2011年7月26日火曜日

古都は蝉時雨


 かなりの暑さを覚悟しての京都行きも、無事帰宅できました。盛りだくさんな計画をこなして、誰も具合が悪くならずに楽しく旅が終えられたのにはほっとしています。
 京都市内での素敵なコンサートに続いて、宇治川での鵜飼は初めての体験でした。人々の拍手の中、大きな黒い海鵜が、鵜匠たちに操られて飲み込んだ鮎をはかされます。真っ暗な水面に、ぱちぱちと音を立てて熱いほどに焚かれていた帆先の松明は、鵜がやけどをしないのかと心配するほどです。鵜匠の装束といい、暗闇での鵜の動きはショーでも見るかのようでした。昔の貴族の為の遊びとは言え、人はずいぶんと面白い事を考えるものだと感心するやら、鵜に生まれなくてよかった、などとおかしな事を考えたりしました。幻想的で優雅といえばそうなのですが、この行事を伝えて継承してゆくのは大変なことのようです。伝統を守る事は本当に努力がいるものだと思います。照りつける暑い京都の昼間に比べれば、川縁は涼しい風が吹き渡り、鵜飼見物は正解でした。一度ぐらいは見ておいていにしえの都人を忍ぶのもまた良い経験です。

今回の旅はいつもの京都行きとは違い、比叡山の延暦寺に行ってみたりもしました。かつてこの比叡山を信長が焼き払ったという史実は、今の我々には当時はどんなであったかと想像するだけですが、今は穏やかな緑なす山々の中で静まりかえっておりました。

 旅の最後の日には建仁寺に俵屋宗達の風塵雷神の図を見て、まだ見ていなかった天井画の双龍図を長いこと見上げていました。龍の絵を見るのは大好きでなにか力をもらえるような不思議な気持ちにさせられます。この絵を見ているときがもっとも暑くて汗をかいてしまいました。龍の力強さに圧倒されたのでしょうか。建仁寺の庭には円、三角、四角の庭があり、哲学的でもあり現代アートにも繋がる様でもあり、見応えのあるお寺です。夏たけなわのせいか、頭の上では絶え間無く蝉が鳴き続けていて、他に何の音も聞こえてきません。真夏なのだと感じてお寺の庭を眺めていました。

 若い時に来た京都は、仕事でいつもとんぼ返りだったり、沢山のお寺を駆け足でしか見なかったりと、じっくりと落ち着いてひとつひとつのお寺を見ることは出来ていませんでした。ここ最近は、ゆっくりと丹念にひとつづつ廻る余裕も少し出来て来ました。
 京都駅もまた綺麗になって、久しぶりに行くとまごまごしてしまいます。熟年修学旅行のようで、友人たちとの旅は味わい深いものです。何よりも酷暑の京都を克服出来た体力も喜ぶべき収穫でもありました。来年の干支は龍です。登り龍のように行けたらよいなーと帰りの新幹線の車中で漠然と考えて東京に戻りました。
 今週からは改修建築のために拍車を掛けて片付けをしなくてはなりません。七月もいよいよラストの週に入りました。取引先も夏休みの知らせがぼつぼつ届きます。さあ、旧盆までスピード上げて仕事を片付けましょう。