2011年5月30日月曜日

薔薇の家


 5月は最後に雨台風にたたられて終わるようです。3日も雨が降り続くと、なんだかすっかり暗い気分になってしまいます。梅雨入りも例年より早く始まり、台風とダブルで雨が降るのには今からうんざりしてしまい、これからの長い梅雨の日々が思いやられます。この雨で被災地にまた災害が無いことを祈ります。

 ごく近所に薔薇で覆われた家があります。垣根の薔薇は、そのまま2階に伸びて家全体を包むように、まるで薔薇の家と呼びたくなるような風情です。当然、家の前を歩くと薔薇の香りが辺り一面に漂い、幸せな気分になります。よほど薔薇のお好きな家なのでしょう。年ごとに薔薇は見事になって、主に白薔薇ですが、淡いピンクやクリーム色もあり、強い色の薔薇は全くないのが淡いパステル画を見るようで美しく思えます。
 薔薇は5月の散歩の楽しみとして、私の中に定着しています。でもこのところの雨で、すでにほとんどが散ってしまったかしら、と少し残念な気がします。垣根に咲く薔薇は花屋さんにある薔薇とは全く雰囲気が違い、柔らかな良さがあります。薔薇の手入れはとても大変と聞いていますから、せいぜいよそ様のお庭で楽しませてもらうことにしています。近所では何軒か、私のお気に入りの薔薇の家があります。勝手にチェックさせてもらっています。


 やはり薔薇は5月が良いのでしょうか。秋の薔薇は少し小ぶりと聞いたことがあります。いつか薔薇が咲く庭園で、音楽会が開けたら良いなと私の中でイメージが広がります。薔薇咲く庭園を見ながら、弦楽四重奏を聴くとか、甘い歌曲を聴いてみたいとか、夢は広がります。薔薇は最もロマンチックで優雅な花ですから、薔薇好きな方たちの気持ちもよくわかります。
 メイストームの来る前に今年は薔薇を堪能出来てうれしく思いました。無残に散った薔薇は余り見たくありません。これからは雨に強くて雨の中にも色が冴える紫陽花を愛でて、梅雨の間も過ごしてゆくつもりです。こちらの方も見頃な紫陽花の咲く家を何カ所か覚えていますから確認しながら歩いてみましょう。

 最近はとてもお洒落な長靴があると聞きましたので、雨降りでも憂鬱にならないような綺麗で楽しい長靴でも新調してみようかと考えています。梅雨を迎える心の準備を前向きに、と思えば嫌いな雨の日だって元気良く外に出掛けられる事でしょう。

2011年5月24日火曜日

五月の雨


 先週の金曜日より23日の月曜まで山行きとなっていました。もちろん犬たちも連れての事です。土曜日には山荘でプライベートコンサートを行いました。緑の山々はいよいよ濃さを増して来ていました。今回はキブシの木の白い花がいたるところで見られて、その花の房が美しく高い木いっぱいに咲き競っていました。
 ジャーマンアイリスも道の端や田の畦に見られ、大ぶりな紫や黄色の花が目立っています。芝桜も色濃く、農家の庭先で地に這うように広がっています。
 滞在中、激しい雨が降る時も有り、雨が上がると木々や草花がまた勢いを増して緑が濃くなります。ここのところ度々山のアトリエに行くのですが、わずか3日しか経っていないだけなのに景色が変わります。5月という季節は自然の景色も大変な勢いで進んで行きます。草木の様子はまるでコマ落としの映画を見ているような気分になります。自然界のドキュメントの映像のようでもあります。

 山道を散歩していると色々な種類の菫を見つけました。珍しい色合いの菫があったので庭に移植しようと思い、いくつか掘り起こしてみました。菫だけの本を持っているので、これからゆっくりと名前を探してみます。菫は種がこぼれて増えてゆくので、また私のコレクションが広がるのを期待します。
 日当たりの良い場所にワラビが出始めたので採りました。早速あく抜きをしてさらします。明日の朝食が楽しみです。リスが落葉松の林の中で遊んでいるのを見ながらの静かな朝食は、贅沢な時間の流れを感じ、どんなものにも代え難い大事な時だとも思えます。足下近くに寝そべっている二匹の犬も安心しきっています。
 ベランダから見下ろすと、山シャクヤクの白い蕾が3つも見えました。今度来たときにはもう散ってしまっているでしょうか。咲く時を見てみたいものですが自然は私を待っていてはくれないでしょう。
 雨が降ったり止んだりの日々を過ごして来ました。

