2011年3月28日月曜日

弥生終わる頃に


 大変だった今年の三月も終わろうとしています。好調な滑り出しで始まった今月も11日の地震以来、全てが狂い世の中も未だに落ち着かず原発の心配も日に日に高まり終息の予測もつかず、様々な所での経済活動も萎縮してこの先はどうなるのだろうかと誰でもが不安に駆られます。こうなったら肝を据えて自分が今やるべきことを粛々とこなして行くしかありません。

 今月は心配の他にも腹の立つことも多い中、外出も控えることもあり、春を何時もの年のように、ゆっくりと眺めたり散歩する楽しみも少なくて残念でしたが、気がつけば白モクレンは満開、椿も満開になっていました。桜はやや例年よりは遅いようで、まだつぼみは堅くて四月になってから咲くことでしょう。
 自然界の草木は何があっても気温に連れて順に進んで行きます。そしてついこの間には月が地球に18年振りに近づいて来たという夜、煌煌とした大きな満月を見ることが出来ました。いつもより月が、14パーセントも大きく見えているようで、そういえばあの夜の月は一段と大きく感じました。工房の二階の窓から身を乗り出して眺めましたが、私には月がこの日本の国を見下ろし、まるで覆いかぶさるように照らしているように思えました。きっと月は、地震の被災地も見ていたのでしょう。それにしても18年振りということですが、18年前にもこのスーパームーンは見えていたのに私は気が付かなかった様です。そしてこの言葉も始めて耳にしました。日本語にはないそうですが、いにしえの人はこの大きな満月を何と評したのでしょうか。知りたいと思いました。

 地震で延び延びになっていた墓参も、お彼岸がとっくに終わった27日にやっと行くことが出来ました。新宿区のやや高台にあるお寺ですが、ここでも地震の後は墓石があちこちに傾いたり、左右に動いたりと大変だったとご住職さんが言っておられました。11日の地震は東京にも被害がありました。浦安の液状化現象などもあり、地震の影響は大きいです。
 庭の片隅に咲いている紫色の大根花を何本か、買った花に取り混ぜて母のお墓に生けました。家に咲いた花も母に見せたかったのです。何時もより墓前での報告は長く、地震のこと、放射能のせいで乳児に飲ませる水に困っていること、これからの私の心配事等を、うららかな春の日差しを背に浴びながら対話しました。いつも聞かされていた関東大震災の話など、また、戦後の焼け野原だった新宿の光景等も、脳裏に蘇って来ました。勿論、子供だった私が昭和20年代に見た記憶ですが、印象的で写真のように焼き付いています。墓前にぬかづく私に、母が「そうなの、大変だけれど頑張ってね」と言ってくれたような気がしました。戦後は日本中が焦土と化したのに見事な復興を遂げたのですからこれからもきっと立ち直るだろうと思っています。原発の不安さえ治まれば復興は急ピッチで進むのではないかと、、、思いますがどうでしょうか。

 春爛漫の季節だというのに、文化的な行事等も取りやめる所が続出していて、複雑な思いがしています。気持ちが萎えて、何もかも取りやめることが良いとも思えないのです。このことについてスパッと解説してくれる識者がいませんでしょうか。政府の出す放射能の数値ばかりだけでは、ますます気が滅入るのです。経済活動が戻らないと復興につながらないと思うのは私だけではないはずです。このままではお花見も中止になりかねない気が致しています。桜が咲けば日本中が元気になれるでしょうか。もうすぐ弥生の月も終わりそうです。希望の見える四月が迎えられますように。