2011年5月10日火曜日

緑のグラデーション


ゴールデンウイークも明けて、やっと平常になって来ました。震災以降どこか気持ちも落ち着かずに、ただただ芽吹きや新緑に浸りたいとの思いでしたが、それが叶い、今は初夏の着物に想いを馳せる余裕が出て来ました。
 様々な緑のグラデーションに溢れた山々、まだ雪の残る南アルプスの山々や八ヶ岳の嶺、山桜の淡いピンク、八重桜の莟、小鳥たちのさえずりに癒されての山歩きがまた活力になり、やる気ボタンをリセット出来た様です。

 特に鳥たちの鳴き声が体に沁み入るように感じました。山では鶯がゆっくりと鳴き声を聴かせてくれていたり、一日中雉がケーンケーンと啼く声が聴こえて来ます。明るい開けた草原や牧草地を、雉の家族が歩くのを目にした事がありますから、見えていなくても雉の一家が歩き回っているのだと思わせます。
 美しい羽を持つ牡の雉は悠々と一歩前に歩き、その後ろを牝の雉が、これはまた対照的に渋い茶色っぽい羽で地味に見えますが、続いて歩きます。またその後から、可愛い子供たちがちょこちょこと付いて行く姿に何度か遭ったことがあります。遠くに雉の甲高い声が聞こえるとその光景がすぐに目に浮かぶのです。まるで、ゴールデンウイークの雉の一家のハイキングと言う感じに見えます、がちょうど繁殖の時期でもあるのでしょう。派手なお父さん雉に比べて地味な色合いのお母さん雉がなんとも可笑しくてなりませんが、きっとそれなりの意味が存在するのでしょう。山のアトリエの周りは、雉の禁猟区なので安心して歩いているのでしょう。
 蛇を一回も見かけた事がないのですが、雉がいるからと近くの方が言ってました。真偽のほどは分かりませんが、とにかく蛇に出合わないのは良い事です。

 5月は全ての草木も動物たちも命の営みを謳歌している様です。
 以前に、南アルプスの山の中や林道を分け入った事がこの季節にありましたが、不思議な感覚に襲われました事を覚えています。人っ子一人もいないのに、歩いていると森の木々や風の音がざわざわとなびいて、まるで多くのものに見られているという感覚にとらわれた気持ちになったのです。大きな目に見えないものですが、誰かがいて、その中で無数の躍動する眼にみられているという感覚です。
 それは山の神か女神かがささやいているかのようです。思わず振り返ったりしたくなるのです。あれは木々や草、小動物たちの命の気配だったのでしょうか。同じ所に夏も秋も行きましたが、5月に感じた気配は全くなくて静かなものでしたから、この季節特有の気配なのでしょう。木々が芽吹き、いくつもの命が生まれる山々には、きっとパワーがみなぎっているのでしょう。私もそのパワーにあやかりたいと思うのです。
 山や森、草原での散策はとても意義深いものがあるのです。都会での散歩とは比べ物になりません。散歩の後の疲れは帰ると思わず暫しの間微睡んでしまうのですが、その夢の中でもケーンケーンと雉の鳴き声が絶えずしていて、草原を突っ切って林に移動している雉の家族が脳裏に浮かぶのです。五月の微睡みは、特別気持ちの良い良質の微睡みになるのです。

 そんな夜の夕食にはかならず山菜の天ぷらが作りたくなります。コシアブラの若い芽やフキノトウの天ぷら、コゴミのおひたしが食卓に並びます。山の恵は耳からもまたお腹にも入り嬉しい五月です。久しぶりに帰宅したら、名も知れない黄色い花の雑草がガレージの側の空き地にすっかり我が物顔ではびこっていました。都会の片隅でも命の躍動が息づいていました。