2011年5月16日月曜日

再び雉に出会う


 雲一つない真っ青な空の下、前方に八ヶ岳連峰を見つつ、後方に富士山、そして左にそびえる南アルプスというロケーションの中、私はまた2匹の犬に引っ張られるように朝の散歩に出ました。
 ゴールデンウィークも過ぎ、山をおとずれる人も大分減って来て、誰にも会わずに散歩して自然を満喫していると、前方に雉の姿が見えて道を横切ります。ああ、今年も雉に出会えたとうれしくなりました、きれいなオスの雉です。あちらこちらで鳴き声が聞こえてきます。昨日は家人が犬を連れての散歩中に、鹿の団体に出会ったそうです。動物たちが活動するこの季節ならではのことでしょう。
 先週に来て以来、少しの時間しか経たないのに景色はかなり進んでいます。玄関前のライラックは白い莟を付けていますし、フラミンゴの木も若葉が出始めて、落葉松はすっかり芽吹いて枝の先は若緑です。ユキヤナギはこぼれるほどに白い花をたわわにつけ、大きく広がりのびのびと、タンポポは数が増えてにぎやかに、そしてスミレも可憐に咲いていて、先週よりずっと大地もにぎやかになってきました。私は丹念に庭の様子を観察します。ヤマシャクヤクに莟が見えています。もうじきチゴユリも咲きそうで、これは群生しています。
 芽生えるということはなんて素敵なことでしょうか。小さな発見が山ほどあります。都会にいると、自然界のことに気づくことはとてもおおざっぱな感じとなり、感覚も鈍くなります。知らないうちに鈍感になることが最も私の恐れていることです。

 五感が敏感に反応できるようにといつも心がけています。忙しいと目先のことばかりに追われてしまい、自分さえ見失ってしまうので、いつも新鮮な空気を自分の体内に送り込む風が必要です。よい風をいつも身に受けていたいと、年齢が重なっていくほどに望んでいる毎日です。

2011年5月10日火曜日

初めまして。


 こんにちは。そして初めまして。

 あらた工房で制作助手をしていますわたなべと申します。
 
 あらた工房で助手として9ヶ月ほどたちましたが、
 着物の魅力にどんどん引き込まれていっています。
 日本の文化を継承して行くお手伝いが少しでもできたら、
 また、皆さんがおしゃれをして楽しい気持ちになって頂けたら、
 と思います。
 あらた工房では一番ひよっこで、着物については全くの初心者ですが、
 勉強して着物の魅力を知り得たいと思っています。
 
 このスタッフブログでは、あらた工房の最新情報等をお伝えしていきます。
 拙い文章ではありますが、よろしくお願いいたします。

 では、さっそく、あらた工房の最新展示会情報です。
 
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 6月6日(月)〜6月20日(月)
 「夏のあらた会+今昔の会」

 今回は、「あらた会」と「今昔の会」が同時開催です。
 ぜひあらた工房まで足をお運び下さい。

 詳細はこちらからご覧下さい。
 http://www.arata.jp/exhibition/index.html
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 わたなべ

緑のグラデーション


ゴールデンウイークも明けて、やっと平常になって来ました。震災以降どこか気持ちも落ち着かずに、ただただ芽吹きや新緑に浸りたいとの思いでしたが、それが叶い、今は初夏の着物に想いを馳せる余裕が出て来ました。
 様々な緑のグラデーションに溢れた山々、まだ雪の残る南アルプスの山々や八ヶ岳の嶺、山桜の淡いピンク、八重桜の莟、小鳥たちのさえずりに癒されての山歩きがまた活力になり、やる気ボタンをリセット出来た様です。

 特に鳥たちの鳴き声が体に沁み入るように感じました。山では鶯がゆっくりと鳴き声を聴かせてくれていたり、一日中雉がケーンケーンと啼く声が聴こえて来ます。明るい開けた草原や牧草地を、雉の家族が歩くのを目にした事がありますから、見えていなくても雉の一家が歩き回っているのだと思わせます。
 美しい羽を持つ牡の雉は悠々と一歩前に歩き、その後ろを牝の雉が、これはまた対照的に渋い茶色っぽい羽で地味に見えますが、続いて歩きます。またその後から、可愛い子供たちがちょこちょこと付いて行く姿に何度か遭ったことがあります。遠くに雉の甲高い声が聞こえるとその光景がすぐに目に浮かぶのです。まるで、ゴールデンウイークの雉の一家のハイキングと言う感じに見えます、がちょうど繁殖の時期でもあるのでしょう。派手なお父さん雉に比べて地味な色合いのお母さん雉がなんとも可笑しくてなりませんが、きっとそれなりの意味が存在するのでしょう。山のアトリエの周りは、雉の禁猟区なので安心して歩いているのでしょう。
 蛇を一回も見かけた事がないのですが、雉がいるからと近くの方が言ってました。真偽のほどは分かりませんが、とにかく蛇に出合わないのは良い事です。

