2013年3月11日月曜日

「ヴィリアの歌」の思い出



 風のあった土曜日9日には品川のホテルでのコンサートに出掛けました。
オペレッタの「メリーウィドゥ」でした。おなじみの演目ですが何回聴いても良いのでまた聴きにいった次第です。
 しかし演奏中に、「ヴィリアの歌」をハンナが歌い始めたとたんに私の中でパブロフの犬の条件反射のようにウルウルと自然に涙が湧いて来るのでした。
 場面はウイーンの夜会の華やかな所ですが、全く関係なく私の脳裏には台所でお勝手をしながらこの歌を口ずさむ母の後ろ姿が思い起こされてしまうのです。
 それは大抵ご機嫌の良い気分が上々の時だったようで少女だった私には、なにやら心地よいメロディに思われてその曲が私の中にすり込まれていったのでした。 多分母は30代だったと思います。後年になってあの時の歌がオペレッタのメリーウィドゥの中でハンナが歌う「ヴィリアの歌」だったのだと知るのですが、この歌を聴く度にご機嫌な母の弾む様な声が胸に響き、つましい暮らしだった台所の光景がいつも瞼に甦り母の背中が浮かぶのです。
 どうしてあの歌を知っていたのかは分かりませんが、多分昔は宝塚や浅草で盛んにオペレッタが日本人向きに上演されていて、皆が口ずさんでいたと父に聞いた事があるのでそんな風にして皆覚えてしまったのでしょうか。
 良き昭和の時代を彷彿と思い起こさせるのです。生前に聞いておけば良かったと思います。 ですから「ヴィリアの歌」を聴くと、いきなりいつも母の背中が浮かび当時の自分の家庭がどんなに小さな幸せに満ちて両親の愛情に包まれていたのかと一服の絵のように甦るのです。音楽の持つ力は偉大だと思います。
 花粉症で鼻がぐずぐずしていたのに加えて不覚にも涙もその歌のせいで滲み出て何だか鼻をかんでばかりのオペレッタ鑑賞の日となりました。
 この日はローズ色の塩瀬に白く描かれた薔薇の帯を地味な江戸小紋に締めて出掛けました。帯の色が少し派手になったかなと思いつつこれが最後と締めました。
 20代から締めていたのですから帯は本当に組み合わせ次第で長く締められるものです。次の世代に締めてもらうことにします。
 昨日の風が少し収まり花の蕾も固いながら少しづつ見えて来ました。 今年の春はとても遅いです。ジンチョウゲもやっと香り初めて来たくらいです。
 12年前の2月の半ばに逝った母の忌にはすでにジンチョウゲは香り初めていて悲しかった夜だったことを思い出します。 あの世でも父に「ヴイリアの歌」を聴かせているかしらと、ふと思ったりします。