2011年10月24日月曜日

紅葉を踏んで


 徐々に赤味を増してきた紅葉を見ながらの散歩は楽しいものです。
日が強く当たるところは真っ赤に燃えるような色で、日陰はまだ緑が多く、一枝の中でもぱっきりと赤と緑に見事に分かれている枝もあり見ればみるほど面白く思えます。
 赤と緑は対抗色なのに美しくて自然界の色分けは計算されているわけではないのに少しも不自然ではないのが不思議です。
そして地には敷き詰められたように落ち葉の絨毯でとりわけ紅葉の木の周りは複雑な紅葉が重なり合って見応えがあります。
 雨が降った後に陽が照り始めてから紅葉の木を逆光で眺めるとまた綺麗です。
毎年の事ながら「秋の夕日に照る山紅葉」と思わず歌いたくなります。真っ赤な紅葉が散り始める頃、山の落葉松は真っ黄色になり、そして全ての葉を落とします。
 山法師が赤い実を付けてその葉も紅葉させています。山紫陽花の葉も紫から赤に掛けて染まり花もドライになったまま赤く染まったまま秋を迎えます。猫じゃらし、ススキの葉も皆紫がかった赤になって行くのです。
 自然の移ろいに身を任せて草や木は生きています。紅葉しない針葉樹も赤い木々の引き立て役として存在しています。
地面のすぐそばまで枝や葉を茂らせている深緑の樅は山の冬を彩る男性的な力強い木々です。生命力に溢れている木でこれからの厳しい冬の寒さに耐えてその幹や枝に白い雪を載せて針葉樹の緑の森を見せてくれます。

 東京に戻ったら、やや蒸し暑く感じましたが今年は全てが2週間ぐらい遅れているような気がします。
 今は着物を着るには丁度良い季節ですから大いに着てもらいたいと思います。
工房では秋から冬にかけてのコート類に力を入れています。新作は勿論のこと、「今昔の会」で相談を受けたコート類については着物や羽織からのリニューアルにと今年もずいぶんと道中着や道行に作り替えました。これからはコートなしでは歩けませんから様々なところで出番が増えて活躍してくれることでしょう。
 私がアドバイスをしてプロデュースをいくらしても、これらを仕立ててくれる良き協力者、つまり仕立屋さんがいなければ古い着物の再生は出来ません。どんなに仕立屋さんがいても心底着物が好きな方でなくては苦労の多い仕事なので出来ないのです。
今、最も私が危惧している事はそのことです。着物を知り尽くして大好きで仕立てる技術やアイデアを発揮出来てお客様の喜びを共に喜んでくれるような職人さんがほとんどいないと言うことです。
 私が仕事に携わっている間はどうか良き協力者が助けてくれて欲しいこと、高齢化して行く職人さんですがせめて私が仕事をしている間はがんばっていてくれたらなと勝手な願いですが、最近ひしひしと感じることです。着物は一人の力だけでは形になりません。着る側があれば支えて行く人たちも多く必要とします。伝統を守る事、継承させることの難しさは複雑で一言では言えない事ばかりなのです。

 だんだんと秋深くなって行く中で着物姿で歩く人を見るにつけ考えさせられる事なのです。
いつもどうしたらよいのかと、私の頭から離れません。