 5月は全ての草木も動物たちも命の営みを謳歌している様です。
 以前に、南アルプスの山の中や林道を分け入った事がこの季節にありましたが、不思議な感覚に襲われました事を覚えています。人っ子一人もいないのに、歩いていると森の木々や風の音がざわざわとなびいて、まるで多くのものに見られているという感覚にとらわれた気持ちになったのです。大きな目に見えないものですが、誰かがいて、その中で無数の躍動する眼にみられているという感覚です。
 それは山の神か女神かがささやいているかのようです。思わず振り返ったりしたくなるのです。あれは木々や草、小動物たちの命の気配だったのでしょうか。同じ所に夏も秋も行きましたが、5月に感じた気配は全くなくて静かなものでしたから、この季節特有の気配なのでしょう。木々が芽吹き、いくつもの命が生まれる山々には、きっとパワーがみなぎっているのでしょう。私もそのパワーにあやかりたいと思うのです。
 山や森、草原での散策はとても意義深いものがあるのです。都会での散歩とは比べ物になりません。散歩の後の疲れは帰ると思わず暫しの間微睡んでしまうのですが、その夢の中でもケーンケーンと雉の鳴き声が絶えずしていて、草原を突っ切って林に移動している雉の家族が脳裏に浮かぶのです。五月の微睡みは、特別気持ちの良い良質の微睡みになるのです。

 そんな夜の夕食にはかならず山菜の天ぷらが作りたくなります。コシアブラの若い芽やフキノトウの天ぷら、コゴミのおひたしが食卓に並びます。山の恵は耳からもまたお腹にも入り嬉しい五月です。久しぶりに帰宅したら、名も知れない黄色い花の雑草がガレージの側の空き地にすっかり我が物顔ではびこっていました。都会の片隅でも命の躍動が息づいていました。

2011年5月2日月曜日

山の芽吹き


 4月末からいよいよ山のアトリエに行き今年の夏が始まる準備となりました。3月の地震による後片付けはいくつかのものが落ちたり壊れたりしただけでしたが、そのくらいで済んでほっとしました。それでも壁にある時計は地震の起きた時刻を指したまま傾いて止まっていたのが当時の地震の揺れを思い起こさせました。
かつての外国土産の花瓶は見事に割れていたのが悲しかったのですが、充分に楽しんだ後ですし、こんな被害ぐらいで済んだだけで良しと思わなければなりません。
ここ八ヶ岳の山々はまだまだ冬の様子で、芽吹きはかすかにしか始まっていません。今月のGWの終わる頃には落葉松も一斉に芽吹く事でしょう。ただ水仙だけは今を盛りと奇麗な黄色や白の花が凛と咲いています。それからダンコウバイの渋い黄色の莟が目立っています。
これからの日々が楽しみです。桜は富士桜と枝垂れ桜がそろそろ咲きそうで山桜は盛りです。
東京より半月は季節がずれているので山は花の咲くのも芽吹きも何もかもが一度に、そして一斉に始まるのは見事でいのちの輝きを見せてくれます。
朝と夕の犬の散歩も山では久しぶりで私も犬もうきうきとした気分で山道を歩き犬たちは土や草の匂いに興奮して草むらを転げ回ります。
私と犬たちとの至福の刻です。草も木も花も鳥も犬たちも、そして私も生きている、生きているという喜びに満ち溢れた散歩です。
散歩から帰れば、山の冷たい水で喉を潤し、5月の爽やかな日差しと木々を渡る風を受けて犬たちは思い思いにベランダでごろっと横たわり無防備な姿で寝ています。私も程よい疲れのなか、美味しい珈琲を飲んだりとゆっくりと刻の流れを感じて微睡んだりしてしまうのです。
今年の夏はどんな過ごし方になるのかな、などとぼんやり夢うつつで考えたりしています。小鳥たちの鳴き声が絶え間なく聴こえて来て音楽を奏でているようにも思えます。私の五月はこんな風に始まりました。