2011年4月17日日曜日

地震鎮まれ


 未だに続く余震に悩まされています。被災地は勿論、余震の度に不安におびえる被災地の子供の様子を見ると、気の毒になります。東京の私達だってその度にぎくっとしますし、思わずテレビで地震速報が流れると見入ってしまいます。やはりこの間の本震のトラウマがあって、またあんなに揺れたらどうしようと思ってしまうのです。心臓にもよくありません。三半規管の不調で、何時も船酔いの気分のようになってしまい、病院を受診する人たちもいるとの話ですが、頷けます。
 地震の終息だけは神のみぞ知るという風で、なかなか誰にも分からないのが現状ですから、困ったものです。我々は地震におびえながらも、おそるおそる毎日の暮らしを何時ものようにこなして行くしかありません。

 季節はもう桜も散り、新緑へと向かっていますが、人々の記憶には3月11日の地震の恐さが脳裏に焼き付き、心から笑い楽しむ事に少し躊躇する日々です。我が家のミニ庭園も、咲き分けの枝垂れ桃の傍らで、淡いピンク色の石楠花が盛りとなりました。部屋の窓からお花見しながら春の陽光を浴びている時は幸せで、これで地震がなければ平和なのにと思いを巡らします。出入りの業者たちも、一様に困った困ったと言います。この先の事は心配ではありますが、解決法もないのですから、やはり自分がしっかりと覚悟を決めてかからないといけないと思います。地に足の着いた毎日の普通の暮らしが、これほど難しいと感じた事もありません。何気ない日常がいかに大切な事だったのかも思い知った気が致します。

 街を歩くと、アカネの垣根に生気を感じ、その芽には眩しいくらいの美しさを見ました。一年で最も美しい五月がもうすぐやって来ます。新緑の緑の眩しいシャワーを浴びたら、地震疲れも、原発の恐怖におびえる我々も、もっと元気になるでしょうか。
 地震の神様、どうぞ鎮まるようにとお願いしたいです。もうアナタに敵うものは何処にもいません。ちっぽけな人間の営みと幸せを奪わないでと何処に向かってお願いしたら良いのでしょう。

 今日、庭先のバジルを摘んでパスタに添えました。バジルの香りに幸せを感じ、山椒の木の小さな新芽に触れ、その香りにも4月の喜びを感じました。