25日は親しい方々とそれは楽しい集いが持てました。
毎年クリスマスの頃は横浜で食事を楽しみ音楽を聴いて過ごすのが習わしのようになっています。美味しいお料理、気の合う人たちとの会話もまた、美味しいお料理の一部のように楽しく、ああ、今年も終わって行くのだなと実感します。クリスマスプラス忘年会という集いです。年毎に殿方の参加が増えるのは何よりです。
今年は本当に色々と出来事があった年ですが、私の周囲にも私自身にも様ざまな事件が次々と襲いかかるようにあり、激動の年になりましたが、新しいお友達も増えていることがなによりの財産と思います。
生前、母が80歳を越える頃に私にこう言いました。「年々に遊ぶお友達が減ってしまうのよ、お友達は沢山増やさないと歳を取ってから寂しいわよ。貴女も80歳になれば分かるわ」と嘆くように言っていたのは今となっては遺言のようになっています。
私は同じ年齢の人ばかりではなく様々な年齢、そして職種も違う人たち、異性も含めて広くお付き合いするようにしています。
自分の知らない世界の話や知識は若い人たちからも沢山もらいます。私が興味があるのは自分以外の人がどんなことに興味を持ったり感激を覚えるのかと言うことで私自身が刺激を受ける事なのです。
自分の知り得た事なんていくら長く生きていても、たかが知れています。
知恵も経験も自分なりにはたくさんあると思ってもきっとわずかな物なのでしょう。
多くの方々と今年も知り合い刺激を受けてまた来年への糧にと思うのは年末だからです。
急に毎日寒さが厳しくなり冷気が足下を這うようになりました。犬の散歩の途中に公園に立ち寄ると枯れた芝生がかしゃかしゃと足下で音を立てています。今朝には霜が降りたようで凍っていたのでしょう。
クリスマスが過ぎたとたんにお正月の門松が立ち、おせちの広告が最後の追い込みです。
私は改築中の為に、暮れからひと月ほど近くに仮住まいとなります。
そんなお正月も最初で最後と思うので三が日ぐらいは静かに過ごし来年への力を溜めていようと考えています。現在の私はまるで冬眠中の動物のような物と自覚しています。冬の間に今年授かった沢山の知恵と友達のありがたさを身に染みこませながら春になったら目覚めましょうか。来年は閏年で私の誕生日も4年ぶりに訪れます。










友人が庭に植えてくれた山椒の木はどんどんと大きく育って秋には小さな赤い実が沢山付いていました。山椒の実の佃煮が好きな私は「これなら佃煮にすれば良かった」と言うと友人は「青い内でなくては佃煮になりません」と教えてくれました。赤くなる頃には固くて、来年はタイミングが合えば挑戦しようかと思いました。山椒の実と昆布の入ったおむすびは美味しいのでこれを目標にと思いますが、誰かさんが買った方が早いと言うので,実現出来るでしょうか。 





を上げているようです。家具をどけて壁などが露わになったところを見回すと、さすがにもう建て替える時期に来ているのだと思わずにいられません。中でも古びた欄間やふすまの取っ手、小さな障子窓の珊などが、古びた色合いになっていて捨てがたいものです。リニューアルに生かせるかもしれないという話なので、建築家の仕事が楽しみでもあります。
とは違い、比叡山の延暦寺に行ってみたりもしました。かつてこの比叡山を信長が焼き払ったという史実は、今の我々には当時はどんなであったかと想像するだけですが、今は穏やかな緑なす山々の中で静まりかえっておりました。
も少し出来て来ました。
は親戚の結婚式に招かれました。暑いのは覚悟の上です。最近は七月に結婚式に呼ばれることも多くて,私は三つ紋の色留で波柄に織られた紋絽に白上がりで渦潮を描き、白糸で手刺繍があしらわれた着物を着て参りました。家から着て出掛けますし、車で会場に向かうので、着てしまえば思ったよりは暑い思いはいたしません。車も会場も冷房があるから一日中楽なので、夏だからと言って町中を歩かなければどうということはないのです。
先日、私のお客様でMさんが京都の両足院からお庭の見事な半夏生の写真を送ってきて下さいました。半夏生は花ではありませんがその名の示すように美しい葉で白く刷毛で塗られたように緑色と白が混在して飽きることのない眺めです。こちらも夏の涼しげな景色となります。Mさんお写真をありがとうございました。私もいつか訪れたいと思っております。
昔のように紺屋さんと呼ばれるような呉服屋さんが町に多く点在していた時代は、それぞれにそういう店に持って行って、何かと相談しながら着物の手入れや染め変えなどをたのんでいたのが普通でした。しかし現在では、ほとんどそのような店も町の中に見られなくなり、呉服屋さんも新しい物を店頭に並べる店が駅前やショッピングビルの中に入り、着物に詳しい年配の人も減りただ新しい品ばかりを中心に勧める傾向が多く、なかなか面倒な相談事には快く乗ってくれなくなってしまいました。
これはどんなに古くてもその昔蚕が作り出した絹糸で出来ているからではないかと考えます。


なモーツアルトから始まり、新緑に相応しい演奏曲が多く、大いに楽しめました。やはり音楽は心を癒してくれます。東京コダイラシティ管弦楽団の第一回記念演奏会という事で、楽団員も若い方が多く素晴らしい演奏でした。特に良かったのは「アルルの女」より第2組曲のなかでのフルートの演奏が印象的でした、私はフルートの響きが大好きで、時にその牧歌的な音色に心地よさを感じるので、聴いていて素敵な気分になりました。
季節はもう桜も散り、新緑へと向かっていますが、人々の記憶には3月11日の地震の恐さが脳裏に焼き付き、心から笑い楽しむ事に少し躊躇する日々です。我が家のミニ庭園も、咲き分けの枝垂れ桃の傍らで、淡いピンク色の石楠花が盛りとなりました。部屋の窓からお花見しながら春の陽光を浴びている時は幸せで、これで地震がなければ平和なのにと思いを巡らします。出入りの業者たちも、一様に困った困ったと言います。この先の事は心配ではありますが、解決法もないのですから、やはり自分がしっかりと覚悟を決めてかからないといけないと思います。地に足の着いた毎日の普通の暮らしが、これほど難しいと感じた事もありません。何気ない日常がいかに大切な事だったのかも思い知った気が致します。
た。時折、はらはらと花びらが舞い散
着て、少し心も落ち着きました。お花見には、二人ほど着物を着て見えたので嬉しく思いました。
今日からは、満開だった桜が散ってゆくその木の下で,じっくりと今年の春の過ぎ行く様を静かに眺めて過ごします。足下の地に這うような蒲公英を見つけました。
になりました。桜が東京でも咲き始め、世の中が少し落ち着いて来た気もしています。地震も原発も少しも解決した訳ではないけれど、いつまでも落ち込んだ気分でいたら、結局被災地以外でも元気が出ないで復興の歩みにも影響してくるでしょう。
識者がいませんでしょうか。政府の出す放射能の数値ばかりだけでは、ますます気が滅入るのです。経済活動が戻らないと復興につながらないと思うのは私だけではないはずです。このままではお花見も中止になりかねない気が致しています。桜が咲けば日本中が元気になれるでしょうか。もうすぐ弥生の月も終わりそうです。希望の見える四月が迎えられますように。


