2011年12月6日火曜日

手向山の赤枝垂れ


 12月に入り夜にはクリスマスの電飾がこのあたりの住宅街でも最近は飾り立てられ、それが年毎にどこのお宅もバージョンアップして確実に派手になって行くのをみると微笑ましくなります。
平和な庶民の楽しみと思えば寒い冬空も暖かくなってきます。チカチカキラキラと光る輝きは、宗教に関係なく癒しの効果もあると思います。

 そして12月には紅葉を終えた木の葉がどっさりと小さい葉から大きな葉まで全部落ちて家のガレージの中では落ち葉が見る見るガレージや庭を埋め尽くし、庭掃きが一仕事となります。
ふと見上げると塀の上から枝垂れた紅葉が赤く色付いています。紅葉はまだ散っておらず今が最も綺麗です。都会のモミジは12月の初旬が結構見頃で、東京も京都も今頃が良い季節でしょう。いつか行った京都での12月の初旬の紅葉狩りは素晴らしかった記憶があります。

 私は工房にある赤枝垂れ、別名を手向山というこの品種の紅葉が好きで1年中楽しんでいます。この紅葉はヤマモミジ科で葉の形が細く切り込みが入っていて複雑で優雅な形です。枝垂れた姿は春には新芽が赤くなり見事ですし、夏には緑、そして段々紫っぽくなり初冬には赤く色付くので一年を通して楽しめます。
百人1首にも詠まれていますから古代から日本にあった日本のモミジなのでしょう。
菅原朝臣が詠んだ有名な歌で誰もが1度は声に出して詠んだ事がありましょう。
 「この度は幣もとりあえず手向山紅葉の錦神のまにまに」と歌われたこの歌はリズムも良くすぐに覚える事が出来て私も大好きでした。
 子供の時に一生懸命に百人一首大会の為に覚えた歌はいくつになっても思い出せるものです。特に紅葉の錦神のまにまにと詠まれた結句が好きでしたが大人になってからここの意味が分かったのです。
 この歌から真っ赤に燃えた山の紅葉がイメージして来るからでしょうか。手向山がどんな意味を持った山だったのか分かれば「神のまにまに」と終わることが理解出来ます。
 その事から山紅葉を手向山とも呼んだことことになったのは後世の人のネーミングと推察されますがどうでしょう。
 手向山とは奈良にあり、作者は吉野の山を見て詠まれたのでしょうか。手向山には道路と坂を守る神が奉られているので、それ故、色々な地方に手向山があるようです。
優雅な日本の晩秋から初冬にかけての景色は今も昔も変わらず続いているようです。
山のアトリエに植えたイロハ楓と東京の工房の塀に枝垂れる手向山という名を持つ優雅な紅葉とは対照的でどちらもそれぞれに楽しんでいてどちらも私にとっては工房のシンボルになっていて季節の移り変わりを教えてくれる大事な樹木であります。

 この赤枝垂れがちりちりに乾いて葉が全部落ちてしまうと、いよいよ冬将軍がやって来るのです。全ての落葉樹は裸木となります。
昼間には手向山と呼ばれる紅葉を眺め、夜には電飾、と楽しませてもらっている12月の初旬を楽しんでいる日々であります。