2011年2月22日火曜日

町起こし


 週末から日曜にかけて私の工房がある隣の駅周辺では町起こしという目的で染めの町をアピールしてイベ ントが催されていました。川に何反かの反物を張り近くのお店屋さんにのれんを掛けたり工夫をしていました。この町を宣伝して東京の染めに携わる町であるこ とをアピールして多くの人にわかってもらおうという試みで染色関係に従事する人や商店街の協力で関係者は頑張っていられるようです。

 元々は妙正地寺川の周りに昔は染めの工場が多くあり東京の染め物が盛んだった地域なのです。新宿区の地場産業として最近よく取り上げられています。
私の工房がある中野区は新宿区に隣接しているので、新宿と中野区がこの川を中心にして栄えていた事は私の子供時代からでした。もっと上流の神田川に続く川ですから高田馬場あたりにも染色の仕事をする人が多かったのです。 

 最近の着物業界の落ち込みと高齢化による廃業、後継者不足もあり年々に難しい業種となってしまいましたが少しでもこのようなイベントで盛り上がればと思っています。
何 年か前のバブル最盛期にはそのあおりを受けてずいぶんと廃業が続きました。高齢化と後継者なしにくわえて比較的広い工場を持っていた染め屋などは折からの 地価の高騰と新宿副都心のそばでマンションが次々と建ち始めていた渦に巻き込まれてしまったのでした。あのバブルの時は本当に良くなかったです。ずいぶん と失われた物が多かったのでした。工場がつぎつぎとマンションに代わり、仕事を辞めた人たちは多くて辛い時期でもありました。都心ですが仕事場を失った人 たちは二度と復帰は出来ないでしょう。
 伝統を守る仕事は歯を食いしばっても続けていないとなりません。維持するのは大変なことでも何とか生き残って行かないとなりません。
あと50年後はどうなっているでしょうか。着物が今より廃れない事を願うばかりです。 
 折から我が工房は春の作品を製作中です。明るい希望を抱いて前向きに良い作品を産み出したいとの思いを強く思う日々が続いています。