2014年6月3日火曜日

椎の老木


 五月の終わりに工房に植木屋さんが入りました。そして一本の椎の老木を切り倒すことになりました。これで椎の木は残り一本となってしまいました。

 そう広くもない庭にうっそうとするくらいに椎が茂り風通しも悪くなり,隣の公園の桜もすっかり大木になったので少し離れて見る我が家は小さなジャングルのようになってしまい、思い切って椎を一本だけ切ることとなったのです。


 この長い年月、椎は五本もあったのがついに一本を残すだけです。私は切られた椎の切り株を見つめて少し寂しくまた切ない気持になりました。年輪をかぞえてみましたが良くはわかりません。


かれこれ100年近くはここにあったと思うと可哀相な気にもなります。少しのお酒とお塩を供えましたが心がちくっとしています。

 この老木を特に可愛がっていたというわけでなくいつもいつも葉が茂る度に手入れをしないと大変という思いから植木屋さんを入れる時期を考えたり,大量に落ちる枯れ葉に四苦八苦して最近では枯れ葉を掃除するのに箒を使いすぎて肘が痛くなる始末でしたから少々重荷になっていたのも事実でした。私より長生きしている木を切るのは複雑な心境でした。






 私自身がこの椎の木とつきあっていくのが限界だったのかも知れません。情けない気分にもなります。


ずっと先の事を考えると自分の身の周りの始末は、すこしずつ整理をしなくてはと考えるのは庭木も同じだと思うのでした。子供が小さい頃には落ちた団栗をひろったりしてそれなりに楽しかったのが思い出されます。

さて老木には別れを告げましたが折から私の仕事は今、着物の再生に取りかかっています。6月半ばまでは「夏の着物新作展 あらた会」と「古い着物の相談会 今昔の会」が開かれています。

 毎年、沢山の着物が集まりますが,これらの再生に取り組む仕事が待っています。古い着物を甦らせて新しい命を吹き込むことは、あと自分にどれくらい出来るか分かりませんがせいぜい頑張ろうと思っています。


 樹木にも着物にも全て命が宿っています。同時に役目を終えて行く物、再生してゆくものたち、様々ですがその狭間で生かされている自分の役割を見出そうと思う6月です。

 梅雨がもうじき始まりそうですから今のうちに染める反物を積み上げてこれからは天気予報を見つつ仕事する日々が続きそうです。