2011年2月7日月曜日

春の歌


 やや春めいてきた土曜日の夕方、私鉄沿線の、とある場所でサロンコンサートが開かれて私は聴きに行きました。昼下がりに外に出ると風の匂いや空気の中に春が来たのだと体が実感しました。
 毎年春の予感は大気から感じるのです。最初に、感じたこの感覚を自分にとっての春と思っています。春の息吹は空を渡る大気なのか、風のかすかな動きなのかわかりませんが肌で感じます。まさしく春の匂いも鼻腔に感じるのです。
  
 サロンコンサートは40人ほどの集まりでした。様々な歌が歌われる中で日本の歌もありました。季節柄でしょうか、「早春賦」が歌われたときは思わず涙がじ わっとあふれそうでした。その歌は母の愛唱歌でこの季節になるといつも母が台所に立ちながら歌っていました。小さいときから聞き慣れていましたので早春賦 の歌は母そのものの思い出がいっぱいなのです。
たぶんご機嫌が良いときに口ずさんでいたのでしょう。そんな様子を見ている子供だった私までうれし くなって来るのでした。そして季節も春めいているのですから少し浮き浮きする気分までしてきて家の中いっぱいに幸せが満ちてくる思いになったのです。台所 ではコトコトと母の創る料理や匂いがが立ちこめていて暖かくて楽しかった子供時代の感覚が甦ります。
「早春賦」の歌一つでこんなにも思い出が膨らんで来るなんて歌の持つ力は大きいと感じます。

そのあとは「浜辺の歌」が歌われましたがこの歌も母の大好きな愛唱歌でした。
でもこの歌を歌う母は娘時代や女学生時代の思い出をたどるかのようでしたから私も少し距離を置いて聴いていました。遠い昔を思い出すかのような風情でしたからきっと母自身の思い出が詰まっていた歌だったのでしょう。少しもの悲しい調べは心に響きます。
 母が病に倒れて病院で意識ももうろうとしている中で、どうしてやることも出来ない私は母の枕元で小さな声で母の好きだったこの2曲を繰り返し歌い続けた思い出があります。母もかすかに目を閉じたまま唇を動かしていた気がします。

 そんなわけでこの歌を聴くといまでも眼がじわっとしてくるのは仕方のない現象でしょう。
大正時代には様々な日本の名曲が数多く生まれてきたと、サロンコンサートの主催者が話していました。
大正時代から昭和の初期までに生まれた素晴らしい曲のなかに母の青春時代もあったのでしょう。美しい調べと文学的な格調高い歌詞に浸って過ごした娘時代は、日本の良い時代だったとも思います。
いつまでも胸に残る名曲ばかりです。

 この夜は私にとり、たっぷりと母を思い出す夜ともなりました。もうすぐ私も誕生日を迎え、また歳を重ねる事になります。母に感謝しなくてはなりません。
風邪を引いて鼻がぐずぐずするのですが「早春賦」の歌を聴いたので余計にぐずぐずとしてしまいました。春は本当にそこまで来ていると思える夜でした。