2013年8月9日金曜日

お盆を前に想う



 全国的にお休みが続くお盆が近くなってきました。全国民がお盆を迎え人々は西へ東へと移動して故郷に帰省したり、国内外へ旅に出たりと、人の流れは大きく動き海、山へのレジャーも賑わうのも8月の特徴です。それは暮れからお正月にかけての流れと二分しているようです。

 加えて年々気温が高くなり東京などは昔よりも3度も高いそうで、気候も大きく変わり全国的にゲリラ豪雨なる物があちこちで被害をもたらしているのも最近の夏の特徴です。
 さっと雨が来てさっと涼しくなるあの夕立の風情は全く無くて、ひたすら豪雨を恐れる話ばかり、と言ってもダムであるみずがめには集中して雨は降らず今年も渇水の心配がされています。

蝉がひがな鳴き、甲子園の野球がたけなわになると八月も盛り、これが日本の夏なのだと思わずにはいられません。何十年も同じ八月に流れる出来事や風物を感じながらこの夏も乗り切れるかなと、猛暑のなか、ひとり考える月です。

 毎年のように8月の前半は過去の日本の歴史の話題が多くなってきます。広島、長崎が受けた原爆の被害、被爆者の苦しみ、平和への祈りなどまた、終戦記念日が近くなるにつれて先の戦争はどうであったか、と様々な角度から検証された話が報道される機会が多くなります。
 懐かしい人たちは遠く遠くへと旅立ち今は記憶の中にあり、ふっと思い出すこともありながら故人を偲ぶというよりも、それほど遠くもない世界にだんだんと近づいて来たなとも感じるのもやはり長いこと生を受けてきた証でしょうか。

 かろうじて終戦前に生まれた私は戦前派、戦中派、戦後派のどこに位置するのかと家人に聞いたら、戦争の記憶がないし戦後に育ったから戦後派になるのではと言う意見でした。
 私の初めての記憶ではほとんど動物のいない上野動物園で見たキリンの長くて黄色い首の印象的な記憶があり、その後はずっと飛んでおそらく小学生低学年の頃でしょうか。

 見渡す限りの焼け野原の高田馬場で秋桜が沢山風になびいていたこと、電車の中で会った当時進駐軍の兵隊さんに頭をなぜられてチョコレートを差し出されたことに子供心ながら妙な屈辱感を感じたこと。
 父が戦地から帰り、足に機関銃の弾がいくつも貫通してその弾痕が冬になると疼くので、時々、母の代わりに自分がマッサージをし、父の足に触るのは余りよい気持ちではなかった幼い自分が、戦争の事について何も分かっていなかったこと。
 父は戦地の出来事はひと言も話してくれなかったこと。今に想えばもっと聞いておけば良かったと思い出されます。

 しかし東京オリンピック前に早世した父を考えれば戦地での10年間が体を痛ませる原因になったことだけは確かです。
 戦争そのものの記憶はなく乳児の時に岩手に疎開させられて母は一人で慣れぬ土地で大変だったそうで全ての着物は食料に替わってしまったことだけは戦後に良く聞かされました。
 よく戦後何十年という言葉を聞く度にまるで自分の歳そのものを言われているようなこそばゆい気が致します。
 僅かですが戦後人手に渡らずに残った母の着物は今でも箪笥の中の守り神のようにして鎮座しています。戦後の歩みと共に生きて来た私ですが毎年同じような夏でもすこしづつ違っています。
 今年も真っ白なサルスベリの花がふわふわと8月の風に揺れてなにごともなかったように時折散っています。白い花は心を静めてくれるような気がして好んで植えます。白いライラック、蒼白い山法師の木も山のアトリエで私の心を癒してくれます。今年のお盆も大きな災害もなく無事に開けますようにと願う8月です。