2016年3月29日火曜日

花桃、桜、弥生の空は


この間まで寒かったのに弥生の月も終わる頃となり春爛漫の景色が巡って来ました。
工房隣の公園では桜は満開で空の色も見えないほどに対角線上に植えられた桜が互いの枝を伸ばして重なり合って、小さな公園は仰ぎ見れば桜でいっぱいです。



 時を同じくして我が工房も塀に垂れる花桃が紅白の花をまるで舞台の作り物のように見せて、道行く人を楽しませている様です。
 工房の自慢の源平垂れ桃です。そしてガレージの隅の空き地では草の王が黄色い花をあちこちで咲かせはじめました。

 そして落下する椿で一面に紅く小さな庭は覆われます。
 塀に面しているところでは落ちる椿は上を向いたり下向きになったりとしますが落ちた瞬間から半日くらいの間は、すぐにかたづける気にはなれません。

とうていゴミとも思えなくて花びらが茶色くなってから掃除します。
作為なく落ちている花の構図ははそれなりに絵にもなります。殺風景なアスファルト上でも美しく見えます。

 東京に桜が咲きはじめれば、いよいよこの地を皮切りに私の桜行脚もスタートです。
ソメイヨシノもカワズザクラも山桜も富士桜も垂れ桜も八重桜もみんなみんなどれもそれぞれの趣があり、また1本桜も桜並木も風情がありますし、桜を巡る楽しみはゴールデンウイークまで北へ北へと向かえば長く楽しめます。

 今年も桜を愛でることが出来たと思うのは元気で生きていることを謳歌する証でもあります。華やかさと儚さ、哀しさをも時には感じさせるのが桜なのでしょう。

 私も着物を創る中で、どれほど桜を題材に作ったかは帯も含めてみれば数えきれませんが毎年、毎年桜の表情が違ったように見えるのでこの先もまだまだきりがなく表現出来る気もして飽きないのが不思議です。それはきっと毎年桜を見る自分自身が変化しているのかとも思うのです。
 桜の木も寿命があるそうです。戦後焼け野原だった東京に植えた桜が今が一番よい時期を迎えて大きく逞しくなり東京の中でも名所があちらこちらにあります。私の小さかった頃は今ほど桜は立派ではなかった気がします。
 私も桜の木と一緒にこの東京で育ち大人になり今が最も良い時期を迎えているのかと考えたりします。
桜をいっしょに眺める人は毎年違います。もちろん毎年一緒に眺める人もいますが、もう2度といっしょに眺められなくなった人もいるのです。桜を観る度に色々な想いが交錯します。でも今のところは今年も桜も花桃も同時に眺められて幸せに思っています。