか物足りなくておかしかったのですが最近はもうテレビのない生活にも慣れてしまいました。無ければ無いで過ごせるのですが、今までのテレビに取られていた時間の多さは何だったのだろうと考えます。
 テレビは時計代わりで結構くだらない番組も批判しながらも見ていたりしていた時間が今更もったいない気がします。
加えて最近のニュースの報道に対する信憑性やらが問われていたりすると真剣に見ているのもばからしく思えても来ます。ニュースは事実を知るだけで充分であろうかと思います。

 この夏は不便な暮らしを強いられていますがそうなると今まで見えなかった物も見えたり聴き過ごしていた音も聞こえてくるから不思議です。
便利すぎる暮らしの中で安穏と過ごして来た日々は、音にも溢れていて、テレビは勿論のこと音楽に浸り、絶えず音のする世界に取り巻かれていた気がします。
 テレビを見ない日が続くと今まで音楽をBGMとして流していたことも忘れて静寂の中で食事をしたりする事がかえって落ち着くような気持ちにさせられて、こんなに静かな刻の流れがあることを認識するのです。
今年は夏から秋にかけて聞く音に敏感になりました、夏の盛りの蝉の声、花火の音、虫の鳴き声と季節に移ろいながら様々な音が耳に入ります。

 こうやって考えると日頃は音の渦の中で気にもせずに暮らしてきた事がよく分かります。
ススキが秋の風になびいて擦れ合いながら音を立てます。風が強く吹けば落葉松が大きく揺れてざわざわと風が通り抜けていく音を立てます。
自然界の音は全く予期もしない中で様々な音を突然に聞かせてくれます。今まで気にもしなかった音に敏感になります。
鳥の鳴き声、木の葉の落ちる音も全部自分から発したわけではないのは当たり前なのですが、これらの予期せぬ偶然の音は心に響いてきます。
 秋という季節が奏でる音を拾い集めて今年は楽しもうと思います。今度は山栗の落ちる音も山道で聞こえるかもしれません。雨の音、滝の音、川の音も皆個性的です。そして音にも色がそれぞれありイメージ出来て来るのです。

2011年9月5日月曜日

オオコウモリに会いに


 降ったり止んだりの台風の影響が残る日曜日、朝、上野動物園が開くのを待ちかねてオオコウモリに会いに行きました。
もう2,3年前からコウモリが気になっていた矢先に今年、来年は国際コウモリ年と言うことで上野の動物園でコウモリの特別展があるのを知ってこれは是非見に行かなくてはといつものように勇んで出掛けたのです。

 何故コウモリといわれても自分にも分からないのです。もしかしたら怖い物見たさとか吸血鬼の映画に出てきてドラキュラ伯爵がコウモリに姿を変えるのを観たから、、、それから洞窟に潜んで沢山のコウモリがぶら下がっている映像を見ていたからかよく分からないのですが、ずっと昔から気になる動物ではありました。
ここ最近はハロウィンのグッズや西洋でコウモリのお祭りがある様子なども見て、ますます興味が湧いてきて、私の世界にもコウモリを題材とした作品が出来ないか、挑戦してみようと、とつおいつ考える日々がありました。どんな形どんな技法で表現したら面白いか等と昨年からは背景になる素材を見つけて、背景のみ染めても見ました。

さて肝心のコウモリの姿ですが、なかなか私の中で固まって来ません。怖さを避けるあまりに漫画チックになってもいけません。なかなか決まらないのは間近で見てないから後ろ姿か良いだろうか、前からかなどと迷うからなのです。
 今回出掛けた特別展は「コウモリ展ー吸血鬼なんかじゃないもん」というタイトルで面白かったのですが、展示室そのものは本やビデオがあったりするだけで本物がいないので一寸がっかりでしたが係のボランティアの方が一生懸命来場者に向かって「コウモリは「明治までは愛されていたのに西洋から伝説や悪魔の使いみたいに言われたので不気味なイメージが定着したんです」と何回も語りかけている姿にそういう私もその考えに毒されていたのだろうなと同意せざるを得ませんでした。

 本物は小獣館に行けば見られますよの言葉を聞いて早速見に行きました。建物の出口の近くにオオコウモリがいました。
私もこれほど近くに見たのははじめてで興味津々で間近でガラス越しにかなり長い間観察しました。
木の枝にぶら下がり絶えず羽を開いたり閉じたりして前向きになっていたのですが最も私のイメージが勝手に先行していたなと思ったのはその体でした。

私はコウモリは体がネズミのようで、それに羽がついていると勝手にイメージしていたのは大きな間違いでした。体は見たくないと思っていたのに正面から見ることになったのでよく分かりました。
体はふさふさと深い茶色と白っぽい毛に覆われていてネズミのようではありませんでむしろ可愛くさえ思えました。顔は小さく何かに似ているなと思ったら我が家の甲斐犬龍馬に似ていました。同じ黒い顔ですが、ずっとずっと顔を小さくして龍馬が牙と歯を出したような顔でした。けっして気持ち悪い体ではなくて顔はネズミには似ておらず小動物という感じでふさふさの体はむしろモルモットのようでもあり、その舌で絶えず自分の羽を手入れしていました。まさか我が家の犬にも少し似ていたなんて驚きでしたが離れる頃には親近感さえ覚えて,勝手にネズミに羽がなんて思っていた私の単純なイメージは見事に覆されました。

 係の方に「あんなに薄い皮膜の羽で破れないのですか」と聞くと「それが破れないんですよ、絶えずメンテナンスしているんですから」との答えです。薄い皮膜には血管のような筋も見えて手がその先に付いていて足は木の枝をがっちりと掴みぶら下がっています。赤ちゃんのコウモリはその背中で休んでいます。
 本当に面白い生態です。飽きずに見ている内に全く不気味だの不吉っぽいだののイメージは吹き飛びました。見に行って良かったです。
何か私の中でこだわっていたもやもやが飛んでしまって素直にコウモリを図柄にして、かつての日本の装束にあるような粋な雰囲気の形にと考えられそうな気がしてきました。 
 
これから取り組んで行こうと思います。そうです明治時代前に日本人が表していたコウモリの世界に戻ってみます。
私の子供時代には夕方になると東京でもコウモリが飛んでいたのを思い出しました。
 このように自分の眼で確かめること、真実を見ることの大切さを今回のコウモリ展でつくずく思ったのでした。迷ったら原点に立ち返るというのは自分の為にあるようです。

まだまだ気になる動物や鳥は一杯います。またこんなに良い教室が上野にあるから遊びに来ようと思いました。
この日は小さな子供たちでパンダ館は混雑していましたが全く目もくれずに帰宅しました。楽しい日曜日でした。