2011年8月23日火曜日

森の珈琲屋さん


 昨日、10日余りの休暇を終えて東京に戻るとこちらも雨模様で肌寒い位の涼しさに驚きました。
山でも4日ほども雨に降り込められての帰宅で、これはもう秋口の天気に急になってしまったのかと,残暑を感じるひまもないうちに夏が去っていくのは少し残念と思うのも勝手なものです。
改築中の工房に戻ってみるとお盆中だったと言うこともあり、思ったほど解体が進んでおらず、改装するところとそのまま残す部屋との境はコンパネでがっちりと仕切られて居場所が極端に狭い状態となっていました。これでは当分制作活動は東京では出来ず、山のアトリエで目鼻が付く秋まで制作に従事するように早く気持ちを切り替えて行かねばと決心するのでした。

 8月上旬から工事の邪魔になるからと、犬たちを連れての山暮らしを家族とローテンションを組んで滞在中の犬の世話に当たることにしました。
 犬にとって散歩は欠くべからざる事で犬の喜びはたいへんなのですが、我々にとっても山の散歩は自分たちの健康状態を顧みる大事な行為を含んでいます。

 いつもの散歩コースの途中に道に面してやや古びた珈琲屋さんがあります。下る坂道にあるので、いつも片眼で見ながらも急ぎ足で犬に引っ張られて通り過ぎてしまうのですが,先日は友人と連れだってののんびりした散歩だったので寄ってみる気になり,そのドアを開けてみたのでした。

 店内はお洒落と言うにはほど遠い感じでしたが、カウンター席がいくつかと椅子席のテーブルが並び、隅には低い机の周りに座布団がありくつろげるスペースもありました。
 この店は昔草木染めの工房だった事を思い出したりして模様替えをそれほどしないで引き継いだのでしょうか。
 すでに二人の客が居て挽いた珈琲を買って帰るところでした。我々3人の座った席の前には業務用のような大きな珈琲の焙煎機がどっかりと置かれていて私はこの店にこんな焙煎機があるのに少し驚いて見上げてしまいました。都会でもお店の中に大きな焙煎機が鎮座しているのは余り見たことがないです。
そう言えばお店の看板には自家焙煎の店と書いてありました。こんな山の中で人は滅多に通らないのに商売が成り立つのかと不思議です。

 何よりも印象的だったのは店主の雰囲気でした。私たち3人だけのお客でしたが焙煎機の前でおしゃべりをしていましたが、空いている割には待たされてしばらくしてからお水を持って来たので、珈琲を注文すると誠に丁寧に頭を下げてゆっくりと注文の珈琲を反復した上、「しばらくお待ち下さい」と丁寧に答えるのでした。
 ちょっと年齢が分かりにくい中年の主人でしたが,注文を聞いてから珈琲を挽くのか、焙煎をしているのか分かりませんがずいぶんと待たされた気がしました。
 しばらく経ってから「大変お待たせしました」と一人ずつに珈琲の名を言いながら丁重にカップを置くのでした。 
 気持ちぬるめの珈琲でしたがこれが本当なのかなと思わせるほどの丁寧な応対だったので、いつも街角でフーフー言いながら急いで飲む珈琲とはまた違うなと思いつつ、店主のスローな煎れ方のせいなのか、山だからカップがすぐに冷える事に気を付けている私の注意点と同じなのかと考えつつも煎れるのに時間がかかった分、ゆっくりと飲み干すことにしました。

 一寸気軽に立ち寄っただけなのに,結構時間がかかり、まだ明るかった外の景色も店を出る頃にはかなり夕闇が迫っていていかにものんびりした休憩でした。
 「都会では考えられないわね。やってゆけないわね。」とつぶやいた私は何故か宮沢賢治の小説を思い出していました。あの店主の雰囲気がそう思わせたのかもしれません。丁寧でゆっくりした応対とたった一杯の珈琲に取られた時を忘れたような時間の経過を暮れゆく山の景色の中に感じていました。思えば思うほど宮沢賢治のお話に登場しても良いキャラクターだなと勝手に想像してしまいました。あの店主の物腰は独特でした。

 デッキにも椅子席があったので今度は犬たちと散歩の途中に寄ってみようかと森の中の珈琲屋さんを振り返りますと、看板のところに「あんドーナツ出来ました」と書かれた張り紙もあるのを見て、ますますこれは宮沢賢治の世界に近いと少し暖かい気持ちになったのでした。
 山の中、森を背にした珈琲屋さんはとっぷりと夕闇の中に静かにあったのでした。この日の散歩は案外私の夏休みの収穫だったのかも知れません。