2011年9月12日月曜日

ススキなびく原で


 九月も半ば近くなりましたが高気圧のせいでしょうか、,昼間は結構日差しも強く一生懸命歩くと汗ばむほどです。
しかし日の落ちるのは急速に早くなってもう6時頃から散歩に出ると7時にはかなり暗くなってしまいます。
夜明けも遅くなり朝5時をかなり廻らないと朝日が昇ってきません。

細く赤みがかったススキの穂も今では穂がすっかり開いてふさふさとして秋の風になびいています。
山のアトリエの前には私の背よりずっと高く2メートルもあろうかと思うススキが生い茂り、その根本にはやはり大きく背の伸びた薊が多く咲き、またところどころに山の萩の株が垂れて濃い赤紫の花をふるわせあたりに花弁をこぼしています。

 もう少し経ち秋深くなれば色々な木の実が目に付く事でしょう。まだ紅葉までは間があるので秋の月でも眺めて待ちましょうか。

 この8月からは工事のために全てのテレビが外されて以来、全くテレビのない生活になってしまいました。
最初はなんだか物足りなくておかしかったのですが最近はもうテレビのない生活にも慣れてしまいました。無ければ無いで過ごせるのですが、今までのテレビに取られていた時間の多さは何だったのだろうと考えます。
 テレビは時計代わりで結構くだらない番組も批判しながらも見ていたりしていた時間が今更もったいない気がします。
加えて最近のニュースの報道に対する信憑性やらが問われていたりすると真剣に見ているのもばからしく思えても来ます。ニュースは事実を知るだけで充分であろうかと思います。

 この夏は不便な暮らしを強いられていますがそうなると今まで見えなかった物も見えたり聴き過ごしていた音も聞こえてくるから不思議です。
便利すぎる暮らしの中で安穏と過ごして来た日々は、音にも溢れていて、テレビは勿論のこと音楽に浸り、絶えず音のする世界に取り巻かれていた気がします。
 テレビを見ない日が続くと今まで音楽をBGMとして流していたことも忘れて静寂の中で食事をしたりする事がかえって落ち着くような気持ちにさせられて、こんなに静かな刻の流れがあることを認識するのです。
今年は夏から秋にかけて聞く音に敏感になりました、夏の盛りの蝉の声、花火の音、虫の鳴き声と季節に移ろいながら様々な音が耳に入ります。

 こうやって考えると日頃は音の渦の中で気にもせずに暮らしてきた事がよく分かります。
ススキが秋の風になびいて擦れ合いながら音を立てます。風が強く吹けば落葉松が大きく揺れてざわざわと風が通り抜けていく音を立てます。
自然界の音は全く予期もしない中で様々な音を突然に聞かせてくれます。今まで気にもしなかった音に敏感になります。
鳥の鳴き声、木の葉の落ちる音も全部自分から発したわけではないのは当たり前なのですが、これらの予期せぬ偶然の音は心に響いてきます。
 秋という季節が奏でる音を拾い集めて今年は楽しもうと思います。今度は山栗の落ちる音も山道で聞こえるかもしれません。雨の音、滝の音、川の音も皆個性的です。そして音にも色がそれぞれありイメージ出来て来るのです。