2014年6月27日金曜日
憧れの花紀行「青いケシ」に逢う
かねてより見たかった花を求めての行脚を再開しました。今回はヒマラヤの青いケシを見に行くという小旅行でした。
昔から見たい花があるとどうしても見に行きたいという思いが募り、終いには愛しい人にでも逢いに行くというような気持にまでなってしまうのです。
今までも何回かそんな経験をしてきましたが、私にとってもとても険しかった地であったり、高山だったとしても想いの方が先行してしまい、後から考えるとずいぶんと無謀な事もしたり友人を巻き添えにしたり、冷や冷やしたこともありましたが、それもまだ50代までは何とかやってこれましたが、さすがに高い山に登ったり長い距離を歩くには日頃鍛錬しているわけではないので無理だと思いここのところ自粛気味でした。
この度の「青いケシに」ついてはもうかれこれ20年近く前から気になっていて,彼の地、ヒマラヤで見られるという青いケシに憧れてずいぶんと調べもしたのですが、ヒマラヤへのトレッキングは海外ではどうにも叶わず、さすがの無鉄砲な私でも半ば諦めてもいました。
それで八ヶ岳の麓にアトリエを持ったときには、海抜1300メートルの地なのでここなら育つかも知れないと勝手に考えて高山植物を専門に扱う苗屋さんにコンタクトを取り学名「メコノプシス」と言われるヒマラヤの青いケシを探して取り寄せて植えて見ました。
さて花が咲くかどうか植えて1年目ですが一向に育たず一緒に植えたブータンの青いケシだけが一輪翌年の夏に咲いたのでした。ヒマラヤのはダメだったけれどブータンのが咲いたので大喜びしました。
咲いたのはたったの1回だけでその後はヒマラヤのもブータンのも咲くことはありませんでした。
同時に植えた早池峰ウスユキソウも根付かずエーデルワイスの花の夢も潰えてしまったのです。今から15年前くらい前のことです。エーデルワイスの方はその後早池峰山に登り目的を果たしたのですがこれも大変なものでした。
憧れていた青いヒマラヤのケシは空のように綺麗な濃い水色らしいのですが2000メートル級の高地でなければ無理で、それも岩だらけの厳しい土地で咲くらしくてそれほどは高くない私のアトリエの庭では無理なのは重々分かっていたのでしたが、近くの園芸店の方に言わせると「ここで青いケシを咲かせたらニュースものだよ」といわれると余計むきになったりもしました。
それでも咲いてくれたブータンの青いケシは青と言うより渋い紫色のような色だったのですが、居合わせた友人がカメラに納めて「節子さんの青いけし」と書いてプリントしてくれました。
ケシは一日花なのですぐ散るかと思ったのですが案外ひなげしよりは丈夫で3,4日は持ちました。
今思えばあの時のブータンのケシは夢だったのではないだろうかと思えるのですが、写真が残っているので夢ではなかったのです。
その後も青いケシのニュースが気になり日本でも栽培されているところを知り長野の山奥、大鹿村のさきにある農園を訪ねて行きましたが時期が悪く終わってしまっていて見られず残念でしたがそれももう3年くらい前のことです。
今年こそと狙っていたのですが車でなくては行けないところで、どうしても車の都合が付かずケシこの夏も無理とあきらめていたところに、ニュースで日光の塩原の方にある「上三依水生植物園」で青いケシが咲いている事を知り、どうしても行かねば終わってしまうと万障繰り合わせて出かけたのでした。
そしてやっと見る事が出来たのですが思っていたよりはブルーが薄かったものの,何とか見られました。
鬼怒川からまたずっと奥の方で人も少なく爽やかな緑の中をずっと植物園まで平地で難なく歩くことも出来て楽に見学出来ました。
梅雨の晴れ間のひとひでしたが同行の友人にも恵まれお天気も良く目的を果たして来ました。来年こそは長野の農園にまた青いケシを見に行きたいと思っています。
そしてそしてなにより驚いたのは鬼怒川からは一本で新宿まで乗り入れるラインが東武鉄道にあった事でした。帰りはその電車に乗りました。たまには鉄道に乗らないと分からないことです。
次の憧れの花行脚はどこに行こうかと考えています。
いつかいつかと思っても、実行に移さないと何事も成就出来ないなとつくづく思いました。まだまだ憧れている花は何種類もあります。花に会える旅はこれからも続きそうです。
2014年6月3日火曜日
椎の老木
五月の終わりに工房に植木屋さんが入りました。そして一本の椎の老木を切り倒すことになりました。これで椎の木は残り一本となってしまいました。
そう広くもない庭にうっそうとするくらいに椎が茂り風通しも悪くなり,隣の公園の桜もすっかり大木になったので少し離れて見る我が家は小さなジャングルのようになってしまい、思い切って椎を一本だけ切ることとなったのです。
この長い年月、椎は五本もあったのがついに一本を残すだけです。私は切られた椎の切り株を見つめて少し寂しくまた切ない気持になりました。年輪をかぞえてみましたが良くはわかりません。
かれこれ100年近くはここにあったと思うと可哀相な気にもなります。少しのお酒とお塩を供えましたが心がちくっとしています。
この老木を特に可愛がっていたというわけでなくいつもいつも葉が茂る度に手入れをしないと大変という思いから植木屋さんを入れる時期を考えたり,大量に落ちる枯れ葉に四苦八苦して最近では枯れ葉を掃除するのに箒を使いすぎて肘が痛くなる始末でしたから少々重荷になっていたのも事実でした。私より長生きしている木を切るのは複雑な心境でした。
私自身がこの椎の木とつきあっていくのが限界だったのかも知れません。情けない気分にもなります。
ずっと先の事を考えると自分の身の周りの始末は、すこしずつ整理をしなくてはと考えるのは庭木も同じだと思うのでした。子供が小さい頃には落ちた団栗をひろったりしてそれなりに楽しかったのが思い出されます。
さて老木には別れを告げましたが折から私の仕事は今、着物の再生に取りかかっています。6月半ばまでは「夏の着物新作展 あらた会」と「古い着物の相談会 今昔の会」が開かれています。
毎年、沢山の着物が集まりますが,これらの再生に取り組む仕事が待っています。古い着物を甦らせて新しい命を吹き込むことは、あと自分にどれくらい出来るか分かりませんがせいぜい頑張ろうと思っています。
樹木にも着物にも全て命が宿っています。同時に役目を終えて行く物、再生してゆくものたち、様々ですがその狭間で生かされている自分の役割を見出そうと思う6月です。
梅雨がもうじき始まりそうですから今のうちに染める反物を積み上げてこれからは天気予報を見つつ仕事する日々が続きそうです。
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